少し公開開始からは遅れたが、沖田修一監督の最新作の話をするかの
この作品も公開規模がそんなに大きくないんだよねぇ……
亀爺(以下亀)
「まあ、何十億円の大ヒットするタイプの作品ではないから仕方ない面もあるが、沖田修一監督ももっと評価されて欲しい監督の1人じゃな」
主
「沖田修一監督ってさ、是枝監督と表現していることは似ていると思うんだよ。
日常の尊さというか、そこに宿る面白さというか……でも、その描き方が決定的に違う。そこも後々語ろうかな」
亀「実は記念すべき700記事目が近いので、そちらの案は考えておるのじゃが……その前に699記事に、是枝監督の『そして父になる』を書く予定じゃった。
しかし、本作があまりにも良かったために、急遽予定変更じゃな」
主「やっぱり公開初日に行くべきだったよなぁ……そこはすごく後悔している。
じゃあ、感想記事を始めようか」
作品紹介・あらすじ
『南極料理人』『横道世之介』などの日常を扱ったコメディタッチのドラマで観客を魅了する沖田修一監督作品。今作では実在した画家、熊谷守一夫妻のある1日をじっくりと描いている。
山崎努が熊谷守一、その妻である秀子を樹木希林という、日本映画界屈指のベテランの演技にも要注目。また、加瀬亮、光石研、きたろうなどの個性豊かなキャストがお話を静かに盛り上げていく。
30年間もの間、自宅の庭でじっと虫や魚をはじめとした自然について見つめ続けてきた熊谷守一。その庭は東京都内にあるにも関わらず、豊かな自然が残っていた。
熊谷の元には毎日様々な来客が訪れる……
感想
では、感想から始めるとするかの
#モリのいる場所
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2018年5月30日
沖田修一の大傑作!
今作を観ないで5月のランキング記事を書いてしまった後悔が残るほどの作品!
ゲラゲラと笑い声が響き渡る中、自分は目頭が熱くなる
ほんと、大好きな作品です! pic.twitter.com/bax7vBo4RL
なんで5月の新作映画ランキングの記事を書いちゃったんだろうね?
亀「ちなみに、5月の新作映画ランキングに加えるならば何位くらいに相当するのかの?」
主「まあ、普通に考えれば1位でしょうね」
亀「……ふむ、もちろん主観のランキングとはいえ、そこまでの高評価を下すのか」
主「もちろん、他の作品に比べて鑑賞直後だったということもあるし、元々沖田修一監督作品は大好きだから、そのファン補正もあるかもしれない。
でも、やはりこの映画はとてつもない映画だと思う。
もちろん、ゲラゲラ笑えるんだよ。だけれど、それと同時に胸がいっぱいになってしまって、ウルウルと涙が溢れてくる……そんな映画でもある」
亀「……泣くシーンがあったかの?」
主「あるんだよ!
少なくとも自分には!
もちろん、この映画はそこまで派手な作品ではないです。ほぼ……9割が家の中の物語だし、すごくミニマムでとてつもない事件が起こるとか、どんでん返しがあるとかではない。
でも『映像作品はなぜ面白いのだろうか?』ということも突きつけてくるし、とても深い意義ある作品とも感じたので、後ほどそこについて解説していきます」
沖田修一監督の代表作!
いつか記事で語りたいなぁ……
監督・役者について
亀「今回は役者について語る事もほぼないの。
と言うよりも……山崎努と樹木希林と聞けば、ほぼほぼキャスティングだけで成功しているのは明らかじゃしの」
主「この2人で外すようならどうしようもない。そんな人は監督辞めちまえ! ……と言うのは冗談だとしても、沖田修一監督であればうまく撮れるだろうしね。
この2人の独特の世界に他の役者も引っ張られる形になるけれど、それで正解の作品だし……文句も何もあったもんじゃない。
ちなみに、エンドクレジットロールを見ていたら、よくこのブログの記事をTwitterで言及してくれる方の名前が役者として載っていたりして、そこも他人事ながら嬉しかったり」
亀「2年以上書いておると色々あるものじゃな。
そして、沖田修一監督といえばやはり『南極料理人』の印象が強いの」
主「元々友人にオススメされて観たけれど、とても面白くて一気にどハマりした監督でもある。
やはり特殊な状況とはいえ、何気ない日常をすごく面白く撮る監督で……堺雅人の代表作と言えば、自分は南極料理人をあげる。
今作もそれも同じで、日常を魅力的に撮りながらも、コメディでしっかり緩急をつける。
そしてメッセージ性があるんだけれど、それを強く主張しない。そこが沖田修一監督のうまさでしょう」
この2人の存在感が映画をさらに魅了する!
注目ポイント
亀「この作品でネタバレなしでこれから鑑賞する人に、注目して欲しいポイントといえば……
やはり主演の2人の演技かの」
主「そんな肩肘張って観る映画じゃないけれどね。
『絶賛していたから……』と期待に胸を膨らませていくタイプの映画じゃない。
淡々と流れている日常の映画が苦手な人には『退屈な映画だな』と感じてしまう可能性はやっぱりあるし。
ただ、本作は99分とかなり短く作られているから、飽きが来る前に終わる映画だけれど」
亀「ふむ……それと、少し凝ったことを言えば映像の撮り方かの。
例えば虫や魚、鳥の撮り方であったり、この静かな物語をどのように映像として演出しているのか、そこに注目を向けると大きな感動があったりするかもしれんの」
主「本当に地味な映画に思われるかもしれません。
だけれど、実はすごくリッチな映画です。
ハリウッドの何百億円と制作費をかけた作品にも負けない情報量を獲得した映像だけれど……それは伝わりづらいかも。
でも、本当にとてもいい映画だし、それと『聲の形』や『リズと青い鳥』などもてk掛けた牛尾憲輔の音楽も最高にマッチしているので、映像と音の融合を楽しんでください!」
以下ネタバレあり
演出考察
本作のさりげない『巧さ』
では、ここからはネタバレありで語っていくかの
この作品は『さりげない巧さ』で構成されているんだ
亀「映画はなぜ面白いのか? という問題に行き着くかもしれんの。
もちろん、大きな爆発を伴うアクションや、戦争描写、他にもセクシーなお色気であったり、バイオレンスな描写や怪獣や怪物が暴れ回る様も映画の魅力の1つであるし、それを否定するつもりはない。
しかし、本当にそれだけが映画の面白さか? と言われると、そんなことはないわけじゃな」
主「この作品は特に顕著だけれど、特に何か面白いことがあるわけじゃないんだよね。
展開としても緩いし、ハラハラドキドキするようなことは基本的にない。だけれど、ではそんな映画をどのように魅せるのか? ということで、工夫に満ちている。
その1つが『風の動き』なんだ」
亀「この映画は『動きの映画』であるからの」
主「例えば何事もない会話のシーンでも、外の自然が映っていれば雲によって光が動く。そしてさらに風によって木々や草花がそよぐ……他にもパイプの煙など、役者以外の環境にも動きがあるんだ。
他にも家の中で……例えば暖簾が風で動いたりするなど、動きがとても多い作品になっている」
1つ1つ凝られた美術なども見所の1つ
これほど生活感のある映画も多くないかも……
『動き』の重要性
亀「本作はもちろん、山崎努が演じる熊谷守一が主人公であるし、人物が主役の映画であるが、それと同じように自然が大切な働きをする映画じゃからの」
主「自然の描き方も様々な動きを見せることで、映像を豪華なものにしているんだ。
別に、派手な爆発やアクションだけが豪華にするわけじゃない。
それは最近だと『リズと青い鳥』や『君の名前で僕を呼んで』がそうでさ、細かい背景の1つ1つや人物のちょっとした動きを繊細に描くことによって、より映像としての情報量を高めているし、観客に伝わるようにできている」
亀「リッチな映像を作るためには、何もCGなどを多用する必要はない、という話じゃな」
主「それこそ、黒澤明とか現代よりも技術がなかった時代なのに、現代よりもリッチな映像を作り出しているからね。
自分はアニメ好きだけれど、押井守が『スカイ・クロラ』で人物や飛行機を動かすのではなく、背景を動かせ、と言った意味もここにあるんじゃないか? と思っている」
亀「それは置いておくとしても、動きがない場面……例えば、単なる会話劇でも、そのシーンを面白く魅せるための1つのやり方ということじゃな」
主「他にもカメラの使い方とか、いろいろあるけれど……それこそ黒澤明が得意とした手法なのかな。
今作は物語では、そこまで動きがない代わりに、別の面で魅せるように多くの工夫が取られている」
熊谷守一に迫った本も出版されています!
構図の妙
次に語るのが構図についてじゃな
まずはこのシーンを見てください
亀「状況を簡単に説明すると、熊谷の住む家の前にマンションが建つことになっており、その反対運動に使われている熊谷たちに、マンションのオーナーと工事の現場監督が訪ねてきたシーンじゃな」
主「ここで目を引くのが右側で一番大きく映されているマンションのオーナーだ。
あぐらを掻いてタバコを吸うなど、いかにもふてぶてしい態度を取っている。
一方で、現場監督はその横で中間くらいの大きさになっており、樹木希林演じる秀子は小さく丸まっている。
これだけで各個人のその時の感情や、力関係についてなんとなくわかるでしょ?」
亀「この時の陳情が『反対運動の看板を降ろしてくれ』というものじゃから、オーナーは怒りを持っているのがわかるし、反対運動自体は若い画家がやっていることだから注意しづらい、という秀子の悩みも伝わってくるの。
特に、秀子の後ろが暗くなっていることが特にこちらも暗い気分にさせる」
主「さらにその間に注目をして欲しいけれど、家の柱でオーナーと現場監督の間に境界線があるんだよね。
これが何かといえば、3人の真意のスタンスを表している。
つまり、現場監督は真意としては秀子側なんだよ。
だからオーナーと微妙な距離がある。
このように、1つ1つの構図を見るだけでも映像として何を考えて演出したのか、ということもしっかりと描かれているんだ。
だからこそ、これだけ静かな物語でありながらも見所が多い作品に仕上がっているんだよ」
脚本について
スタートの面白さ
ここからは脚本や物語について考えていくとするかの
自分は序盤から大好きなんだよね…
亀「序盤は特に大きな動きなどもないようじゃが、どこが好きなのかの?」
主「昭和天皇が『これは何歳の子供が書かれたのですか?』と語るでしょ?
ここがすごく好きでさ。
これは確かにコメディでもあるんだけれど、ある意味では昭和天皇と熊谷守一の同一性にも言及しているようにも思えてくる」
亀「……? どういうことじゃ?」
主「昭和天皇って粘菌などの微生物学を中心に研究されていた生物学の研究者なのだけれど、だからこそ普段から自然に向けて目を向けていられた。
我々やあの美術館の人たちは『熊谷守一』という名前の方を注目していて、人間としての熊谷守一や、その絵についてはそこまで関心がないようにも見える。
だけれど、昭和天皇ははっきりと『子供のような絵だ』と絵の評価をしているんだよね。
これは世間や社会の評価……つまり外界、都市の評価に流されない姿勢を貫いている。
つまり、守一のように自然に対して素直な視線を向けていた方だからこそ、自然な眼差しで絵を評価されたのではないか? ということだよ」
亀「ふむ……本作の中には都市と自然の対比が多く存在するが、その意味では昭和天皇もその両者の間におった象徴的存在と言えるのかもしれんの」
主「神であった時代もあり、人である時代も経験しているからね。その意味では千人や天狗ともよばれている守一と同じような存在と言えるかもしれない。
もちろん、これは自分の解釈だけれど……あのスタートで昭和天皇が登場し、そしてあのような評価を下したエピソードを挿入してきたのは、とても大きな意味があると感じたかな」
大事な食事シーンも見所が多い!
食事のシーンの良さ
亀「鑑賞する人によってどこに注目するのか? というのは癖が出るじゃろうし、映画好きであればやはりアクションシーンにこだわりがある人も多いのじゃろうが……
うちはやはり、食事シーンが気になるの」
主「よく言うけれど、若手の役者がちゃんと食事シーンで食べないのは気になるんだよね……
だってさ、食事シーンというのは同一のコミュニティであることを示す、非常に重要なシーンじゃない?
それを食べないっていうのは、キスをしないラブシーンと同じだよ」
亀「それはそれとして、本作での食事シーンで思うところはなんじゃ?」
主「本作は結構な数の食事シーンが登場するけれど、そのどれもがしっかりと美味しそうで、しかもそこにいる人たちが共同体であるというのが伝わってくる。
家族だけの食事もそうだし、来客も交えての食事もそう。
そして、深読みするとカレーうどんにも意味があるようにも思えてくる」
亀「ふむ……それはどんな深読みになるのかの?」
主「つまりさ、自分たちで作っていたうどん+外から持ってきてもらったカレー=カレーうどんなわけじゃない?
あの場面では多くの来客がいる。それはカレーなんだよ。
そして家族がうどん。
それを食べるのにちょっと不器用だし、しかも『一緒にするな!』と怒りながらもモグモグと食べる守一……これって来客に対する態度にも似ているように思えるんだよね」
亀「文句は言ってもなんだかんだとちゃんと守一なりに相手をする、ということかの。
そして後半の大勢での食事もまた、深く印象に残ったものじゃな」
自然VS都市?
今作では自然と都市の対立が描かれておったが……
自分がこの記事で語りたい最大のポイントはここからです!
亀「ふむ……やはり、自然と都市の対立は多くの作品でも描かれており、それこそ日本では宮崎駿や高畑勲などをはじめとして、自然を賛美する作品が多く発表されておるが、本作はそれとは違う、ということかの」
主「とても素晴らしいのがここでさ。
確かに、都市と自然は対立するような関係にあることも多い。守一はあの庭から出たことがないくらい、世間のことに疎い。あの勲章を拒否するシーンも、名誉などの『都市の理論』を嫌がったからだと言える。
でも、本作は明確に『自然VS都市』という対立軸で物語を描かなかったんだよ!」
亀「確かにあの反対運動にすら興味を抱かなかったからの。日照権が損害されるから戦う物語ではないどころか、工事現場のにいちゃん達を迎えるほどでもある」
主「そのかわりゆく時代の中で、変化していく中でどのように自分たちは生きるのか? ということを見つめているということだよね。
そして柔軟に対応していく。
都市の中に自然があり、自然の中にも都市がある。
『同じ釜の飯を食べる』という言葉があるように、食卓を囲むというのは重要な演出なんだ。それをあの工事現場の人たちと食べ、そして手を取り合って庭の改修を始める」
亀「単純な二元論などに陥らず、それでも大切に守るものを描くということかの」
主「あそこでマンションの建築を反対していたら、高いところから見下ろす守一の家の写真は撮れなかったわけだ。
この描き方が沖田修一の最大の特徴であるとも言えるんだよ!」
多くの人と食事を共にする守一
このシーン、とても感動しました!
死を意識させながら……
亀「次はやはりあの衝撃の展開じゃの。夜に訪れるある人物の誘いであるが……」
主「こういう、老いた人を主人公にした映画や、名監督の晩年の映画では『死』の意識が濃密に描かれている。
例えば黒澤明の『まあだだよ』や、宮崎駿の『風立ちぬ』に高畑勲の『かぐや姫の物語』もそうだし……あとは海外ならばクリント・イーストウッドの最近の作品も死を意識した作品が発表されている。
そういった作品がどうしても多くなっていきがちな中で、この作品は明確に『生きる』こと選択しているんだよね」
亀「……あの秀子の独白なども色々と感じることがあったの。特に演じている樹木希林が全身ガンに侵されているという、衝撃の話があるから、余計に色々と考えてしまうものがある」
主「これはもしかしたら沖田監督がまだ41歳と若いからかもしれないけれど……でも、この手の高齢者を主人公とした作品では死を選ばない、もしくは死を連想させる描写から明確に離れたというのは、とても大きなことだろう。
本作は日常の映画であって、その日常の終焉である死から離れたこと……これがとても素晴らしいと感じたかな」
blog.monogatarukame.net本作を鑑賞中により強く感じたのが『人生フルーツ』
2017年の大傑作ドキュメンタリーです
もしかしたら……監督も影響を受けているのかな?
小さな世界と大きな世界はつながる
亀「それでは、これが最後の項目になるが……やはり『プラネテス』の記事を書いた後だと、こんなことを考えてしまうの」
主「『遠くに行きたい』とかさ『ここじゃないどこかへ』という思いって多くの人にあると思う。それは宇宙に繋がっていたりするけれど……でも、必ずしもそれだけが答えというわけではないんだよ。
どういうことかというと、マクロとミクロは対立軸じゃない。
マクロの中にもミクロな見方もあり、ミクロな中にもマクロな見方があるんだ」
亀「もっと具体的な言葉にしないと通じないのではないか?」
主「つまりさ、守一の暮らす小さな庭は確かにミクロな世界かもしれない。
だけれど、そこで起きる様々な変化は、とても大きなものである。
だからこそ、あの助手の青年がそれを眺めていたいと思うほど感化されて『また来てもいいですか』と尋ねるまでになる。
大宇宙の中にいたとしても、自分という存在と向き合うこともある。
逆に、自分という存在と向き合えば、そこには無限の変化がある。
小さな世界に思えるかもしれないけれど、その変化は宇宙にも負けないほどの大きなものかもしれないんだよ!」
亀「……変な宗教みたいな話になってきたの」
主「いや、まあ、そうかもしれないけれど!
でも自分の目の前のある変化に気がついていない人って本当に多いと思う。それは当然自分も含めてね。
遠くに行く前に、まず自分の目の前の変化に気がつくことが、大きな一歩につながるんじゃないかな?」
まとめ
では、この記事のまとめといくかの
- 日常描写の中にも様々な工夫が!
- 対立ではなく調和を描く
- ミクロな視点がマクロな視点に!
危うく観なかったことを後悔するかもしれないほど、いい作品でした!
亀「1つ1つのセリフもまたいいものが多かったからの。
『下手でいい』などのセリフは表現論としてとてもしびれるものであり、感銘を受けたの」
主「あのシーンで自分は感極まってしまったね……
本当に徹底的に見所に溢れた傑作だったと思います! 是非是非鑑賞してくださいね!」