亀爺(以下亀)
「今回はナチスドイツの戦争犯罪を扱った映画じゃの。このブログでは比較的に登場する回数が多いナチスものじゃが、あまりハズレがない印象があるの」
ブログ主(以下主)
「……もうさ、こういうブログで映画や物語評論やっていると、痛感することがあるんだよね」
亀「痛感? 何を?」
主「その週公開の映画の中で、やっぱり大きい作品から優先的に鑑賞して、感想記事だったり、考察記事を書いていくわけじゃない。やっぱり閲覧数は欲しいしさ、映画館も近いしね」
亀「それは仕方ないことだとは思うがの。小規模映画は面白い作品も多いが、そこまで出向く交通費と、さらに……ポイントなどもつかない、前売り券もほとんど出回っていないような作品も多いからの。主みたいに一月に何作も見る人には、鑑賞ごとにポイントがついたり、前売り券がある方がありがたいじゃろう」
主「一作数百円の節約が、自分くらい見ていると……1万円くらい変わってくるかもしれないからさ、どうしてもイベントデーでもないと行きづらいけれど……でも、こういうブログを書いている人間には、やっぱり注目されていない名作、良作を宣伝してこそ、その意義があるような気もするんだよね」
亀「……まあ、それも一つの考えじゃな」
主「もうさ……大作映画を観に行って『これはどう評価すればいいんだ?』って考える必要もなく、ただただ気に入った映画や小説だけを『面白いよ! 素晴らしいよ!』って褒め称えたい気持ちだよ。
ああ……できれば映画や物語を見て一生を過ごすことはできないだろうか?」
亀「……ブログでもたくさん書いて、それだけ食べていけるように頑張ればいいのではないかの?」
あらすじ
90歳のゼヴ(クリストファー・プラマー)は、認知症を患い、高齢者施設で暮らしているが、妻を1週間前に亡くしたばかりであり、そのことすらも忘れてしまうほどに病は進行していた。
妻の葬いを終えたある日、彼に友人マックス(マーティン・ランドー)が1通の手紙を手渡す。それは妻が亡くなる前に、マックスに託したものであり、認知症が進行する中でもアウシュヴィッツにおいて家族を殺したドイツ人兵士への復讐を誓う手紙だった。
ゼヴは4人にまで絞り込まれた『ルディ・コランダー』に会いに行き、認知症を患いながらも復讐の旅へ歩み始めるのだった……
1 ネタバレなしの感想
亀「主は戦争映画の中でも、とりわけナチス映画が好きじゃな」
主「戦争映画って描き方がある程度限定されるんだよ。当たり前の話だけどさ、現代において実際の戦争をテーマに扱った場合に、一方的な描き方はあまりできない。
例えば、イラク戦争を扱った場合において、アメリカとフセイン、どちらが正義なのか? ということを問えば、そんなのどっちもどっちだということがわかると思う。それは他の……第二次世界大戦でも同じでさ、日本やナチスドイツを徹底的に悪者に描くと、それはただのプロパガンダ映画に成り下がってしまうわけだ」
亀「正義を騙る戦争ほど、残虐で汚い嘘にまみれたものはないの」
主「確かに、ナチスドイツや日本はとんでもない戦争犯罪をした。だけどそれはアメリカやフランス、ソ連も同じでさ、結局勝ったから裁かれず、負けたから裁かれたということは明白なわけだ。
それはそれで仕方ないのかもしれないけれど……まあ、いいや。映画として撮影するときは、その中でもどのような視点で撮るか、ということが重要になってくる」
亀「ナチスドイツなど、全世界が共通して抱える『明確な悪』であるからの」
主「だから描こうと思えば、徹底的に悪党に描ける。だけど、ナチスドイツものって、やっぱりバランス感覚が優れている監督が多いからだろうけれど、単純な悪として扱った映画は……特にここ最近は少ない気がするね」
亀「今年でいうと『帰ってきたヒトラー』であったり、昨年公開の『顔のないヒトラーたち』や『THE WAVE』などもその真意としては、ヒトラーやナチスのような独裁者は、いつの時代も同じように生まれるかもしれない、ということを訴えかけてくる映画じゃからの」
主「そうね。最近公開した『奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ』も、見方によればナチス憎しのプロパガンダを批判する映画なんだよ。それは自分の感想記事を読んで貰えばわかるだろうけれどさ。
エンタメとしては少し面白みに欠けるかもしれないけれど、深い映画が多くつくられるテーマだと思うね」
日本とドイツの戦争の描き方
亀「今作はカナダとドイツの合作のようじゃの」
主「ドイツとナチスの関係は、すごく複雑で……だけど、ある意味では日本に比べれば単純なんだよね。
同じ敗戦国だけど、ドイツはその『過ち』の多くを『ヒトラーとナチス』に押し付けることに成功した。だから、悪いのはドイツではなく、ヒトラーたちであるというスタンスを貫き、いまだにナチスはタブー視されているわけだ。絶対的な悪としてのナチスに、積極的に仕立て上げていったのがドイツ。
一方で日本は、確かに東条英機を始めとする当時の国政の中枢にいた人達は断罪されたけれど……いまだにその総括というのはできていない。なぜならば、そこを語り始めると『天皇の戦争責任』やら『国体』やらという、非常にセンシティブな部分に触れなければいけないからだ。
だからある意味では極めて日本らしく、玉虫色の答えを出しながら今まで……言葉が難しいな……まあ、結論を先送りして、はぐらかしてきたわけだよね」
亀「どちらが良いという話でもないからの。難しい話じゃ。戦争に正義も悪もないからの」
主「でも、少なくとも物語にとってはこの差は大きかった。
ドイツはナチスに対して批判的に描くんだよ。だけど、どこかでナチスを否定しきれない……ナチスだけを悪者にできるのか? という難しい描き方をしている作品が多い。これは、悪としてのナチスとドイツの関係性の歪さが生んだものだよね。
一方の日本は、第二次世界大戦を描いた時、その多くが……『あの戦争で苦しんだ人や悲劇』を扱ったり、もしくは『あの戦争で命をかけて戦った人たち』という両極端ながらも、全肯定か全否定かという作品が非常に多いわけだ。
これは、やっぱり総括ができていないからだと思うわけね」
亀「左派のいう『日本の過ち』の戦争映画も、右派のいう『日本の誇り』の戦争映画も、向いている方向性が違うだけで同じようなプロパガンダじゃからな」
主「だからさ、ナチス映画のような『正義でも悪でもない戦争』を描くという難しいバランスが達成されている日本の戦争映画って……何かあったかな?
日本では今作とか、先に挙げたようなナチスドイツものの映画のような作品は、作れないと思う。それは辿った歴史が違うから、仕方ないんだけどね」
2 認知症を抱えるゼフ
亀「いい加減、映画の話に入るとするか」
主「この作品は今週公開された映画の中で……まあ、もちろん全部見たわけではないけれどさ、その中で1番オススメしたい映画なのね。それはナチスドイツものの映画が好きっていうこともあるけれど、やっぱり優れた描き方をしていると思うから」
亀「まずは認知症の主人公、ゼフについてじゃが……」
主「奥さんが亡くなって、認知症がさらに進行してしまう。そこに同じホームに暮らすマックスから手紙を渡されるわけだ。そこには、かつてアウシュビッツでホロコーストに加担したナチスの罪人に罰を! という意味のことが書かれてあった。
まず、設定のうまさとして引き立つのが、この『認知症』なんだよね」
亀「辛い病気じゃの。ほんの数時間前のことなどが、全くわからなくなってしまうとは……」
主「認知症の辛い時期って、多くがわからなくなるほど進行した時ではない、という話を聞いたことがあるんだよね。
認知症ってさ、ずっと忘れているわけじゃないんだよ。1日のうち……ほんの数分、すべてを忘れてしまう時がある。その時に突飛な行動をしたり、人に迷惑をかけたりするわけだ。
だけど、ある時点において、すべてを思い出す時がある。記憶が蘇って、しっかりとする瞬間がある。その時に自分が何をしでかしたのか、何を忘れたのか、それを嫌という程思い知らされる……そこに認知症特有の辛さがあるわけだ」
ゼフの記憶
亀「……そして忘れている時間が徐々に長くなり……最後には全てを忘れてしまうという病気じゃの」
主「だからさ、この作品の非常にうまい部分として、ゼフは確かに認知症を患っている。その道中も色々と危なっかしくて、見ているこちらがヒヤヒヤとしてしまうし、すべてを忘れてしまうたびに、手紙を見て色々と思い出す日々を送っている。
だけど一方で……ある瞬間に色々と思い出すことがあるんだよね。記憶が蘇っているというかさ。そこが演出の妙ではあるけれど」
亀「不思議に思う描写や演出もたくさんあったの」
主「だけど、作中において……その時のゼフがどのような状況なのか、それは誰にもわからないんだよ。当のゼフ本人にもわからない。
今すべてを忘れているのか、妻が亡くなる直前まで記憶が退行しているのか、アウシュビッツのことも含めて、すべてを思い出しているのか……その状況によって、意味合いが変わるシーンもたくさんある。
その揺れる記憶が……誰にもわからないからこそ、この映画を単なる『娯楽映画』とは違うものがあるわけだ」
亀「あまりセリフで語らないところがあるしの。わかる人にはすぐにわかるじゃろうが、この映画における最大のドンデン返しの鍵は、色々なところで明示されていたの」
主「そのバランスもいいよね。面白い映画だよ」
以下ネタバレあり
3 記憶のブレ
亀「では、その『記憶のブレ』について、ネタバレを交えながら語るとするかの」
主「確かに、色々とゼフは忘れており、そのたびにマックスに電話したり、手紙を読み直して記憶を再構築しているわけだ。そこで彼は、毎回毎回『自分は認知症で、妻が亡くなっている』という衝撃的なことを告げられている。
だから、本来の記憶を思い出してもそれを信じることができないんだろうね。手紙に書かれていることを、そのまま鵜呑みにしてしまうわけだ」
亀「象徴的なのは4人のルディ・コランダーに会いに行った時のことかの」
主「そうね。最初のルディ・コランダーは人違いだったわけだけど……重要なのは2人目のルディ・コランダーにあった時だよね。
2人目のルディ・コランダーは、重い病を患って寝込んでいるわけだ。そこに復讐に現れるゼフ。
『君はアウシュビッツにいたか?』と聞いた時に『いたよ』と答えたから銃を抜くわけだ。そして彼に向けて銃を構えると、その腕に焼きつけられた……70年経っても消えない、アウシュビッツ時代の囚人番号の焼印を見つけてしまう。
そこで彼が『アウシュビッツにいたナチス』ではなく、『アウシュビッツから助かったユダヤ人』であることに気がついて、涙を流して謝罪するわけだ」
亀「そのシーンも印象的だったの……」
主「初見時において『ユダヤ人だと思っていたのに、ナチスと勘違いしてしまった』という意味で謝罪の涙を流すのかな? と思っていたけれど……すべてが終わった後に改めて思い返すと、また別の見え方が出てくる」
亀「そうじゃの。違う意味での謝罪の涙じゃの」
主「すべてを思い出した上で、あの涙を流しているとしたら、この映画においてその意味合いって大きく変わるんだよね。
そしてそれは、誰にも真相はわからないの。当のゼフ本人にもわからない。だけど、この映画によって映し出されるものは、また別のテーマを持つわけだ。それは最後に語るとするけれどね」
4 演出が語るもの
亀「記憶というのは曖昧なものじゃからな。その混濁が多く見られたの」
主「この映画の肝になる部分はさすがに隠して語りたいから、映画を見ていないとわからないようなことを書いていくけれど……この映画って、ナチス問題に詳しいとおかしいことが多いんだよね」
亀「公式サイトで説明があるので、そこを見て欲しいの」
主「例えば、3人目のルディ・コランダーに会いに行った時、ガチガチのナチス信者だったわけだけど、その時に語るのが『クリスタル・ナハト(水晶の夜)』という言葉なわけだ。これはナチスドイツによる、ユダヤ人差別が爆発した事件でもあるけれど、この名称が……水晶の夜という言葉が綺麗過ぎるので、今では『11月のポグロム』と呼称することも多い」
亀「意味合いとしては『11月の大虐殺』みたいな名前じゃの」
主「だけど、ここではこの忌まわしき日について、ゼフの方が詳しい上に……明らかにこの過去について思い出している上に、呼び方も『クリスタル・ナハト』で統一しているんだよね。
ここは改めて思い返すとうまい演出だよな」
亀「あとはやはり、ピアノかの?」
主「そう。ゼフの趣味はピアノで、特に好きなのがメンデルスゾーンなどなんだけど……もう歳もあるのか、その弾く手はおぼつかないんだよね。だけど、ある場面においてピアノを弾くわけだけど、ある作曲家の曲はすごく流暢でうまいんだよ」
亀「そこも恣意的じゃの。記憶は混濁しておったも体は……もしくは頭の奥底では覚えているものがあるのかもしれん」
主「だから、ここでもわからなくなるんだよね。ゼフって今、どういう状況なのか。本当に何もわからないのか? 怪しく思えてきちゃう」
5 総評 この映画が語るもの
亀「それでは最後にこの映画が語るものについて、総論を述べるとするかの」
主「この映画は、確かにある種のご都合でもあるわけだけど……脚本的にも都合のいい部分も多いし、マックスは本当に協力的で、素晴らしいほどこの旅のサポートをしてくれている。
都合が良すぎるところもあるけれど……この旅を止めるチャンスなんていくらでもあったわけだ。だけど、ゼフの復讐の旅は誰にも止められなかった。これはナチスドイツの暴走と同じだよね」
亀「ヒトラーを止めるチャンスはあったのではないか? ということかの」
主「いつも語るけれど、ヒトラーは民主主義が生んだ独裁者だよ。国民がヒトラーの登場を望んだんだ。それは日本も似たようなものだよね。
だから、ヒトラーを止めるチャンスはいくらでもあったんだろうけれど……結果としてそれは突き進んでしまった。まあ、歴史なんていつもそんなものだけどさ」
亀「それを考えるとこのご都合主義のような脚本も、少し意味合いが変わってくるの」
主「人によってはただのご都合にしか見えないかもしれないけれどね」
アウシュヴィッツという地獄
亀「そして、この映画最大のテーマである、アウシュビッツについてじゃが……」
主「もちろん、ユダヤ人にとって最大の地獄であり、世界最悪の戦争犯罪のひとつであることは疑いようがない。
だけど、この映画を最後まで見終わった時にさ……果たして、アウシュビッツというというものは、ユダヤ人だけの地獄なのだろうか? ということだよね」
亀「……今でもドイツ国内では深い傷跡として残っておるしの」
主「そう。被害者であるユダヤ人にとって地獄だったのはわかる。だけど、加害者であるナチス党員にとっても、その記憶はやはり地獄でしかないんだよ。身分を偽って、棺桶まで語らないようにしてさ。
それを『お前は悪だ!』と追及する行為というのが……果たして正しいのだろうか? ってね」
亀「冒頭に挙げたナチス作品の中にも、ナチスは一般人が……普通のお父さん、お兄ちゃんが起こした大虐殺であるということが示されておったの」
主「人間は状況の生き物だからさ、周りがそう行動していて、強要されたら、虐殺でもなんでもやってしまうんだよね。簡単な例がいじめと一緒。みんながいじめていると、自分もそれを止めることができなくなる。そして、それがエスカレートした先にあるのが酷い現実だよ。
だけど、その行為とは裏腹に……実はその加害者は、その現場から外れると普通の人だったりするんだよ。だから自分が、自分の両親、子供、兄弟、友人知人が、簡単に人を虐殺するようになるかもしれない。だから我々は『自ら考える』ということを求められ続けるわけだ。
過去は変えられない。だけど、その加害者も一生苦しんでいるかもしれないんだよね。その……難しさをしっかりと描ききっている」
高度なバランス感覚
亀「そして最後になるが、この映画はやはりナチスドイツものにある、高度なバランス感覚を持って終えておるの」
主「すべてが終わった時にさ、振り返ってみると……この映画における最大の罪人は誰か? ということなんだよね。もちろん、それはナチスだ! と言い切る人もいると思うけれど……
この映画は『ユダヤ人であるゼフ』が『元ナチス』に対して復讐に行く話だけど、この映画のラストおいて、最も罪が深いのは……もちろん、その復讐を是とする考え方もあるかもしれないけれど、1番重い罪を抱えるのは、ユダヤ人の登場人物なんだよね。
その復讐は果たして正しいのか? 復讐することで満足はするかもしれないけれど、それはナチと同じことをしているのではないだろうか?
そういうことも問いかけてくる作品だったね」
亀「あとは単純に、途中途中クスリとくるシーンや、ハラハラもあって、エンタメとしてもある程度の面白さを持っておるの」
主「90分だしね。邦画ならわかりきったことを声高々に告げるんだろうけれど、本作はそういう下品な真似もしないし。
映画としてのバランスの良さも感じたよ」
最後に
亀「やはりアウシュビッツものは深くて面白いの」
主「普通の戦争映画と違って、単なる娯楽で終わらないからね。勧善懲悪にもならないし、善悪の境をついてくる作品も多い。
個人的には、今週で1番いい作品だった!
重い映画でもいいというなら、この映画を猛プッシュするよ!!」
亀「確かに娯楽大作もあって欲しいが、日本もこういう戦争映画を作って欲しいものじゃな」
主「だけど……それゆえに期待するのが『この世界の片隅に』だから。この作品が描く戦争って、それまでの日本の映画が描いてきた戦争と一線を画すものだから、非常に期待値が高いよ」
亀「戦争映画も大注目じゃな」
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