物語る亀

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物語愛好者の雑文

映画『斉木楠雄のΨ難』感想 果たしてこの作品を『映画』と呼んでもいいいいものか…… 

 秋の長雨は止む気配を見せるどころか、次第に勢いを増していった。これでもう1週間は降り続けていることになる。1日だけ太陽が顔を出したタイミングを見計らって洗濯物を干したのに、もう下着もタオルもほとんど残っていなかった。

 家の近くにあるコインランドリーの乾燥機にぶっこまないとなぁ……

 厚手のバスタオルをしっかりと乾かすためには300円入れないといけない。 せっかくレイトショーで映画料金を浮かせたのに、ちょっとだけ憂鬱な気分になる。雨の中に洗濯物を乾かしに行き、自分が少し雨に濡れながら帰ってくるバカバカしさよ。

 

 時間はちょうど夜の9時を過ぎたばかりだった。映画館の周辺の店もチラホラと店を閉め始めている。その中で、僕は喫茶店のガラス越しに雨の中、相合傘で映画館から駅へと向かうカップルを眺めていた。これ見よがしに赤い傘を指しているカップルはさっさと爆発するか、暗い脇道でペッティングでもしているところで殺人鬼にでも出くわして、傘を真っ赤に染め上げてしまえばいい。

 ホラー映画であればそんな展開もあるかもしれないが、ただのコメディ映画では血みどろのスプラッター展開が起きても、次の瞬間には生き返ってイチャイチャし始めるのかもしれない。

 

「はい、買ってきたよー」

 彼女が机にコーヒーとココアを置いた。映画代は自分が支払ったから、ここの代金は彼女持ちだというのがいつもの習慣なのだ。

 僕は目の前のココアを一口飲む。

「なんでココアなの?」

 コーヒーにガムシロップを入れてかき混ぜながら、にこやかに聞いてきた。

「夜のカフェインは禁物なの」

「眠れなくなるから?」

「そう、眠れなくなるから」

「ココアもカフェインあるのに?」

 単なるプラシーボだねぇ、と笑われる。そんなこと、僕が知ったこっちゃない。紅茶はダメで緑茶はいい、コーヒーはダメでココアはいい、レッドブルはダメでオロCはいいのだ。僕だって理由は知らないけれど、でもそうなっているのだから、それでも気になるなら僕の体に訊いてほしい。

 

 さて、映画の話をしよう。

 今日は『斉木楠雄のΨ難』だ。

 

 

 

映画「斉木楠雄のΨ難」オリジナル・サウンドトラック

 

作品紹介・あらすじ

 

 週刊少年ジャンプで連載中であり、テレビアニメ化も果たしたギャグ漫画を『勇者ヨシヒコ』シリーズや『銀魂』などのコメディを多く手掛ける福田雄一監督が実写映画化。

 主人公の斉木楠雄役には多くの漫画原作映画に出演している山崎賢人、ヒロインには橋本環奈を起用しており、新井浩文、吉沢亮、笠原秀幸、賀来賢人などの年齢も異なる俳優陣が高校生役を演じているほか、ムロツヨシ、佐藤二朗などの福田作品に欠かせないキャストも登場している。

 

 生まれた時から超能力に目覚めていた斉木楠雄は、普通に生きることを望みその能力をなるべく隠して生活を送っていた。しかし、なぜだか楠雄の周辺にはバカすぎて気配も読み取れない念堂力や、熱血バカの委員長である灰呂杵志などの個性的な面々が集う。

 そんな中、文化祭の時期が訪れてくるがやはりトラブルを巻き起こしそうな面々ばかりで……

 


『斉木楠雄のΨ難』予告編/シネマトクラス

 

 

 

1 感想

 

「それで? Twitterにはなんて書いたの?」

  •  彼女のその言葉に、どうせ僕のこともフォローしているのだから、そっちで見ればいいのに……なんて思いながら僕は無言でスマートフォンを見せてあげた。

 

 

 辛口なんだねぇ、とつぶやいて、少しだけシュシュッといじり僕のTwitterのタイムラインを眺めた後、そのままスマホを返した。他の人の感想を見ても、どうやら賛否は分かれているようだ。

 まあ、それはそうだろう。そもそも、この作品が果たして『映画』と呼んでいいのかすらもわからないような、そんな怪作であったのだから仕方ない。

「そんな難しいこと考えなくても、面白ければいいんじゃないかな?」

 そりゃ、そうかもしれない。

 でも、映画の面白いってなんだろう?

 笑えること? 泣けること? 見たこともない映像体験? 深い人生考察? 哲学性? そのどれもが正解で、そしてそのどれもが不正解なのだろう。

 

「この作品を映画と認めていいのだろうか? ということを考えているんだよ」

「あれだけゲラゲラ笑っていたのに?」

「それとこれとは関係ないよ……それなら、お笑い芸人のコントだって映画館で上映したら映画になるよ」

「面白ければそれでいいんじゃないかなぁ?」

 そんなことを言いながら、コーヒーを再び口に含んだ。

 

 まあ、でも実際『映画とは何か?』 という問題はあるのだ。

 特に、アニメ映画を見ているとその問題は顕著で、テレビシリーズの総集編であったり、OVA作品を何章も劇場公開することも今では珍しくなくなった。しかしそのどれもが『映画』になっているかというと、そうではない。

 むしろ映画になっている作品は稀であって、どれも続編があることが前提であったり、事前知識があること、その世界観を知っていることが当然のように求められる作品だって多いのだ。

 それを映画と語っていいのか? と言われたら、多分ダメだとは……思う。

 だが、本作はそれらの『総集編』『続編ありき』の作品ではなく、れっきとした劇場で公開することを主目的とした映画として製作されているのだ。その差は……恐ろしく大きい。

 

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個性的なキャストがいっぱい

(C)麻生周一/集英社・2017映画「斉木楠雄のΨ難」製作委員会

 

役者について

 

 彼女は鑑賞する前から買っていたパンフレットを眺め始めると、その頬がどんどん緩んでいった。劇場内は人が多く、男女比はほぼ半々か、若干女性が多めで比較的若い女性が多かった。原作がジャンプということで男女ともに受け入れらているのもあるのだろうが、やはりイケメン俳優が多く出演していることからも、女性狙いな作品と見ていいのかもしれない。

ハシカンとか、可愛かったじゃん。こういう子、好きじゃないの?」

 好きか嫌いか、と言われると……正直言えばそこまで興味はない。1000年に1人とまで言われているけれど、そこまでかわいいとは思っていなかった。何せ素人ですら芸能人並みの美人が街中にたくさんいる時代だ。かわいいは、作れる。そんなことをうたった雑誌がこれだけたくさんあって、こうやって喫茶店から外を眺めているだけで魅力的な人が多い時代に、1000年に1人なんて大げさにもほどがある。

 

「ハシカンねぇ……でもさ、今年ハシカンの映画って今作が3作目なんだけれど、自分は1番かわいいとは思ったかなぁ?

「あれでしょ? 黒髪の中に青が入っていたこともあるのか、すっごく髪の毛が綺麗だったからでしょ?」

 うるさい、人の好みは放っておいてくれ。

 彼女はちょっとハシカンに対抗したのか、その長い黒髪をさらりとかき上げるパンフレットにでかでかと載った山崎賢人を見せつけた。

 

「カッコイイでしょ?」

「……いや、そんな格好の山崎賢人を見せつけられても……良かったって言えるのかなぁ? 結局いつもの福田演出じゃん」

「えー? そのマンネリ感も面白いじゃん、笑えるし」

 笑えるし……と言われてもなぁ。いや、確かに笑いはするけれども……これでいいのか? という思いも強い。結局、その役者ならではの味が出たのか? と訊かれたら全く出ていないような気がする。

 今作は出来の悪いアニメのようだ。

 コスプレ感のあるキャラクターを用意し、画面はチープな実写とは思えないほどに動きがなく、ナレーションやアフレコのシーンも多いのだから。

 

 

 

 

2 作品演出について

 

 結局みんなコスプレ大会をしている中で、1番コスプレ色が強かったのは山崎賢人だ……と言いたいが、冷静になって考えてみるとどれもこれもコスプレである。しかも安っぽい。それを隠そうともしないし、モブの制服に至るまでまるでビニールで作られているかのような謎の光沢感があって……コスプレ臭が強かった。

 それを隠そうともしないのが福田組の演出だ、というのも、まあわからないでもない。

 ないけれど、でもやっぱり面白いかと言われると少し疑問に思う。

「結構作りがチープだったじゃん。CGも荒くてさ、隠そうともしないで……」

「それが面白いんじゃん! 私なんてゲラゲラ笑っちゃったし」

 確かに会場内でも笑い声は多く上がっていたし、自分も笑ってしまった。だけれど、それでいいのか? 

 

いや、でもさ。これ、映画だよ? この大筋もない中でこれだけチープなものを約100分も、そして1800円もかけて観たいと思う?」

「えー? 私は観たいから一緒に来たのに」

 ちょっとムスッとし始めた彼女はバックからスマホを取り出すと、指紋認証1つでロックを開けていじり始めた。文句を言いすぎたかな?

 僕の物言いは考えようによってはおかしいのかもしれない。

 福田雄一に望むのはあくまでも『ヨシヒコ』的な笑いであって、映画の最先端技術などというのは誰も望んでいない。CGはチープ、コスプレ感が漂い、天丼にて笑いを誘い、メタフィクションなネタを入れて、パロディネタをたくさん入れて、いつもの役者に面白い演技をさせる。それでいいのだ。

 大ヒットしている『銀魂』だってアクション自体は工夫がなくて退屈だった。あのギャグパートを2時間見たい……そう願うファンだっていただろうし、その気持ちを汲んだのがこの作品なのだろう。

 だから、確かにこの作品は間違いなく福田雄一の味が、これ以上なく出ている作品でもある。

 

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年代もバラバラなのに違和感がないのは、逆に違和感に溢れているから

ギャグとしては成功のキャスティングなのか?

(C)麻生周一/集英社・2017映画「斉木楠雄のΨ難」製作委員会

 

繰り返されるギャグ

 

「えー、でもさー、劇場であんなに笑っていたのに何が不満なの?」

 スマホを机の上に再び置いて、ちょっとだけ窓の外をチラチラを気にしながら彼女は訊く。

結局、全部出落ちじゃない? ハシカンの顔芸だって何度も繰り返していたけれど、あれって面白かったのは最初の方だけでさ。その顔芸のバリエーションだって豊富なわけじゃない。

 そりゃ『1000年に1人』なんて大げさなこと言われてさ、それが足かせになってきているのもわかるよ。自分でその壁をなんとかするために、福田雄一作品に出て、コメディも挑戦して、それまでのハシカンのイメージを打破しようとしているのもわかる。そして『1000に1人』を持ちネタに笑いに変えるのも、福田雄一以外ではできないかもしれない。

 でもさ、今作のギャグって結局同じことの繰り返しじゃん。これだけのドラマのない作品で似たようなギャグを見せつけられても、それって面白いの? って話でさ」

 

 これだったら2時間のコントを見ているのと何も変わらない。いや、芸人だって2時間与えられたら、コントの中に物語性を入れて起承転結をつけてある程度の作品を作ろうとするだろう。しかし、本作からはその意図も感じなかった。多分、あえて入れていないのだ。

 原作だってあるし、元々ギャグを期待されていたわけで、そんな簡単にいかないのはわかるけれど、あまりにも内容がなさすぎるのである。

 

「例えばさ、コメディも撮るビリー・ワイルダーって巨匠には『お熱いのがお好き』というマリリン・モンローも出てくる映画がある。これがラブコメの名作で笑えるけれど、でも実は当時のハリウッド内にあった表現規制と真っ向から戦ったメッセージ性のある作品なんだよね。

 あとはやはりチャップリン。『街の灯』にしろ『モダンタイムス』にしろ、もちろん『独裁者』にしろ強烈な社会批判とメッセージ性を兼ね備えていた。最近だとフランスの『世界の果てまでヒャッハー』っていうおバカムービーがあるけれど、社会に対する批判精神や映画としての味も兼ね添えた傑作なんだよ。

 こういうのが映画なんじゃないの?」

 

 

 

3 邦画はどのようになっていくのか?

 

 そこまで告げてハッと気がついた。彼女は頬づえをしながらじっと外を眺めている。ああ、またやってしまった……こういうことを熱く語ってしまうから、映画好きはめんどくさいとか言われてしまうのだろうな。

「どっかの脳科学者みたいだね。批評性とか、そういう風な頭の良さげなことを言ってさ」

 ちょっと言葉に棘を含ませながら、話を始める。視線はこちらに合わせてくれない。

 

「いや、そんなつもりはないけれど……」

「そういう作品もすごいのかもしれないけれどさ、でも私はもっと単純にゲラゲラと笑いたいなぁ……何も考えないでいい、とってもわかりやすい笑いの映画。

 そりゃあさ、映画が好きな人や映画を作る人たちはいっぱい考えていると思うよ? 映画って何だろう? どういう作品が面白いんだろう……てさ。でも、そんなことは考えたくないの。

 君もいつも言っているじゃん。『もっと映画業界が盛り上がれば……』って。

『そのためには映画ファン以外を劇場に入れないと……』って。そのためにはこういう作品も必要なんだよ。だってわかりやすくて面白いもん」 

 ね? と小首をかしげながらようやくこちらと視線が混じり合う。そして彼女は手首を返して時計を見ると、席を立ち上がり、お手洗いに向かっていった。

 

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モブに至るまでチープ感が漂う……

(C)麻生周一/集英社・2017映画「斉木楠雄のΨ難」製作委員会

 

テレビと映画

 

 それも……わかっているのだ。

 演出がどうだとか、ここで伏線が効いて……などという話はほとんど多くの観客には興味がない。映画を支えているのは年間100本観るような熱心なファンではなくて、年に1、2作観るか観ないかという大多数の一般人だからだ。その大多数の一般人をいかに引き込むか……それが映画の肝になっている。

 テレビのお笑い番組を見ればわかる。今は1時間もかかるような落語の大ネタなんてどこもやらない。20分の漫才なんてほとんども放送しない。

 欲しいのは5分のコント、3分の漫才、30秒の定番の流れに、3秒の一発ギャグ……そして観ただけで一瞬でわかる奇抜な、出落ちの服装だ。

 そしてそれが福田監督の手法とテレビが一致して一躍人気監督なった。

 その笑いを映画にしただけなのだろう。

 

 だが、だったらなんでもっと徹底的にテレビ的にしなかったのだろうか?

 そのテレビドラマのチープな笑いを約100分も続けたら、保たないことはわかりきっていたはずだ。あれはテレビの、無料で気楽に眺められる30分から45分の物語だから成立する。芸人だって一緒だ。テレビ用の3分の漫才では寄席に立つことはできない。その媒体には媒体なりの長さが必要で、その長さを維持するためには構造からして作り変えなければいけない。

 短編小説と長編小説では求められる資質が違う。

 いっそのこと『孤独のグルメ』とのセットで45分ずつのセットにすれば良かったのに……

 

 今はまだ福田監督は映画監督としてある程度の成功は収めているのかもしれない。でも、多分それもすぐに終わるだろう。大衆は飽きるものだし、この手法は長く続かない。

 『銀魂』ではアクションを入れてごまかしたものが、こうやって出てきてしまった……そしてこれは『映画』にはなりえない……

 でも意外とこれが主流になったりするのかなぁ……今の邦画はわかりやすさ優先の説明しすぎな演出やセリフでわかりやすく、豪華な出演陣で観客を引き込んでいる。それで言えば、福田作品は『わかりやすく』『豪華な出演陣』で、『マンガ原作』であり、何よりも『安い』

 ……邦画のガラパゴス化はどんどん深まっていくのだろうか。

 

 

 

最後に

 

 雨は降り止むこともなく、次第に強くなっている。台風がくるまでまだ時間があるはずだが、やはり大型というだけのことはあるのだろう。

 この作品を見て1番最初に思ったのが『出来の悪いビューティフルドリーマーだな』ということだった。

  終わらない学園祭、個性豊かな登場人物、超能力的な力が活躍し、徐々にキャラクターが減っていく……ただし、あの革新性や哲学性などの魅力が一切ない、チープなビューティフルドリーマーだ。もしかしたら少しは意識したところもあるのかもしれない。

 

「お待たせ」

 そう言って彼女が戻ってきた。先ほどよりもメイクをしっかりと施し、どこの誰が見ても完璧な、恋する大人の女性になっている。

 そして机の上に置かれた彼女のスマホが着信を告げる。

「もう、行かなきゃ」

 僕はココアを飲んでいて話せないふりをしながら、無言で片手を上げて答えた。そんな僕の様子を気にすることもなく、彼女はさっさと荷物をまとめると雨の店外へと走って出て行った。

 外で傘をさして待っていた男に大きく手を振ると、その1本しかない傘の中に入り、彼の体にもたれ掛かりながら、車道に止まっていた車へと乗り込んでいった。助手席の窓を開けてこちらに向かって大きく手を振るから、僕もまた手を挙げて返事をする。運転席にいる彼も親指を立てるから、僕は中指を立ててやったら笑いながら窓を閉めていた。

 

 現実は……繰り返さない。どれほど願っても同じ時間は訪れない。冷たくなったココアは冷たいままだし、空になったコーヒーカップは空のままだ。

 僕は外を見つめる。雨足はどんどん強くなっていく。

「と〜かいでは〜 じさつ、する わ〜かものが〜ふ〜えている〜」

 気がついたら歌を口づさんでいた。

 

 

 

※今回はいつもと趣向を大きく変えました。

 評判がよければまたいつかやるかもしれないし、悪ければやめますし、何もなければ思いついたらまたやるかも……

 こういう記事を望んでいないという人は申し訳ありません。

 

 

映画ノベライズ 斉木楠雄のΨ難 (JUMP j BOOKS)

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映画「斉木楠雄のΨ難」オリジナル・サウンドトラック

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