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物語る亀

ネタバレありの物語批評

ドラマにおける『役者の演技』の嘘臭さ

ドラマ 物語論

 昨日に続き、ドラマの悪口を言うだけのブログになっております。

 感想は個人差があるので悪しからず……という予防線を張っておいて、ではスタート。なお、今回の話は一般的な全体に対する話であり、特定の個人を誹謗するものではないと先に明記させていただこう。

 

 

monogatarukame.hatenablog.com

 

 

 

 1 そもそも若い役者は演技力を求められていない

 当たり前の話ではあるが、若い役者というものは演技が下手で何もおかしくない。

 そもそも我々、視聴者が若い役者に対して演技力云々というのがおかしな話でもあるのだ。当然のことながら、一部の「勘のいい」役者は歳関係なくうまい演技ができるだろうが、基本的には若い役者は経験がなく、ベテランに比べて演技が拙いというのが一般的だ。

 その上、前回述べたようにドラマを見る層とは『ドラマのファン(作り手側のファン)』よりも『役者のファン』の方が圧倒的に多い。

 それが何を意味するかというと、若い役者に求められているのはルックス、スタイル、知名度、人気、好感度、時には事務所の力(バーターで有力な役者や若手を引っ張ってくることも含めて)であり、実は演技力なんて二の次、三の次だったりする。

 

 そんなことはない、という言うならば、少しテレビをつけてドラマを見ればいい。出てくる俳優、女優のうち、主演クラスは大体イケメンか絶世の美女であって、そこに個人の好みはあるものの、少なくともクラスや合コンで一人いたら間違いなく誰もが大絶賛するような人物ばかりだ。

 演技力はあるけれどブサイク、というのは脇役ならば出てくるかもしれないが、主人公にはなれない。普通のどこにでもいる、なんて設定でありながら、どこにもいないような美貌を持つ面々ばかりの時点で、ドラマというものが演技力をそこまで重視していないのがわかる。

 何が厄介かといえば、ドラマの構造を考えればそれは正しいことだろうか。(ドラマの構造に関しては近いうちに書く)

 

 イケメン、美人は基本的に演技の勉強をして芸能界に入ってきたわけではない。

 モデルだったり、アイドルだったりになるために応募やスカウトされて芸能界に入っているので、演技の勉強はあまり重視していない。むしろスタイルの保ち方、歌唱力、ダンスなどの方が重要視されるのではないか。

 

 そういった状況で若手に演技力を問うのは酷な話である。

 

 2 子役の演技

 私が一番嘘くさいと思って冷めてしまうのは、子役の演技である。

 世に天才子役というのは何人も出てくるが、「そんな子供はいないだろ!」と思わせる演技が多いように思う。台本を読むこと、行儀よくすること、社会の常識を身につけること、それが子役に重要視されすぎていて、見ていていい子すぎるのが気にかかる。

 もちろんそれがその子の人生のための教育なのは百も承知だ。だが私は役者のプライベートと、演技は分けて考えるべきだと思う。

 勝新太郎は捕まったりとんでも無いことを繰り返したが、やはり大スターで名役者である。逆に、素行は非常に良くても、役者として大成しなかったら意味は無い。

(昔バイト先に貧乏役者がいたが、人は非常に良くて、私も信頼していた)

 

 本当の子供というのは大人の邪魔をするし、自分の行動原理を持って行動する、制御の利かないものだ。それを子供の役として出しているにも関わらず、いい子すぎると不自然極まりない。それが不自然なことを前提としているのならば構わないが、自然な演技を求めつつ、不自然な演技をさせているというのはナンセンスである。

 なので私は子役が出ているだけで、ドラマもバラエティもチャンネルを回してしまう。

 

 唯一例外なのが是枝裕和監督で、子役に台本を渡さない主義のためだろうか、嘘臭さはかなり減少している。特に奇跡という作品では、途中でメイキングのように子供達が話す場面があり、「わかんなぁ〜い」とか、「え〜」とか言いながら恥ずかしそうに、照れてしまうシーンがある。

 こういうシーンこそが『子どもらしさ』であり、子どもの魅力ではないだろうか?

   

 3 『自然な』演技の嘘臭さ

 そもそも演技というものは不自然なものである。

 例えば舞台演劇で考えてみた場合、その身振り手振りは非常に派手なものであって、かなりのオーバーリアクションだ。悲しい時も「私……悲しいの……」なんて小さく呟いてしまったら、遠くの席のお客さんに聞こえない。だからそういう場合でも「私! 悲しいの!」と訴えかけるようにハキハキとセリフを言う。

 これは物語における常套手段であり、落語であろうが、狂言であろうが、歌舞伎であろうがそれは変わらない。それは明らかな演技の作法に則った演技であるにも関わらず、その嘘臭さや演出がかえってより人間らしい、自然なものに見えることもあるのが不思議である。

 また海外のドラマであれば、少しくらいのオーバーアクションであっても、観客である我々からはそこまでの嘘臭さは感じられない。向こうの人たちならば、こういうアクションを普通にしているのだろうな、と感じられるためだろう。

 

 だがドラマにおいては基本的に現代劇を扱っているため、そのような『自然な演技』と言われるものは、かえって嘘くさく見えてしまう。それはなぜかというと、おそらくカメラワークや台本、音楽、その他多岐にわたる段階で演出されてしまっているせいだろう。

 実際に「君の瞳に乾杯」なんていう男はほとんどいなくて、それは芝居がかった、少し洒落た演出に基づいた言葉である。この特別感が時に人を酔わせるのであるが、それを自然な感じでやってしまうと、逆に浮いてしまう。

 

 例えるならば、そこらのチェーンの居酒屋で女の子を口説こうと、ビールとカルーアミルクを二人が手にしている状況で「君の瞳に乾杯」なんて言ったら、もう台無しである。そんなのはコメディでしかない。

 このセリフを言うならば、夜景の綺麗な高級レストランで高いワイングラスを手に、きっちりとコーディネートをして「君の瞳に乾杯」でないと酔えない。その演出があってこそのセリフである。

 

 今のドラマというのはその『不自然感』があまりにも多すぎる。自然な演技を注文し、どこにでもあるようなお話であることを装いながらも、その演出は特別なものであると見せている。だから嘘くさく感じてしまう。

 私は野村萬斎が好きであるが、あの人の口調で話す一般人なんてどこにもいない。いないが、それでも演技が上手いと賞賛されるものである。

 例えば古畑任三郎の田村正和も、あんなおじさんどこにもいないけれども、その作り物の世界であるからこそ逆に違和感なく、説得力を持って見ていられる。

 金八先生なんてあれがリアルな先生像なんて思っている人は全くいない。あんな学校あるわけがない。それでも大人気になっている。

 

 だからもっと役者らしい芝居でいいのであるが、それが出来ないのかやらないのか役者は『自然な』演技をしてしまう。だったら台本や演出をもっと抑えてしまえばいいが、それだとドラマとしての娯楽性が少なくなるので過剰に演出する。

 このチグハグ感が私がドラマを見ない理由である。

(これが映画なら監督が責任を持って抑えた演技、抑えた演出をするのだが、責任者がわからないドラマというのはそこを総合して監督する人物が不在のように思えてしまう)

 

 アニメや時代劇の場合は元々過剰に演出された世界だからか、役者はより派手な演技を心がけているし、それが浮かない。だから実際我々の仕草や発声とは程遠いが、違和感がなく見れてしまうわけだ。(声優の演技がどうのというのはここから来ていると思われる)

 でも、物語としてどっちが正しいかといえば、明らかに演出された世界だと私は思う。

 

 

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