物語る亀

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物語愛好者の雑文

藤原啓治さんについて

 自分のようなアドセンスやアフィリエイトを貼るようなブログの場合、あまり人の死などの内容には触れない方がいいのかもしれない。初期の頃は、いくつか亡くなられた方の記事も書いていたが、今ではすっかり触れないようにしていた。

 

 だけれど、やはりこの方については、触れなければいけないのではないか、という思いが強い。

 なので、ブログ共通のアドセンスは外せないけれど、この記事自体にはアドセンスを張らないことで、ご容赦願いたい。

 それだけ、藤原啓治さんの死には大きな衝撃を受けてしまった。

 

 

 

 自分は藤原啓治さんの声は、そこにいるのが当たり前かのように、子供の頃から聞いていた。

 『クレヨンしんちゃん』の野原ひろしもそうだったが、何よりも印象深いのは『トランスフォーマー ビーストウォーズ』のダイノボットだった。子安武人、千葉繁、高木渉、山口勝平などの花形声優がアドリブ合戦を繰り広げて、その軽妙な語り口が今でも伝説のようになっている。

 とはいっても、子供の頃は声優を意識することは少ない。野原ひろしは野原ひろしであり、ダイノボットはダイノボットで、それが藤原啓治という名前に繋がることは少なかった。多分、それは子供向けアニメとしては、むしろ正しいことなのだろう。

 

 

 そんな中で、藤原啓治という人を強く意識したのは『十兵衛ちゃん2 シベリア柳生の逆襲』だった。このあたりはTwitterでまとめて語ったが、改めて語らせていただく。

 

 

 十兵衛ちゃんシリーズの主人公、菜ノ花自由は普段は父親と2人暮らしをする中学生だが、ラブリー眼帯をつけると、2代目柳生十兵衛に変身する。それだけ聞くと、なんだか変な話に聞こえるかもしれないし、実際に大地丙太郎監督らしい、ハイテンションなギャグ描写も多い。

 自分はこの作品は、放送当時に1回しか見ていない。しかも、十兵衛ちゃん1を観ないで、2しか観ていないという不良視聴者である。それでも、そんな人間の心を掴んで離さないシーンがある。

 それが、第11話『真路を決めるときだった』の回だ。

 

 十兵衛ちゃん2は、ラブリー眼帯を狙いにシベリアからやってきた柳生十兵衛の娘であるフリーシャとの確執が話の中心となる。300年前に死んだ柳生十兵衛の娘がロシア人とのハーフ、さらに氷漬けになり現代に蘇るという設定はキャプテン・アメリカもビックリなトンデモなのだが、ギャグ描写としての本作の魅力の1つとも言えるだろう。

 自由は友人となったフリーシャを斬ることができずに、どのような道を選べばいいか悩み、立ち直れなくなる。

 だけれど、周囲からは戦うことを望まれてしまう。

 

 ある人は「ラブリー眼帯の力を手にして、多くの人を300年の呪縛から解き放て」と告げる。

 ある人は「自由の友達や、自分の仲間を救うために、再び刀をとりフリーシャと対決してくれ」と懇願する。

 ある人は「偽物の十兵衛であるフリーシャを自分が斬るから、帰ってきたら手合わせしてくれ」と告げる。

 みな、自由が再び戦うことを願っている。物語の王道からすれば、失意に沈む主人公が再び立ち上がり、力を手にしてかつての友人であり、最強の敵と戦いにいく場面だろう。

 

 だけれど、そこで自由の父親である彩(CV藤原啓治)が登場する。

「こういう場面で父親が出てくるアニメはない」とメタなギャグ発言に対して、彩は「十兵衛は俺の娘だ! たった一人の俺の娘だ!」と声を張り上げる。

 そして、自由に告げる。

 

 

「俺もたくさん逃げてきた。いいんだ、逃げても。逃げろ逃げろ。人間、逃げたいときはいくらでもある。逃げろ逃げろ。どんどん逃げろ」

 

「自分で決めろ。お前ももう中学3年だ。自分の進路は、自分で決めろ。どんな答えを出しても構わない。俺は止めない。お前のやりたいようにやれ」

 

「なんだ、失敗が怖いのか。失敗してもいい。自分で決めろ。失敗はな、失敗してみないとわからないんだろう」

 

「やり直せ。やり直すんだ、失敗したら。何回だって。俺なんかいっつもそうだ。

 お前が1番やりたいことをやれ。

 心のままにやれ」

 

 

 

 友を、多くの人の思いを受け止めることが、中学3年生の普通の少女に簡単にできることではない。結果的に自由はラブリー眼帯を手にし、十兵衛になることを決意する。だけれど、ここで

”逃げる”

”自分で選ぶ”

 という選択肢を与えられたことにより、自発的な思いが宿る。

 

 「逃げちゃダメだ」と震える自分を鼓舞するのでなく。

 「やりなさい」と命令されるのでなく。

 自分で思いを受け止め、自分で選び、自分で立ち向かう。

 そう促す父親像を演じたのが、藤原啓治さんだった。

 

 

 藤原啓治さんは芸達者だったから、多くの役に恵まれた。時にはコミカルな役から、戦闘狂の悪役まで、なんでも演じていた。

 だけれど、やはり1番印象に残るのは”誰かを導く大人”の役だった。

 

 それは野原ひろしも、ヒューズ中佐も、ホランドも、トニー・スタークも同じだった。

 野原ひろしというキャラクターは、それまでは”子供の父親”に過ぎなかった子供向けファミリーアニメのお父さんを”野原ひろし”という個人にまで昇華させた。そこには弱さがあり、強さがあり、優しさがあり、コミカルな魅力があり、個性があり、血肉の通った人物がいた。

 今では”理想の父親像”の1つとして認知されるようになったのも、藤原さんの声の演技・魅力もあることだろう。

 

 

 

 自分が深く印象に残っているのは『BSアニメ夜話』にて、『クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲』の回に出演されていた姿だった。

 トレードマークとも言えるサングラス姿で、少し緊張した面持ちで、作品のお話をされていた。岡田斗司夫、唐沢俊一、立川志らくなどの癖の強いメンバーに囲まれた中で、ゲストの国生さゆりに「サングラスとってください、せっかく素敵なお顔なのに」と促されて、サングラスを外す姿が印象に残る。

 余談だが、この回の国生さゆりは周囲をよく観察し、癖の強いメンバーの話を時には笑いに変えるなどの気遣いを見せていた。この発言もNHKのテレビ番組でのサングラス姿を、快く思わないであろう視聴者がいることを、藤原さんに気づかれないように柔らかく指摘していると解釈できる。それに気がついたのか、それとも美女の言葉に照れたような表情が、とても深く印象に残った。

 

 中盤のひろしの回想シーンでは「あの場面のひろしは完全にボクなんですよ。収録中ずっと、自分の父親のことを思い出していました」と語っている。時には岡田の意見に対して「僕も岡田さんがおっしゃるような思いで、演じているような気がしてきました」などと、柔和な笑みを浮かべていた。

 

 

 ご病気の上で、ひろしの役を降りた時、やはり寂しい思いをしてしまった。近年の映画作品を見る時のひろしの声が、そして『夜は短し歩けよ乙女』の樋口師匠の声が、藤原さんでないことが大きな違和感となってしまい、お体のことがあるとはいえ、早く戻ってきてくれないかな、と思うことが多かった。

 特にトニー・スタークなどは引き続いて演じられていたからこそ、ファンからみたら、なぜ、という思いがあったのも事実だ。

 だけれど、それは懸命な治療の上での、お仕事だった。

 

 本当に、本当にここまで書いておきながらも、言葉にならない思いがあります。

 まだ、ご冥福をお祈りしますとか、そういうことを言いたくない自分がいます。

 それだけ、大きな、本当に大きな存在でした。

 

 ありがとうございました。