カエルくん(以下カエル)
「では、ここ数年でも大きな注目を集めたアニメ映画作品について語っていきましょう!」
ブログ主(以下主)
「もうすでに語り尽くされた感もあるけれどね……」
カエル「2013年に公開だったから、もう4年になるんだね。
公開当初の盛り上がりは本当にすごくて、ネットやオタク界ではこの映画が話題の中心にあって、誰もが語っていた記憶があるなぁ。
当時の興奮そのままに伝えられたら、相当熱い記事になるんだろうけれど……」
主「まどマギに関してはやっぱりみんな思うところがあるのか、その感想がかなり深みを増している。
当時考えたことを今再び思い返そうと思っても、それは中々難しくて……その意味では新鮮味があまり無いような記事になるかもしれませんが、ご容赦ください」
カエル「ちなみに主はテレビアニメ版のまどかマギカはそこまで高く評価していませんでした」
主「いやいや、だから語弊があるって。確かに面白いし、多くの人を魅了したのはわかるけれど、あの当時は確か木曜日の深夜に放送されていたんだよね。
で、自分はその裏で放送されていた、ノイタミナの『放浪息子』にどハマりしていたの。その余韻が抜けきらないでまどマギを見たから、ちょっと評価がしづらかった。
『なんでみんな放浪息子を見ないんだ!』って気分だったし」
カエル「そんな人間が一気に評価を覆したのも、やはり劇場版があったからで……
では、ここから先の感想などを語っていきましょう!」
作品紹介・あらすじ
2011年にテレビ放送されて大きな話題を呼び、高い評価を獲得した『魔法少女まどか☆マギカ』を総集編映画2部作制作された後、その続編として制作された完全新作の長編作品。
総監督には引き続き新房昭之、監督に総集編2部作も手がけた宮本幸裕、脚本に虚淵玄、音楽に梶浦由記とテレビシリーズと同じスタッフが再集結、また、独特な世界観を表現する劇団イヌカレーが異空間設計を担当している。
鹿目まどかに奇跡によって魔法少女が残酷な運命の連鎖から脱出した魔法少女たちではあるが、彼女たちには魔獣との戦いが残されていた。5人揃っての楽しく学校生活を送りながらも、敵と戦う日々。しかし、そんな時にちょっとした疑問が澱のように積みかさなり、暁美ほむらはある事実を確信する……
劇場版「魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語」劇場予告編 2013年10月26日公開
1 感想
カエル「というわけで、公開当時は若干賛否があったように記憶しているけれど、どういう感想を抱いたの?」
主「もう大絶賛だった。
多分、今現在公開されたら1万文字クラスの記事が2つは書いただろうし、相当な熱を込めて語ったはず。
もちろん、月間TOP1位なのはほぼ間違い無いし、年間TOP10だって十分にあり得る、2010年代を代表する大傑作なのは間違いない。
少なくとも、この作品を持ってして日本アニメ界はまた1つ高いステージに登ったとも思っている」
カエル「誰もが認める10年に1度の名作だしね」
主「今作で自分が1番評価したいのが、あの独特の映像表現なんだよね。
劇団イヌカレーがデザインした世界観が本当に素晴らしい。もっとこの部分を評価してもいいと思うんだよ」
カエル「もちろん大きな特徴として語られることは多いけれどね」
主「アニメーション表現の最先端を行くために世界中のアニメ作品が様々な表現を模索している。例えば日本では『かぐや姫の物語』は独特なタッチの絵を動かすことに尽力しているし、『ゴッホ〜最後の手紙〜』は全編油絵の長編作品を作り上げてしまった。他にも絵を使わないアニメーションとして短編アニメーションではあるけれど『おちびさん』という作品もあり、こちらは落ち葉やお弁当を動かすという画期的なアニメーションになっている」
カエル「アニメーション表現にも色々な形があるという話だね」
主「だけれど、その手の作品は……特に長編になってしまうと、表現技法の方に目がいってしまって、物語の深みやメッセージ性を失ってしまうことも珍しくない。
このこと自体は、実はそこまで非難することでもないのかもしれないけれど……」
カエル「え? 非難しないの?」
主「アニメーションってちょっと特殊な業界だからさ、その絵を動かすこと、表現技法の方が重要視されることが非常に多い。子供向けな作品であったり、物語や脚本術としては難点がある作品も結構多い。
日本のアニメはそこに大人向けの(オタク向けの)物語性を獲得することによって独特の進化と遂げてきた。
そもそもテレビアニメのスタートが手塚治虫の鉄腕アトムだしね」
カエル「以前にも語ったことなので、詳しくはこちらの記事をご覧ください」
主「だから海外のアニメーション映画を見ていて辛いのが、子供向けだったり物語にエンタメ性が感じらない作品もあること。
言葉を排除し、絵や動きで物語を魅せる……これは確かにアニメーションで重要なことである。そしてそれが行き着いたのが『レッドタートル ある島の物語』のような全編台詞なしのアニメーションである。
だけれどさ、それって面白いのか? と言われると……また別の問題なんだよね」
蒼樹うめのキャラクターデザイン
カエル「本作は深い哲学性なども感じられる作品だよね」
主「それと同時にエンタメ性を確保するためにある工夫をしている。それが蒼樹うめが担当したキャラクターデザインである。
もちろん、シャフトと蒼樹うめの関係性は深くて、『ひだまりスケッチ』などの作品があるけれど、ここで重要なのは『なぜ蒼樹うめなのか?』ということなんだよ。
カエル「……やっぱり萌えを狙ったんじゃない?」
主「もちろん、現代日本人のオタクが求める『萌え』が発揮されているキャラクターデザインでもある。
それと同時に蒼樹うめはすごくシンプルなデザインだよね。基本的に丸が主体だし。
これが例えば『化物語』などのようなキャラクターデザインだと、それがイヌカレー空間に乗った場合に情報量が多くなりすぎるし、おそらく派手なアクションも動かしづらい。
どちらかというとリアルな頭身のアニメキャラクターではなく、デフォルメされた人形のような、あるいは子供向けアニメのようなキャラクターデザインにしたことも重要」
カエル「最初はこのデザインから『子供向け魔法少女アニメなのかな?』と思いきや……というギャップを狙ったところもあるだろうしね」
スタッフの味
主「そして脚本を務めるのは虚淵玄である。かなり癖のある脚本家だけれど、今作で描いていることは……例えばヤクザ映画とかさ、そういうジャンルをちょっとマイルドにしてSFを足したと思えば結構納得行くと思うんだよ。
つまり、魔法少女ではなくて、魔獣が例えば中国マフィアでさ、それと戦うヤクザとか不良たちの物語」
カエル「時に裏切りがあり、そして悲しい別れがあり、疑心暗鬼になって、それでも親友を守りたいという思いがあって……ということだね」
主「そして音楽は梶浦由記である。
現代の大作アニメを多く手がけているけれど、壮大な世界観などを構成する上ではとても心強い音楽家でもある。
これは新房シャフトの味でもあるけれど、つまり本作はその方向性があべこべなわけ。芸術的なアニメーションの要素を持つイヌカレー空間に、萌えを意識した可愛らしい蒼樹うめのキャラクター設定、男臭い虚淵玄のキャラクターに、壮大で独特の世界観を演出する梶浦由記の音楽……
だけれど、これが奇跡的に合致してうまくいった作品でもある。
つまり芸術的なだけではなく、萌えの持つエンタメ性を獲得して日本のオタクでも見やすい映画にして、さらに男臭い物語でギャップと萌えの持つ可愛らしさだけでない骨太な物語性を獲得し、そして世界を相手に戦う魔法少女たちをより応援するようなエンタメ性の高い音楽がつくわけだ」
カエル「この座組が奇跡的な融合を果たした時に面白い爆発を見せたわけだね」
主「賭けでもあるけれど、この博打に見事に勝って歴史的な大勝を果たしたから大したものだよ。
まあ、そのあとで『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』で座組が奇跡的に大失敗を遂げるんだけれどね……いや、今でもあの作品は傑作だと思っているけれど!
でもあれだけ賛否が分かれると興行として成功したのか? というのはちょっと微妙かもね」
2 本作の補助線となる作品
カエル「ではいよいよ本作の内容へと踏み込んでいくことにするけれど、ここは後発ゆえの悩みで、どのような視点で語るか迷うよねぇ」
主「多くの人が『デビルマン』とか『ベルセルク』とかを引用して語っているし、それ自体は正解どころか、完璧に的を得ている指摘なんだけれど……後発だとそういうことを言うわけにはいかない。
じゃあ、自分はどういった作品を補助線として引こうかなぁ……と悩んで、見つけ出した1作がこちら!」
カエル「ミザリー?
キング原作でロブ・ライナー監督のホラー映画の傑作だけれど……」
主「多分この映画を上げた人はいないんじゃないかな?」
カエル「……その奇抜さだけで意味がないというのはやめてよ。
簡単にあらすじを紹介すると、人気小説家のシェルダンが車で事故を起こしてしまう。そこを助けてくれたのが元看護婦のアニーであって、彼女は彼の描く小説のキャラクターであるミザリーのことが大好きなんだ。だけれど、その小説はミザリーが亡くなることで完結する。
そのことを最新刊を読んだアニーは、そのラストが気にくわないとシェルダンに迫る、という内容だね」
主「ミザリーに登場するアニーは醜いおばさんなんだよ。それが鬼気迫る表情で迫ってくるから、サイコホラーの傑作でもある」
カエル「でもさ、それがまどマギとどう関係してくるの?」
主「まどマギと構造的には似ているところがあるんだよ。
どういうことかというと、まどマギはまどか(ほむらを含む)目線で物語が進行していくけれど、ミザリーはシェルダン目線で物語が進行する。
だからこそ……逆の立場で物語を語ることができるんだ」
カエル「……訳がわからないよ」
まどマギの構図
主「簡単に言うとこういう構図になる」
シェルダン=きゅうベェ(作者)
ミザリー=まどか(キャラクター、登場人物)
アニー=ほむら(ファン)
主「つまり、本作はアニー=ほむらが愛する登場人物であるミザリー=まどかを救うために奔走する物語でもある。
だけれど、この過酷な運命を打破することはできない。なぜならば、どれほど努力したところで、そのミザリー=まどかの運命を決めた存在……つまり作者であるシェルダン=きゅうベェの意思は変わらないからだ」
カエル「……中々大胆なことを」
主「ここで大事なのは、シェルダンの目線に立つということ。
つまり、ミザリーを作中で死ぬように仕向けたことによって、物語として大きな意味を持つ。
ここでミザリーが生き延びてしまうようなことになれば、その意味を大きく損なってしまうんだ。
つまり、宇宙全体のエネルギーのためにまどかに犠牲になってもらおうというきゅうベェの思惑と同じなんだよ。
全体を活かすために、個人の犠牲を強いるんだ」
カエル「となると……ほむらは?」
主「アニー=ほむらは頑張ってその結果を覆そうとするけれど、それは全く上手くいかない。なぜならば、どんなに作者を傷つけようと、その結果を変えることはないし、変える意味もない。ミザリー=まどかに思い入れが……ないわけではないけれど、結局は全体を生かすための駒でしかないからね。
そしてアニーの革新は失敗することになる……暴力であったり、作者に戦いを挑んだところで結果は変わらないからだ。
でもね、まどマギはさらにその先を行くんだよ」
カエル「……先に?」
主「本作は『魔法少女』の物語だよ?
奇跡も、魔法も、あるんだよ」
魔法によって引き起こされる奇跡
カエル「本来ならば負けてしまい、ミザリーを救うことはできないはずのアニーだけれど……ほむらはまどかを救うことができるよね」
主「これが『魔法』のいいところでもあるけれどさ……つまり、主人公を……まどかを作者の手から解放するんだよね。
『私はこの物語をなかったことにする』という大どんでん返しを起こして、物語自体を変えてしまう。もちろん、これはミザリーの物語では不可能なんだよ。この作品が魔法を扱うからこそできる、ファンタジーである」
カエル「それによって魔法少女の理を変えてしまって、結局、それでもまどかとほむらは別れ離れになってしまうんだ……」
主「物語自体が変わっているから。
まどかが存在しているからこその物語だったけれど、その物語がなくなってしまえばまどかも存在しなくなる。そもそもの物語がないから、世界中の誰もが覚えていることはできない。
だけれど、ファンであるほむらはその存在を忘れないわけだ。
永遠に覚えている。
そして再びその存在に出会えるように、戦い続けている……それがテレビ版のまどマギのストーリーだ」
3 そして劇場版へ
カエル「えー、ようやく劇場版の話に入ります。毎度のこととはいえ、その前説が長いよねぇ」
主「あの公開当時だったもっと長くなっていたよ。
で、劇場版は不思議な世界に入り込む。
これをどのように説明するのか? というと……自分はやはり二次創作とか、自分でその物語を創造してしまったということを挙げたい」
カエル「2次創作?」
カエル「あの映画のスタートを見たとき……あの『ケーキ、ケーキ』と歌うシーンを見たとき、みんなが見たかった、もしくは放送開始当初で予想していた魔法少女アニメってあんな感じだったんじゃないかな?
萌えキャラたちが不思議な世界観を舞台に、ときに戦い、みんなで笑ってお茶をして……という世界。結論から言うと、やっぱりあの世界はほむらが作り出した理想の世界だったわけだ。
つまり、まどかというキャラクター達と再び会いたいほむらが生み出した2次創作……それがあの劇場版なわけだ」
カエル「……でもさ、その試み自体はほむらの暴走によって、悲しいことになってしまうよね?」
主「自分の歪んだ愛によって作り出した世界……でも、さやかが語るように『そんなに悪いものなの?』ということなんだよ。ファンによって作り出された2次創作であり、確かにそれは歪んでいるかもしれないし、全然違うものかもしれないけれど、そうやって手を取り合って生きることを願うこと、そしてそれを描くことは、別に悪いことではない。
でも、ほむらはそれに満足しない。
自分が見たいのは『あの頃のまどか』であり、本流の……本物のまどかである。
それが見られないならば、自分が作り出した2次創作なんてものは破壊してもいいんだよ」
そして物語は未知の領域へ……
カエル「そして最後にはああいうことになってしまうわけだけれど……」
主「神となり姿を消したまどか……つまりキャラクターと再び邂逅を果たし、その力を掠め取ったほむら……つまりファンだよね。これはどのような意味かというと、その物語に介入する権利を勝ち取ったわけだ。
まあ、物語のファンがこうじて、編集権を勝ち取ったとでもいうのかな。
ただし、ほむらはあくまでもそのファンでしかなく、2次創作の作者でしかなかった。
だからこそ、キャラクターは喪失したけれど本来の作者であるきゅうべぇの力を借りることにしたわけだ」
カエル「つまり……どういうこと?」
主「結局は、本作は『愛』の物語なんだよ。
だけれど、その愛はLOVEだけじゃない。その愛の裏に含まれる、もっと深いもの……つまり、人間の感情の極みであり、希望よりも熱く、絶望よりも深いもの……それが愛である。
この言葉を放った瞬間に自分は今作が今後10年間で最上級に評価されるべき物語であるということを確信した。それほど衝撃で、カタルシスの感じる一言だったね」
カエル「愛の物語……ね」
主「多くの作品で普遍的に語られがちな愛とは、もっと真っ当な愛である。
『愛は地球を救う』なんていう綺麗事の愛だ。
でも、それって自分に言わせればおかしい。戦争や紛争、トラブルの原因もその多くは愛なんだよ。神への愛、家族や国家への愛、自己愛……それらのある種のエゴとエゴがぶつかりあって、問題を抱える。
より正確に語るならば『地球を救うもの、地球を滅ぼすもの、それは愛である』ということになるね」
カエル「……なんか厨二っぽい」
主「でもそういうことだから。
本作は自分は『物語』として語った。でも見る人が見たら神様への信仰心、その愛について語った作品と受け取る人もいるだろう。
それから、もっと単純に恋愛感情として受け取ることもできる。
本作の語る愛は、アガペー、ストルゲー、フィリア、エロス、その4つの全てを内包している、非常に重要な愛だ。
そのような様々な愛を内包した作品……それがまどかマギカであり、たとえ悪魔になっても神やキャラクターを愛し続けるという、壮絶な決意をその圧倒的な映像表現で見せつけたのが、本作の最大の魅力なんじゃないだろうか?」
最後に
カエル「というわけで、旧作のまどかマギカについて語ってきました。
とても高く評価している1作であり、また高く評価されるべき作品でもあるということで語っていったけれど……」
主「いや、やっぱり名作だよ。少なくともこの10年間のベスト10には間違いなく入ってくるし、その意義などもあるし」
カエル「……ちなみに、なんでこのタイミングで記事にしたの?」
主「え? なんとなくクリスマスっぽくない?
ケーキもたくさん出てくるし、ファンシーだし」
カエル「……あのまどか降臨のシーンは仏教のイメージなんじゃなかったっけ?」
主「だったらさらにすごくない? キリスト教のイメージも、仏教のイメージも兼ね備えているんだよ? イスラムはちょっとあれだからうかつに触れられないけれど……最強の組み合わせじゃない?」
カエル「……それで片つけていいのかなぁ?」