カエルくん(以下カエル)
「来週、いよいよ伊藤計劃プロジェクトのスタートにして最終作である『虐殺器官』の公開だね!」
ブログ主(以下主)
「いよいよ公開だな。マングローブの倒産もあって、悲しい結果になったけれど……それもこれで陽の目の浴びることになったわけだ。『GANGSTA.』も面白くていい作品だったけれど、回が進むにつれて作画が……ってなったし。
それはそれとして、今回は過去の伊藤計劃作品プロジェクトの作品をピックアップして、感想記事をまとめていくとしようか」
カエル「ハーモニーはブログ開始時期に公開した直後だったこともあって既に書いたから、あとは屍者の帝国だけだね!」
主「この作品だけは原作を読めていないんだよなぁ」
カエル「え? 伊藤計劃ファンなんでしょ?」
主「そうだけど、この作品で伊藤計劃が書いた部分って草稿30枚と言われている。全体で言うと10分の1以下じゃない? もちろん、そのプロットを受け継いだ円城塔を批判するつもりはないし、この試みは状況を考えれば仕方ない。むしろ称賛こそすれ、否定するものではないよ。
だけど、これが伊藤計劃作品かと言われると、やっぱり違和感があるのも事実で……」
カエル「まあ、主って円城塔は苦手って話だったもんね」
主「まあねぇ……アニメ映画は好きだから見に行ったよ。だけど、そういう理由で原作未読だから、どこがどう違うかってことはわからない。でも、何かの機会があれば読んでみようかな?」
カエル「この機会でなければいつ読むのかわからないけれどね」
主「それじゃ、感想記事を始めようか」
簡単な感想
カエル「じゃあ、まずは軽く全体の感想からいくけれど……どうだった? 今にしてみてみると、ハーモニーとの比較する部分もあるだろうけれど……」
主「評価が難しいよね。
絵のクオリティの高さはすごくよかった。
映像は綺麗で。男はカッコよくて、女の子は可愛いし、街も綺麗で風や爆風などで細かい部分も動いて、CGも綺麗。
その意味では酷評するような映画ではないよね。アニメ映画としてのクオリティは結構高いし……はっきりということはできないけれど、2015年において作画であれ以上のクオリティの映画ってない気がする」
カエル「絵の綺麗さとかだったら、もしかしたら2015年No,1かもしれないね」
主「何を持って一番とするかは難しいけれど、それだけわかりやすく派手だったよ。
ハーモニーがCGとしてはイマイチだった分、対比している部分もあると思うけれど、ノイタミナムービーっていうだけあるなぁって思った印象がある。ノイタミナって最近だと『甲鉄城のカバネリ』とか、ちょっと前だと『PSYCHO-PASS』や『ギルティクラウン』のように映像のクオリティがとんでもなく高いって印象があったし」
カエル「特にSF系に関しては相性がいい印象があるかも。この時代のスチームバンク感とかもあって、面白いよね」
ストーリーに関して
主「たださ、これは誰もが語るかもしれないけれど肝心のストーリーがイマイチなんだよね」
カエル「イマイチというか……難しいよね」
主「まず、設定自体が結構難しい。今ならカバネリを見た後というのもあって理解できるかもしれないけれど『屍兵』という設定自体がまず独特じゃない? ここでゾンビ映画のような迫力もあるけれど、その舞台が現代劇ではなくて、19世紀のヨーロッパから中東あたりというのが、設定として独特じゃない?」
カエル「今の自分とリンクしている部分はないから、この設定を飲み込むのに時間がかかるかもね」
主「さらに専門用語がバンバン出てくる割には説明もよく分からないし、そのまま進んでしまう。見返してみると、結構SFとしてはよくある話であってわかりやすい設定ではあるけれど、何の予備知識もないとわかりづらい印象かな」
カエル「SFに詳しい人ばかりではないしねぇ」
主「さらにワトソンとか、カラマーゾフとかっていう単語が出てくるけれど、これもまた不思議なもので……これって明らかに19世紀の名作文学から色々と世界観を借りていたり、名前を借りているじゃない?
その意味って何だろうとか、とにかく情報量が多い。絵のクオリティも高い分、情報量が多いからさ……読み取る要素が非常に多くて、初見だと置いてけぼりになる気がするんだよね」
カエル「会話も少しキザというか、わざと難しく話している部分もあるしね」
主「これを初見で理解できた人って、原作を読んでいる人を除けば相当なSFが読み込んでいる人なんじゃないかな? って印象がある。自分が色々と考えすぎただけかもしれないけれど……」
2 この映画で語りたかったこと
主「でもさ、この映画ってこんなこと言うとなんだけど、そんなストーリーラインって正直どうでもいいのかな? って印象なんだよね」
カエル「え? その物語が一番大事なんじゃないの?」
主「普通はそうなんだよ。そして序盤で物語が云々と語っているように、いろいろと大事なことも語っていて、テーマ性もそこいら辺にありそうだけど……多分、そうじゃない。
この映画はラスト10分ぐらいが1番大事なんだよ」
カエル「そういえばハーモニーの記事でも同じこと語っていたもんね」
主「そうね。ハーモニーも終わり10分だけは別格に良かったという評価なんだけど、それは原作と大きく改変してきた部分にある。ハーモニーに関して細かいことはそちらの記事を読んで欲しいけれど、簡単に言えばあの作品は『映画がおくる伊藤計劃へのレクイエム』だと思ったのよ。
その意味でラスト10分だけを持って、あの映画は映画化した意義があると思う。そしてこの作品もまた、ラスト10分くらいのところに大きな意味があるんだよね」
カエル「じゃあ、そこの説明をしようか」
ワトソンとフライデーの関係性
カエル「結局はここに行き着くという話だね」
主「そう。ワトソンがフライデーを思って旅をするというお話だけど、じゃあ結局ワトソンって誰なのか? って話なんだよ」
カエル「……ワトソンはワトソンなんじゃないの?」
主「そうなんだけど、メタ的に読めば何故円城塔がこのようなお話を書いたのか? ということ。
つまり、ワトソンが屍者であるフライデーを思い、旅をするということは、そのまま『円城塔が亡き伊藤計劃を思う』という構造なわけ。だからフライデーの意思を追求するという物語は、伊藤計劃が何を思い、どのような物語を追求したのか、ということの探求でもある。
フライデーって伊藤計劃のことでもあるんだよね。フライデーが『手記の書き手』と作家を連想させるのも、そのためだと思う。
だからこの物語は過去の名作から借りたものが多い上に、物語に関する言及が非常に多い。
『生者には物語が必要だ』って言葉が序盤にあったと思うけれど、この言葉の意味って『生き残った者、読者がいる限りは物語を作らなければいけない』って意味でもあると思う」
カエル「ふ〜ん……じゃあ、無数に出てくる屍者たちって……」
主「その意味では『過去に亡くなった創作者たち』ということもできる。そんな風に読み取り方は、たくさんある作品だと思うよ」
ED中の言葉の意味
カエル「ED中の言葉の意味ってなんだったのかな?」
主「う〜ん……ここが難しいけれど、あれって明らかに伊藤計劃を思っての言葉でもあるんだよね。だから、ここは先ほどとまた論理が変わってしまって申し訳ないんだけど……
ここでいうフライデーっていうのは『作品』のことであり、
ワトソンというのは『作者』のことだよ」
カエル「……どういう意味?」
主「ここも難しいけれど
『物質化した情報としてここにある』
『僕がここにいるのはあなたのおかげだ』
というのは、作品が作者に対して送った感謝の言葉なんだよね。あなたがいたことによって、この作品は生まれることができました。そのあなた自身はもうこの世にはいないけれど、その感謝の気持ちはここに表明します、という作品からの言葉。さらに言えば、この映画を作った製作者からの……それこそ『生者からの屍者への言葉』であり、『円城塔や牧原亮太郎監督から、伊藤計劃に対する感謝のメッセージである』ということだ」
カエル「……そう考えるともう既に作家として完結してしまった伊藤計劃に対するメッセージを映画化したんだね……」
主「そうね。これが刊行の順番通りラストだとしたら、すごく感動的な作品になったと思う。だけど、これが最初になるから……わからないものですよ」
ED後て何?
カエル「ちなみに、あのED後のやりとりってなんなの?」
主「つまり、この屍者の帝国という作品自体はここで完結しているけれど、その作者であるワトソンは亡くなったように見えるけれど、また新しい物語を紡ぎ始めたよ、という意味だろうね」
カエル「ああ……つまり、伊藤計劃という人はまだ亡くなっても新しい相棒をみつけて、物語を紡ぎ始めるだろうって意味か……」
主「さらに言えば、伊藤計劃という作家が残した作品を愛好した読者たちが、新しい物語を紡ぐだろうという意味でもある。
だからラストにおいてフライデーがワトソンの姿を見届けるけれど、ワトソンは馬車の中にいて姿を見せないんだよね」
カエル「まあ、その前に顔を見せているけれどね」
主「そうなんだけど! だけど、あのラストが何を意味するのかって考えると、既に亡くなった伊藤計劃が出てくることはできない、という意味かもしれないなって思いもあるのよ。
さらに言えば個人的には『まだ見ぬ読者』がワトソンの名を継承したから、という風に受け取りたい」
カエル「後進の作家などを、屍者の帝国という物語を擬人化したフライデーが見守っているよ、という意味があるということだね」
追記
カエル「……改めて見直してみたら、やっぱりこの継承ってフライデーの方なんじゃないの?」
主「……そんな気がするなぁ」
カエル「つまり、フライデー=伊藤計劃が亡くなって、その魂を蘇らせようとしている。だけど、同じ伊藤計劃は当然出てこないから、別人の魂が入る。
それでも別人の魂であってもフライデーは……伊藤計劃は生き返る。
それは伊藤計劃の作品を読んだ読者が、新しい物語を紡ぐからだ。
ラストは生きて別の物語を紡ぐ円城塔を見守るという構図になっているんじゃないのかな?」
主「……それだと、ED中の独白が扱いが難しくなるんだよなぁ。あれって明らかに伊藤計劃に対する言葉じゃない?」
カエル「それは……やっぱり製作者の言葉として受け取るということが正解な気もするけれどね。伊藤計劃の作品を受けてついだ別人格という意味ではこの作品のスタッフも同じだし」
主「う〜ん……やっぱり解釈が難しいなぁ」
最後に
カエル「伊藤計劃という作家が残したものってそんなに大きいの?」
主「めちゃくちゃ大きいだろうね。日本SF界に突如舞い降りた天才の1人だろうし、これだけアニメ化したいと思わせるほどの力を持っている。その発想力もさることながら、言葉や思想の持つ力が非常に強い人だった。
伊藤計劃がまだに生きていたら……もっと作品を残していたら、SF界のみならず、小説界において中心にいたんじゃないか? と思わせるほどの作家だよ」
カエル「死んでしまったから評価がうなぎのぼりだというのもあるだろうけれど……」
主「それだけのものがあったんだよ。伊藤計劃は病気で書けなくなった経験もある作家だけど、やっぱり『書くことを奪われた作家』はすごく強いよ。語りたいことに対するエネルギーが段違い!
こういう言い方は何だけど、本当にもったいないよねぇ……」
カエル「伊藤計劃が生きていたら、どんな風な物語を作っただろうね」
主「そういうところを想像するのも楽しみ方の1つかもな」
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