物語る亀

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物語愛好者の雑文

本をブログで紹介するならば、小説よりも実用系がいいけれど……

 たまにはちゃんとした本のことでもブログに上げようかなぁ……なんて思いながらも、ここ最近はあまり活字を読めていないので、何をあげるか少し悩むような状況である。

 

 昔は年間100冊前後と、まあ本好きだったらそこそこかな? というほどの数を特に選ばずに雑食に読んでいたのだが、最近は文字を書くばかりで読むことはあまりできていなかった。

 カッコよく言えば、文字は書くものであって、読むものではない!! ……と言いたいのだが、ブログ以外の文章もあまり書けていないのが実情である。

 

 ただ、私は本を紹介するにしても、お役立ち系の俗に言う『自己啓発本』だったり、『ビジネス本』をあげる気はさらさらないのである。

 今回はそんなお話をしていこう。

(変則的な物語論になるのかな?)

 

 

恋愛及び色情

 

 最近、読んでいたのは谷崎潤一郎の陰翳礼讃の中にも収録されている、『恋愛及び色情』という随筆だった。

 

恋愛及び色情 (角川ソフィア文庫)

恋愛及び色情 (角川ソフィア文庫)

 

 

 ちなみに、私は特別谷崎が好きということもなく、その小説は春琴抄などを少し読んだくらいで、特に深い思い入れもない。やはり谷崎や志賀直哉などは文章が簡潔であり、言葉が正しく使われているので、勉強のために読む作家という認識である。

(ちなみに谷崎の作品は一部青空文庫で無料で読めるために良ければ手に取ってほしい)

 純文学なのでエンタメのように面白い作品ではないが、教養のために読んでおいて損はない。

 

 さて、話を『恋愛及び色情』に戻す。

 まずこのような題名だと谷崎潤一郎の恋愛観や色情に関して論じていると思いがちだが、(そしてそれはあながち間違いでもないのだが)私は本作を谷崎流の日本芸術論として読んでいた。

 その中の興味深い記述があったのだが、すべてを書き記すと長くなるため、私が要約して記すことにする。

 

  • 西洋では「恋愛こそが文学である」という論調があり、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も、その風潮に疑問を示す立場ながらも、そのような風潮があることを暗に認めている。
  • 日本は伝統的に「恋」を茶道などで取り入れることはタブー視されていた。文明開化して、恋愛を表現できたとしても、それは女子ども向けの文学や芸術であり、男が一生賭けるような仕事ではない。
  • 日本における文学とは『四書』『五経』『史記』などのような、恋愛等と遠く離れたものである

 

 この後も日本における恋愛観などの面白い考察が続くのだが、今回書きたいことはここまでなので記述は終える。

(ちなみに何故、浮世絵が外人に受けたのかといえば、日本の芸術で恋愛等を前面に出した絵なので外人に受け入れられやすかった、などの考察も続く)

 

 

小説と大説

 

 そもそも何故『小』説なのだろうか?

 『大』説であっても、『中』説でもいいではないか?

 

 この答えもきちんとあって、かつて中国では『大説』も『小説』も存在していた。そのうち、社会や政治など大きなことを語ることや書が『大説』個人の感情や出来事を語るのが『小説』となった。

 その後日本に伝来した際に四書、五経などの『大説』は学問や教養として学ぶようになったが、個人に関する『小説』は単なる娯楽として成立し、別に分けられてしまった。

 

 時代が進み、明治や大正では女、子どもが読むものとして扱われたし、昭和初期でも「本ばかり読むんじゃない!」と叱られたと養老孟司も回想している。小説(純文学)がまだ『娯楽』であるという時代の名残だろう。

 

 今は「本を読みなさい!」と子供の頃に親や先生に言われたし、意識が高い人たちはこぞって同じセリフを吐いている。

(私はこの風潮に若干疑問を感じている)

 だが、この『本』とは雑誌や漫画、ライトノベルではなく、勉学に役に立つ実用書や学術書のことを指している。漫画を読んで「読書中です」なんて言っても呆れられて叱られるだけだろう。

 

読書家の種類

 一言で読書家と括っても、様々なタイプがいる。

 例えば純文学好きもいれば、ミステリーなどの娯楽作品を愛好する人もいれば、学術書しか読まない人もいるだろう。

 この辺りは下の作品がオススメなので、良ければ読んでほしい(有名なWeb漫画だから知っている人も多いかも)

 

今日の早川さん

今日の早川さん

 

  

 その中で現在はてなブログで読書カテゴリーでよくみる新着記事や、おすすめ本まとめの記事などを見ると、多いのはやはりビジネス系や自己啓発本、あとはブログの書き方などの本である。

 個人的には意識高いなぁ……なんて感心やら何やらといったところなのだが、これは先ほどの分類で言うところの『大説』に分類されるような本だろう。

 

売り上げランキングで見る本の価値

 

2015年オリコン売り上げランキング

 ここで2015年に売れた本ランキングを見てみよう。

 

2015年 年間本ランキング『純文学の世界に『火花』ビッグウェーブ!出版界に差し込んだ大きな光』 2ページ目 | ORICON STYLE

 

 このオリコンのランキングによれば、2015年に1番売れた本は又吉直樹の火花であるが、それ以外にはTOP10にも小説はランクインしてこない。ようやく18位で鹿の王がランクインしてくるが、この作品が本屋大賞を受賞したから売れたということは明らかである。

 そして又吉直樹の火花もまた、その作品が優れていたから、というよりも、お笑い芸人が芥川賞をとったから売れたというのは、もはや疑う余地もないことであり、例えば私が同じように火花を一言一句変えずに賞に応募した場合、おそらく芥川賞にノミネートもされなかっただろう。

(こういうと又吉を評価していないようであるが、私は火花は高く評価している)

 

blog.monogatarukame.net

 

 このランキングを見れば、本屋大賞や芥川賞、直木賞のようにメディアが注目する一部の賞を受賞でもしない限り、小説はあまり売れないと見ていい。

 

 

売れる本は実用書

 今更始まった話ではないのだが、明らかに売れる本というものは『ライフハック系』などの実用書であったり、自己啓発やビジネスで使える本である。

 これは先に書いたことと重複するが、ブログにしても同じで、読書カテゴリーでよく紹介される本はやはり実用書であったり、自己啓発の本だったりする。

 

 以前に作家の森博嗣は以下のようなことを語っていた。

 

 小説=熱狂的なファン(小説のファン)がたくさん買う

 エッセイなど=あまり熱のない読者が買う

 

 安定して売れるのは小説なのだが、初めて森博嗣の本を読むという読者の人数で言えばエッセイなどの方が多いという統計になるとのこと。

 つまり、小説というのはごく少数の愛好者が、たくさん買うことによって成り立っている文化だということだ。

 

 これは私も実感として分かることで、フィクションの本が好きな愛好家たちの中では、年間100冊前後という私の年間読破数は決して多い方ではないと思っている。小説が好きな人の中では1日1冊読めるという人もザラにいる。

 本を読む、と言いながら、そのジャンルが経済書や自己啓発書の人ほど、100冊という数に驚くような気がしている。

 

PVを稼ぐなら『大説』

 例え小説のファンが100万人いて、その10%が買ったとしても10万部売れたことになる。

 だが、自己啓発書などの場合はその分母がおそらく10倍は膨れ上がるため、例え5%が買ったとしても50万部はいくのだろう。

(もちろん、5%も買う本を作るのは非常に大変で運も必要なことだが)

 

 特に本というのは消耗品ではなく、賞味期限もない。何冊も買うということは基本的にないし、古本になるのを待つ人もいる。

 そう考えればやはり出版するならば情報として旬のあるビジネス系や自己啓発系、いますぐ役に立つライフハック系にするべきだし、ブログで紹介するにもそのような本の方が需要は多いだろう。

 

 だが、私にはそのようなものを書く気も、読む気も一切ないのである。

 

 長くなるので続きは明日更新します。

 

続き

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谷崎潤一郎随筆集 (岩波文庫 緑 55-7)

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