物語る亀

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物語愛好者の雑文

クレイジージャーニー〜藤沢秀行を見たので個人的に好きな無頼派をまとめてみた

 4月22日に放送された久々のクレイジージャーニーが藤沢秀行を紹介していた。

 破天荒な無頼派ということで、個人的に好きな無頼派の志士をまとめてみた。ちなみに私は無頼派の人間というだけで非常に魅力的に感じるタイプなので、今週の藤沢秀行はツボだった。(今回紹介する人物は非常に有名な人物ばかりなので悪しからず)

 昭和だから存在できたような人物だろうが、今こういう人がいないから面白味のない人間ばかりになるんだろうな。実際近くにいたら困るが、見ている分ならこれほど面白い人間もいない。今なら誰だろう、伊集院静が一番近いのかな?

 坂上忍なんか歴代無頼派の中ではかわいいものだし……

 

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  作家界の無頼派 坂口安吾

 優秀な小説家ほど人間性はクズ、というのがよくある話ではあるが、明治から昭和にかけてトンデモナイ人間ばかりだが、特に強く惹かれるのが坂口安吾である。私が一番好きな作家でもある。

 

 小説界で無頼派というと太宰治が浮かぶが、太宰が女と自殺に依存して女々しさを感じるのに対して、安吾はその孤高な生き様というのが目につく。酒、睡眠薬、ヒロポン(覚せい剤)を使用しながらも、決して自殺などで逃げることはなかった。

 

『生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。』

 坂口安吾 不良少年とキリスト

 

 この作品は安吾が自殺した太宰治について語っている物であるが、太宰という人間の本質をこれほどついたものはないと私は確信するほどの作品である。

 無頼派というと坂口安吾、太宰治、織田作之助の3人がよくセットで語られるが、織田は名を残すには5年早く死に、坂口は5年遅く、太宰がちょうどいい時に死んだ。だが、ここで最後まで生き抜いたということが重要だと私は考える。

 

 なぜそれほど魅力的に感じるのかというと、私は正直に言って坂口安吾の小説は上手いとは全く思わない。代表作のほぼ全てが短編であり、長編作品は失敗しているようにしか見えない。しかもどちらかというとエッセイ風の伝記的小説(私小説という呼び方は嫌っていた)の方が人気を博しているだろう。

 

 安吾の最も素晴らしい部分は力強い文章である。

 言っていること、やっている行動は正直メチャクチャなのだが、なんとも言えない説得力がある。堕落論などまさしくそうで、人間よ堕落せよ、頑張るな、とメチャクチャなことを言っているのだが、これほどの力強い文章を書ける作家はそうそういない。

 

 安吾だけで記事が終わるのでこの辺にしておこう。

 

 

落語会の異端児 立川談志

 テレビ等でも非常に有名な談志師匠。おそらく、日本で一番有名な落語家だった時期もあるのではないだろうか。

 

 今に続く笑点を立ち上げるなど様々な功績がある一方、起こした騒動の数もまた多く、国会議員になって沖縄担当のお役人になったかと思えば、「酒の方が大事だ」と暴言を吐き、その資質を問う委員会の場に『寄席に行くために』欠席するという常識のなさ。

 さらに言えば落語協会分裂騒動でも重要な役割を果たし、さらに立川流家元として独立を果たすなどのハチャメチャぶり。

 

 しかし落語の腕は天下一品であり、現在の一流落語家や愛好家の誰に聞いても「男子は天才」と答えるほどの実力を備える。

 話していることはまさにメチャクチャなこともあるのだが、落語にかける情熱は非常に熱く、今でも本や動画で拝見すると何とも言えない迫力に飲み込まれそうになる。ビートたけしを小馬鹿にするようなことを言えたのも、この人が最後かもしれない。

 

将棋界の革命児 升田幸三

 碁界に藤沢あれば、棋界に升田ありと称されるほどの無頼漢。

 とはいうものの、酒と女と放言で無頼派と呼ばれる藤沢と違い、升田にはタバコと酒は大好きだがそこまでのハチャメチャさは感じられない。

 では何が無頼派と称されるのか、というと、それは『定跡に囚われない新手』である。現在に続く戦法の多くは升田幸三が発明したと言っても過言ではなく、将棋界を一新した人物なのは間違いない。(代表例が升田式石田流、棒銀、居飛車穴熊など)

 

 昔から才能はあったものの、どうにも定跡を覚えることができない。なので新手を創り上げることによって上へと上り詰めることにした、と物の本に書いてあったが、なるほどと思わせることも多い。谷川浩司が大山康晴と升田幸三について話をしていることがあったが「大山先生は勝負師の部分が7割を占め、升田先生は明らかに芸術家の部分が7割だった気がする」と話しているが、これが中々興味深い。

 その独特な風貌も相まって無頼と呼ばれることも多いが、運に頼るギャンブルはやらない、それは勝負師ではなく賭博師という、などという名言も残しており、実はその閃きの上に成り立つ努力の人としての面も持つ。

 

野球界の求道者 榎本喜八

 近年亡くなったこともあってか再評価されている野球界のレジェンド、榎本喜八。高卒1年目では清原と並ぶ成績を残し、天才中の天才と称された男。それはプライドの塊である張本勲も「勝てないと思ったのは王ちゃんと榎本だけ」と称するなど、他を圧倒するものがあった。

 

 しかしその理論は独特であり「体が生きて間が合えば、必ずヒットになる」という確かにそうなのだろうが、ではどう合わせるのかわからないようなことをつぶやいていたというし、極め付けは「臍下丹田に気持ちを沈め、そこから五体を結ぶ」などという理論を披露する、長嶋を超える感覚派。

 それゆえに感覚が狂うと非常に苦しみも大きいようで、現代ならば違法薬物を疑われるような奇行の末に、自宅で猟銃を撃つというトンデモナイことをやってのける。

 

 奇行もあってか周囲も徐々に距離を置き始めて、しまいには野球界から一切の交流を絶った人物であるが、2016年にようやく野球殿堂入りが決まったこともあって再評価が進む。

 酒、タバコ、女の話は一切聞かないものの、そのあまりにものめり込み過ぎてしまった野球観で他を圧倒した、求道者であり無頼派と呼べるだろう。

 

 

 

 有名どころばかりで笑われるかもしれなが、上記の4人が特に好きな無頼派の人物である。昭和という時代もあってか、このような人物がたくさんいたのであるが、今となっては絶滅してしまったと言っても過言ではないだろう。

 正直、不倫だなんだと騒いでいるが、「そんなの知らん」と言える気概があるほどの人間が出てきてほしいものである。少し炎上しただけですぐに謝罪することになる、これでは無頼派などとは言えないだろう。

 

 とは言いつつも、こんな人生は歩めないからこそ憧れるものでもあるわけで、言うは易し行うは難しといったところだろうか。

 来週は丸山ゴンザレスだが……あれ? またクレイジー度が一層上がってない?

 

 

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