物語る亀

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物語愛好者の雑文

映画『ちはやふる 下の句』感想 上の句の良さを考えると……

 公開初日に『ちはやふる下の句』を観てきたのでその感想を。

 前回の上の句はこの手の漫画原作の大きなプロジェクトの作品としては、それなりに良かったので本作も期待していったのだが……

 ちはやふるという作品の難しさに引っかかってしまった格好なのかな?

 

 まずは一言感想から

 

 上の句の良さがほぼ消えてしまった

 

 

 

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ちはやふる-下の句-

 

 1 今回のMVP

 

 いきなり話がそれてしまうのだが「芸能人は誰が好き?」という質問が一番困る人も多いのではないだろうか?

 元々ドラマはあまり見ないし、バラエティもあまり好きではなかったり、忙しかったりすると最近流行りの芸能人を知らないことも多々有る。特に若い俳優は次々と新しい人が出てきては、気がついたら世代交代していた……ということもザラにある。

 

 なので差し当たっては福山雅治とか岡田准一とか、新垣結衣や綾瀬はるかなどのような好感度の高い女優の名前を挙げる人もいるだろう。

 だが、時々ハッとする役者に出会えるような時もあり、この人は変なことをしなければ10年先も間違いなく活躍していると確信する瞬間がある。一部では評価が分かれているようであるが、広瀬すずも間違いなくその1人であり、映画好きの評価でも卓越した演技力で高い人気を獲得している。

 

 

 今回特に良かったのはクイーン若宮詩暢役の松岡茉優だった。

 

 特にクイーンは見た目以外はほとんどオバさんみたいなものだし、京都弁の難しさなどもある難しい役だと思うが、画面の中に目が釘つけになってしまった。一言話すたびに美しいを通り越して、ゾクゾクしてくるほどの魅力が漂っていた。

 女優は画面越しに色気でゾクリと観客を魅了するのが仕事だが、若干二十歳にしてそれだけの魅力に溢れていて、驚愕してしまった。

 

 広瀬すずなどがそうであるが、最近は注目を集める若手女優の多くが、陽の気質の元気いっぱいの女の子ばかりで詰まらないと思っていたので、影を感じさせてくれる女優が若手の中にもいることに安堵の気持ちもあった。

 もしかしたら本作最大の収穫かも。 

 

映画『ちはやふる』完全本 ―上の句・下の句・結び―

 

若手俳優陣の演技

 

 他の若手役者でいうと上の句に続いて、新役の真剣佑と机くん役の森永悠希はよかった。

 広瀬すずと矢本悠馬はまあまあ、上白石萌音はあまり見せ場自体がないし、野村周平は……うん、役も悪かった。

 

 若い役者は演技の上手い下手なんて二の次、三の次で、顔の良さと若いことと人気者であることが大事なので、あまり演技力は気にしないようにした。

 ここら辺は役者の責任ばかりではないが、上の句と同じく台本が見える台詞回しと汗や顔の紅潮が一切ないランニング、試合シーンにはげんなり。ちょっとくらい走ってから撮ってもいいんじゃない?

 

 アドリブと思われるシーンは自然な感じで良かったので、撮り方やキャラクター設定の問題かもしれない。

 

 

2 キャラクター像の難しさ

 

 役者について酷評できないのは、ここが大きな理由だったりする。

 映画化にあたり真島太一という役を考えた場合、どのようなキャラクターにするのかというのが非常に難しかったのかもしれない。

 

 当たり前だがアニメや漫画を映画化するときに、一番ネックになるのが時間の問題である。

 漫画ならば時間は気にしなくていいし、テレビアニメシリーズであればOP,EDを除いて正味20分強、今回はわかりやすく20分きっちりとした場合、2クールあれば20×26=520分(8時間40分)かかる作品を、前後篇合わせて4時間弱に抑えなければいけない。

 その分カットする場面などもあるので、どのようなシーンの取捨選択をするのかということは作品全体に関わる大切なものになる。

 

 そもそも漫画やアニメを実写化するときにどこまで原作に忠実に再現するか、という問題もある。

 先ほどの時間の都合上だったり、演出、予算の都合、大人の都合などもあって(新のおじいちゃんが痴呆ではないのは、おそらく大人の事情だろう)完璧に再現できない時にどうするか。

 私などは映画化するのであれば、映画に相応しい形に改変するのは有りだと思うが、原作ファンからは大きな非難を食らう可能性も高いだろう。アニメ版の『蟲師』のように99%原作通りに作った名作もあるし、ここは永久に解決しない問題でもある。

 

改変されたキャラクター達

 

 本作は原作と比べて、キャラクターも大きく変更されていた。 

 例えば千早を追い出したシーンでいうと、ああいう厳しいことを言うのはまず肉まんくんのイメージがある。映画では千早と太一の二人の間に入る仲裁役として活躍したが、本来は仲裁される側のキャラクターである。

 また机くんもスマートなガリ勉くんになっていたし、しかも性格がイケメンで一番良いやつだった。問題はかなちゃんで、本来は千早の最大の理解者であり、叱咤激励を飛ばす仲なのに、単なる同い年の部員Aになってしまっていて特に印象に残らない。

 

 ただ、この3人に関しては時間的制約もあることから、千早、太一、新、クイーンを中心に話を展開させなければならないため、改変に一定の理解はできる。

 

 

違和感のあった太一 

 

 一番問題があったのは太一で、下の句では終始嫌なやつに見えて仕方なかった。

 千早を追い出したのもあの流れでは単なる嫉妬に駆られた私怨だし、カルタや学業に対する努力の跡も特別見えない。

 本来は太一が『努力の人』であるのに、その泥臭さが見えることがなかったために、野村周平の演技の印象が悪くなるだけだった。

 

 

 

 

 

3 ちはやふるという作品をどう撮るか

 

 これだけ大きなプロジェクトになると、おそらく監督や脚本家の一存で決まることというのは非常に少ないだろう。

 芸能事務所の意見もあるし、スポンサーの意向、プロデューサーなどの偉い人の思惑もあるだろう。なのでこの問題を誰の責任にするかというのは、少し考えなければならない。(進撃の巨人もそうだが、少し長めに製作して前後篇商法もお金だけを考えれば上手い手法である)

 

 原作のちはやふるの魅力はカルタと恋愛劇の割合が大体8;2で構成されている。一般的な少女漫画と違い、恋愛描写はそこまで多いわけではない。これが私が「ちはやふるは少年漫画だ」と指摘する理由である。

 

 上の句においてはカルタと恋愛劇の割合は大体5;5ほどで、恋愛ばかりではなく、カルタのシーンも熱く描かれていた。

 だが、下の句においては3;7くらいの割合で恋愛の方が重視されてしまった。ここが今作がイマイチである最大の原因だと思われる。

 

 確かに現代の大きな映画プロジェクトにおいて、恋愛描写のない映画というのは撮れないのかもしれないが、恋愛を重視するのであれば別の少女漫画でもいいわけでちはやふるに拘る必要はない。

 おそらく企画かどこかの段階で「少女漫画原作だし、恋愛描写をいっぱい入れようね」という話になったのだろう。

 そのために太一のキャラクター性は大きく改変されてしまった。

 

 人は負けなければそのままよ
 もっと強くはなれない 桜沢先生

 

 この桜沢先生の名言にもある通り、私は何度も言っているがちはやふるの魅力は「負けること」にある。

 それを最も表しているのが太一というキャラクターである。

 太一は不運もあり、その実力や努力が報われることが少ない。

 

 男が選ばれてどうすんだって思うんだ。
 俺は、選んで頑張るんだ。

 

 仲間にするなら かるたの“天才”よりも
 畳の上で努力し続けられるやつがいい

 

 こういったセリフが示す通り、決して言い訳もしなければ弱音も吐くことなく目標を持って突っ走っていくキャラクターである。

 そんなキャラクターの努力が見えないどころか、簡単に A級という結果を手に入れてしまっては、そんじょそこらの少女漫画の才能あふれる王子様と何一つ変わらないことになってしまう。

 そういった泥臭い表現が影を潜めてしまったのが残念だった。

 

 現代においては泥臭い、努力などの表現は古臭くて受けず、スタイリッシュな作品が受けるとされているが、ちはやふるはその泥臭いスタイルで一気に駆け上がってきた作品である。そこが表現されていないために、映画化する意味があるのか? という疑問にまでつながってしまった。

 

 千早、新、クイーンみたいな才能あふれる天才ばかりが目に入るが、精一杯努力して足掻く姿こそが感動を呼ぶ青春劇なのにね。

 

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映画としての見どころも減った

 

 上の句では歌の意味を紹介するシーンでアニメーションが使われたり、競技のシーンにおいて下から札と畳を透かして映しているカットもあったのだが、今作ではそのような漫画的、アニメ的な表現も特に見当たらず。

 中途半端にリアル寄りにしてしまったために、見所がないような結果になってしまった。(その割には画面構成とか演技とかは漫画くさいので、絵が落ち着かないが)

 

 特に驚いたのが広瀬すずが打ちのめされて走り出すシーンである。

 その走りや撮り方は良かったものの、その次のカットで豪雨に打たれて打ちひしがれる千早を太一が慰めた場面に関しては目を疑ったほどだ。

 走り始めるということはそこから一連の流れに勢いをつけて次のカットへ行く、いわばホップ、ステップ、ジャンプに至る助走だと思っていたのだが、その次のシーンで止まるどころか快晴からの豪雨である。

 何で走らせたのかよくわからない。

 

 

良かった演出

 

 あまり文句ばかり言っても仕方ないので、よかったシーンを挙げる。

 本作にて『音』というのは大きなテーマになっている。例えば吹奏楽部が練習場の上に来て声が聞こえない時に「繊細な音の聞き分けが大事なのに」と言うセリフがあるが、作中においてもBGMや自然音のなどの音は多く流れている。

 だが、それが新とクイーンの戦いの場面だけ静寂に包まれるのである。

 

 この静寂というのがこの二人だけの世界を表現しているようで、メリハリの効いた場面だった。基本的に千早サイドは文句が多いのだが、この二人のシーンは映画らしくまとまっており、オリジナルの展開もあったが愛憎入り混じったライバル関係というのがよく表現されていた。

 

 本当は監督はこのような映画にしたかったのに、やはり大きい映画だからできなかったのだろうか?

 

 

 

  

 最後に

 

 ここまでズラズラと書いてきたが、正直に言うと上の句に比べると下の句はお粗末なものとなってしまっている印象がある。

 儲けは出るだろうし、上の句の評判も悪くなかったから続編製作を決めたのであろう。決して悪くはないのだが、良い作品とも言い難い作品になってしまった。(ハードルを上げすぎたかもね)

 ただ、上の句と連続で見たら、また印象は変わるかもしれない。

 

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