カエルくん(以下カエル)
「さて、みんなが注目するたけし映画の最新作がここで公開だよ!」
ブログ主(以下主)
「当たり前のようにR15だけれどさ、この映画より暴力的な映画っていくらでもあるような気がするんだよね。映倫の基準ってよくわからんわぁ……」
カエル「やっぱり暴力団の話自体が教育に良くないってのもあるだろうけれど……あと、言葉使いも終始乱暴だし」
主「改め鑑賞してみると思うけれど、こういうわかりやすい暴力団の話って現代的ではないよなぁ。
山一抗争やもっと前の戦後直後の警察組織が今ほど強力でなかった時代ならともかく、暴対法によってかなり締め付けがきつくなって現代では抗争事件そのものが少なくなっている。
まだ見ることができていないけれど、現代の暴力団社会をテーマにした『ヤクザと憲法』などが現代の暴力団社会のリアルを描いているとしたら、やっぱりファンタジーみたいなところはあるよね」
カエル「もちろん、本作はフィクションであるということはわかりきっているけれどさ……」
主「実はそれがこの映画において重要な視点なのかもしれないな。
たけしはアウトレイジは終わっても、まだまだヤクザ映画自体は続けるらしいけれど……」
カエル「いつかは全作を見たし、見なければいけない監督だろうなって評価だしね」
主「果たしてその時はいつ来るのでしょうか?
では感想記事を始めますか」
作品紹介・あらすじ
世界中で評価を集め、日本人の誰もが知る漫才師、北野武監督の最新作。ヤクザを描く作品が多い北野作品の中でも、抗争劇を壮絶に、バイオレンスに描いた『アウトレイジ』シリーズの最終章となる。
1作目では関東最大の暴力団・山王会の内部紛争を、2作目の『アウトレイジ・ビヨンド』では関西の大物暴力団・花菱会と山王会でのゴタゴタを裏で操るマル暴の片岡の暗躍を描いており、本作のその数年後の物語となっている。
大友(北野武)は日本でも縁のあった韓国のフィクサーである張会長の手引きの元、韓国へと渡っていた。デリバリーヘルスの管理をしながらも用心棒の仕事をこなす日々を過ごしていたが、花菱回幹部の花田は訪れていた韓国でトラブルを引き起こし、大友の子分を撃ってしまう。
なんとか穏便に事を済ませたい花田は自分より格上の幹部、中田に相談することに。しかしその裏では花菱会のトップの座をかけた証券マン出身の新会長野村と、若頭である西野の策略が渦巻いているのだった……
新キャストも登場!北野 武監督最新作『アウトレイジ 最終章』特報!
1 感想
カエル「ではいつも通りの一言感想から!」
#アウトレイジ最終章
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2017年10月8日
シリーズで1番好きかなぁ
相変わらず登場人物も多くて話もごちゃごちゃしているけれど、たけし映画らしさを感じた
シリーズラストはやはりああいうものでないとね
ケチや難はあるけれど観ていてよかったなと思った
主「自分はアウトレイジシリーズでは1番好きな作品かな。
むしろ、アウトレイジ1が嫌いだというのもあるんだけれどさ。
その最後になってようやく『ああ、好きなたけしの映画だ』という気持ちになった」
カエル「まあ、残虐描写の強い映画は苦手と公言しているしねぇ」
主「今作はエンタメを意識したらしいけれど……そして確かにエンタメ要素もあるけれど、残虐な描写がエンタメだ、というのは大きな声で反対を表明する。そういうグロテスクな描写を見せることでエンターテイメントになるんだったら、最終的にはスナッフビデオやISなどのテロの映像が娯楽になっていくことにもなりかねない。
もちろん作り物だから……というのはわかるけれどさ。
映像の迫力はともかく、残虐性を売りにするのはさすがに違うだろうというのが個人の意見なわけだ」
カエル「その意見の是非はともかくとして、実際海外でも賛否は割れたみたいな記事も読んだしね。カンヌ向きではないのはわかるけれど、評価が微妙だったとか……」
主「たけしの映画に期待することってそういうことではないんだよね。
はっきりと言えば、1作目がそれなりのヒットをして、2作目を作ると発表した時に『あ、金がないんだな』と思ったよ。ここ最近はヒットするような作品はあまり撮っていなかったし。
カエル「実は1作目もそこまでヒットはしていないし『ビヨンド』で興行収入を2倍にしたのはさすがだけれどね」
主「確かに近年の映画はかなり芸術寄りな作品も多かったから、1度エンタメ要素をかなり爆発させて……揺り戻しというかさ、バランスを取る必要はあったかもしれない。
2作目はまあまあだったかな。1作目ほどではないにしろ、やっぱり後半が……ゴタゴタが始まると途端に微妙になった。
で、3作目はかなり好きな映画でもある」
やはり存在感が圧倒的!
本作の魅力と欠点
カエル「結構多く言われているのが『ソナチネ』ぽいということだよね」
主「自分はソナチネがたけし映画ではトップクラスに好きだから、それを連想させるシーンが出てきた時に『お!』とのめり込んだのは確か。
見たことがない人の簡単に解説すると、ヤクザの抗争から一時撤退して沖縄に行く展開があるけれど、そこで舎弟と遊びまわるシーンがあるんだよね。そういう雰囲気が本当に似ている。
今作も似たシーンを見た瞬間に『これはたけしの映画だ』と納得したし、一気に引き込まれた」
カエル「一方で欠点としたら? やっぱり暴力シーン?」
主「いや、意外と暴力シーンはそこまで過激じゃないよ。多分、1が1番過激で、2、3と勢いは落ちていったかなぁ。ヤクザの恐ろしさを見せてやる! と言っても、暴力の面での恐ろしさは1がMaxだった。
本作より暴力シーンがえげつない映画はいくらでもあるし、今年見た中でもトップクラス! というものではなかったかなぁ。目を背けるほどじゃない。
欠点としては……やっぱりごちゃごちゃはしているところかな」
カエル「まず大友という北野武が演じる一応主人公格がいて、彼が頼る韓国系フィクサーがいる。そしてその敵対する相手として1、2で描かれていた山王会があり、関西の花菱会があり、そこに警察やマル暴も混在するという……
これはちょっと多すぎだよねぇ」
主「しかも陰謀渦巻く物語で、その組織が一枚岩というわけでもない。それぞれ各人の思惑があり、裏切り、裏切られというのがずっと繰り返されている。
正直、見ていて理解できないところもあったよ。『木村組の吉岡が……』とか言われても、木村組は前回出てきたあの組で、吉岡って……誰だっけ? となったりさ。
当たり前だけれど初見では理解できないところもあるだろうし、観たのは劇場公開以来ですよ、って人は話がわかりづらいんじゃないかな?」
2 たけしが描いてきたもの
カエル「主がいう『たけしが撮る意味』ってなんなの?」
主「たけしの映画の多くがヤクザやチンピラなどのような社会の弱者とでもいうのかなぁ……はぐれものというか、まあそういう人たちが主人公なんだよ。
もちろん、反社会的勢力と障害を抱える人や芸術家を一緒にすることは乱暴な物言いかもしれないけれど、暴力団の構成員も元々は被差別地域に暮らす人だったり、国籍が違う人、つまり差別されてきた人たちが集まって生きるために生まれたという側面もあるわけだ」
カエル「本来ならば社会的弱者として生きていた人たちが活路を見出すために、犯罪行為に走るということだね」
主「それはもちろん現代社会では……教育の平等や差別の撤廃ができてきた現代の日本とは前提が違う話だけれど、少し前までは差別が公然と行われてきたのも事実である。
で、おそらくたけしの自意識の中で『芸人なんてろくでもない』という意識があるんだろう。
それこそ社会の落伍者としての意識がある。
これは昔の芸人に多くあったものであって、お笑いといえば落語の時代があったんだよ。漫才師などはお笑いの中でもそこまで評価されていなかった。
今でも変わり種のことを『色物』と呼ぶのは寄席における落語と落語の間にある休憩時間として、漫才や手品があったから。出演表に黒い文字で書かれたのが落語、その他の漫才などは赤文字などの色のついた文字で書かれていた。だから『色物』は『変わり種』と同じ意味となった」
カエル「現代でも太田光なんかは『芸人なんて他の業界じゃ生きていけないロクデナシの集まりだ』みたいなことを言っているよね」
主「多分、たけしあたりの時代の芸人はそういう意識があった。破天荒であることがかっこいいという時代でもあったし。
その差別意識に反感を持って社会の目を変えようとしていたのがその下の世代であって……ダウンタウンやとんねるずなども出てきて、テレビが普及して、笑わせる、楽しませる職業としての『芸人』の地位が向上してきた。現代では芸人を少し下に見ていると思うと、すぐさま反応して『なんで芸人が下なんだ!』と怒る人もいる。
多分、今の若い人たちは芸人を馬鹿にする意識なんて全くないし、理解もできないだろう」
カエル「それでいうと、たけしはそのロクデナシだという意識を持つ世代なんだね」
主「だからたけしの映画って社会的な地位が低かったり、差別を受ける人が主人公であることが多いのだろう」
病気明けとは思えない、圧倒的な迫力がある西田敏行と塩見三省
役者について
カエル「今回も一応主演はたけしということになっているけれど……」
主「……いや、まあ、ね。いつも通りたけしの演技は下手だよ。カミカミだしさ、何言っているかわからない。何をやっても北野武になってしまうところがある。
だけれど、それって昔からずっとそうじゃない?
『戦場のメリークリスマス』からずっと一貫して下手くそ。
だけれど、何とも言えない特別な味わいがあって、たけし以外だとできない味がある。
『バトルロワイアル』もそうでしょ? あの凶悪な教師だけれど、その裏に抱える様々な哀しみを背負った姿を出せるのはたけしだからこそ。
だからさ、たけしは演技がうまい、下手というレベルにはないでしょう。北野武でないと出せない味に満ちている」
カエル「今回は迫力のある役者さんが多かったよね。病気明けだというのも鑑賞後に気がつくぐらい、西田敏行と塩見三省の演技が特に印象深いなぁ」
主「時折『体悪いのかな?』と思わせるようなシーンもあるんだよ。塩見三省の中田の横にはいつも杖があるしさ。だけれど、それが表に出てきていない。それすらも溜め込んで、ヤクザの持つ独特の恐ろしさを醸し出している。
『ビヨンド』の時も確かに良かったけれど、今作の方が深さが増したんじゃないかな? とても良い演技でした」
カエル「それから情けないヤクザだったピエール瀧だったり、セコそうな役がピッタリとはまる大杉漣も味があったね」
主「よくよく考えてみるとこの作品で若いキャストって誰になるんだろうな?
もちろんモブのような扱いで若いお姉ちゃんは出てくるけれど、多分……大森南朋が最年少になるのかね?
おじさん達の味が詰まった、見事な演技合戦でありました」
以下ネタバレあり
3 ヤクザ映画と時代
カエル「では、ここからは作品の内容により直接的に言及することになりますが……」
主「やっぱり、今の時代にヤクザ映画は流行らないよな、というのが1番の感想かなぁ。流行らない、というかハードルが多すぎるというかさ。
ヤクザ映画が全盛だったこと、深作欣二などが撮っていた頃というのがヤクザがまだ身近にあっただろうし、その暴力事件などが身近にあった時代なんだよ。何かあればチャカを振り回す、すぐに人を殺す、お勤めすればご苦労さん……そんな時代。
だけれど、今はそんな時代じゃない」
カエル「アニメ、ヤクザ、チャンバラ(時代劇)がテレビ局でも視聴率の取れない割にはお金がかかるやっかいなジャンルであるという話もあるしねぇ」
主「そのヤクザ映画の衰退の代わりに台頭してきたのがヤンキー作品であるわけ。こちらは暴力団同士の抗争ほど派手ではないけれど、かなり痛々しい暴力表現も出来る。
しかも若手の役者を使い放題だし、倫理的にもギリギリ引っかからない。だからヤンキーを題材にした映画などが登場する。時代が時代だったらEXILEあたりがヤンキー映画ではなくて、ヤクザ映画を撮っていただろうね」
カエル「それがこの映画とどう関係してくるの?」
主「本作の主人公である大友ってさ、一応『義理人情にあつい昔気質のヤクザ』って設定なのよ。いや、本当か? って思いもあるんだけれど……
ヤクザの中身もかなり変化している。昔は切った張った、カチコミだと言っていた武闘派たちが次々と居場所をなくしていき、仁義を重要視するような人よりも金計算が上手な方が上に立ちやすくなった。結局、3作品とも描いているのは『暴力団の情勢の変化』なんだよね」
カエル「なんかさぁ、江戸時代のお侍さんみたいだよね。
刀や戦が重要視されていたのにも関わらず、いざ太平の世が訪れるとソロバン勘定ができる人だけが必要になるという……」
主「その意味では大友も同じなんだよね。
結局、昔気質の武闘派には居場所はない。
それで生まれてしまった歪みを全て清算してくれるからこそ、あの圧倒的な暴力がエンタメとして成立しているのだろう……と思う。
ファンタジーではあるよ? なんで大友には銃弾が当たらないのか……とかさ。
でもそれこそがヤクザ映画の最後の意地のようにも見えるわけだ」
セコイ会長を見事に演じた大杉漣。やはりこの手の役がすごく似合う……
ヤクザ映画の終焉……?
カエル「これってあのラストにもつながるわけだよね?」
主「色々な人たちが次々と死んでいき、大友の最後がどのようになるのかは直接的には語らないけれど、まあピカレスクロマンの王道だよね。そしてたけし映画の王道でもある。
あのラストはナルシズムの権化とも言えるんだけれど、それと同様に『ヤクザ映画の終焉』をも告げているような気すらしてくる」
カエル「……まあ、アウトレイジが北野武の名前がない場合、ここまでの大規模上映をしてくれるとは思えないのも事実なわけで……」
主「ヤクザ映画ってさ、深作欣二などで一気に隆盛を極めたけれど、あの男像そのものがもはや時代遅れの産物なんだろう。義理人情に厚くて、じっと耐えて、最後は全力を振り絞って解決する……それがエンタメとして成立する時代ではなくなってきた。それがかっこいい男にはならない時代になった。
だから大友の存在って作品の中でも浮いているのではないか?
多分、大友の強さって『腹をくくった強さ』なんだよ。本当にいつ死んでもいいと思っている。だから躊躇がないし、強い。それはある意味では北野武と直結しているものかもしれない。
本作はたけしの死生観とともに、ヤクザ映画の終焉すらも……表したんじゃないかな?」
カエル「まだヤクザ映画を撮る意欲はあるようだけれどね」
主「でも、多分その形自体は変わるんじゃないかな?
暴力が男を上げるという時代でもないしさ。
だから最後にあれをやった。ああすることで、すべての罪を清算したのと同時に、その終焉を描いた。
あのあたりはたけしのお笑いとも直結していて……たけしって最後は自分が痛い目にあったり、ボケたりするんだよね。軍団だけに任せない。未だに被り物をして、バカを全力でやっている。
そういう美学があるんだろう。
間違いなく言えるのは、最終章だからこできるラストだった……ということだな」
最後に
カエル「じゃあ、最後になるけれど……」
主「アウトレイジに関しては3部作あってのアウトレイジだし、この3つで完結する物語だろう。
まあ、圧倒的に面白いとまでは言わないし、アウトレイジを見るなら『ソナチネ』の方をお勧めするけれど……でも観てよかったと言えるだったな」
カエル「芸能人監督で唯一成功している人じゃない?
なんでたけしだけが成功するんだろう?」
主「特殊な美学などがあるんだよ。お笑い芸人が映画を撮ろうとすると、必ずと言ってもいいほど『お笑いとは何か?』という要素が入ってしまう。それが余計なノイズになるんだよ。
笑いをテーマにせずに、暴力をテーマにしている。そして死生観が見事で味がある。上手い下手とかを超えた映画になるんじゃないかな。
だから自分も全部観たいなぁと思うし、多くの観客を惹きつけるんだろうな」