今回も普通のブログのように書きます。
まとまりのない上に個人的な思いをダラダラと書いた、長い文章になりますが、読んでいただきますと幸いです。
会社の同僚に”新千歳空港で2泊、その後日帰りで京都に行く”と話をすると笑い声すら上がらなかった。どうやら、自分は呆れられるようなことをしたらしい。
確かに、それが映画祭のためだとしてもわざわざ新千歳空港まで行って一歩も出ずに2泊して、さらにその足で京都まで行き、日帰りで東京に帰るのは、なかなかクレイジーな日程だと自分でも思う。
しかも、だ。今回はスケジュールがギリギリまで決まらず、飛行機のチケットを1週間前に確保した。当然、額は高くなる。
その理由の1つが東京国際映画祭で上映される映画のスケジュールとの相談ということもあったのだが、何よりも大きかったのが京都アニメーション主催の追悼式典の一般参加がどのような日程や形式で組まれるか、予想できなかったことだ。
(もちろん、怠惰もある)
だから、全てが決まってからスケジュールを立てることにした。
たとえお金がかかったとしても、これだけはやり遂げたいと思った。
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京都アニメーションと私〜そして私は京アニを憎んだ〜
自分はかつて京都アニメーションに対して並々ならぬ思いを抱いていた。
ファンとして?
もちろん、今はそうだ。
だが、昔は違った。
自分の好きだったアニメの流れを決定的に変えた”敵”の象徴だったのである。
自分が影響を受けてきたアニメは90年代後半から00年代前半の作品が多い。具体的な名前をあげれば
- 『カウボーイビバップ』
- 『機動戦艦ナデシコ』
- 『無限のリヴァイアス』
- 『トライガン』
- 『スクライド』
- 『プラネテス』
- 『ガングレイブ』
- 『ラストエグザイル』
- 『ガドガード』
……もちろんもっと列挙することもできるが、とりあえずこの辺りにしたい。
しかし、こうして並べると谷口監督と黒田洋介脚本に影響を受けているのがよくわかる。
自分にとってアニメとは”少年少女が困難にぶつかりながらも成長したり、あるいは大人の男のプライドがぶつかり合うもの”だったのだ。
女の子の可愛らしさはあってもいいが、あくまでも主体は男。
上記に挙げた作品たちも”男(の子)が意地やプライドをぶつけながら成長したり、あるいは破滅に向かう”というタイプの作品ばかりだ。男は死ぬまで戦いであり、挑み続けなければいけないと考えていた。
今だったら炎上しそうな考えである。
まだ、ポリコレが騒がれるずっと前の話である。
そんなことを言いながらも『あずまんが大王』『シスタープリンセス リピュア』『君が望む永遠』なども隠れて鑑賞していた。友達には「あんな萌えアニメ(漫画)を見るような奴は気持ち悪いよな」と言いつつ、自分は隠れて『いちご100%』を読んでいた。
あくまでも好みは男のドラマだと言い張っていたし、実際そういった作品が好きだった。今思うと、なかなか偏屈で周りが見えていないのだが、若い時なんてものはそんなものだと納得してほしい。
ある日、革命が起きた
そんなある日、アニメ界に革命が起きた。
『涼宮ハルヒの憂鬱』の登場だ。
もちろん、ハルヒは自分もリアルタイムで鑑賞したし、今でも特に音楽シーンにおいて12話の『ライブアライブ』を超える革命的な瞬間はなかったと、思い出補正とファンびいきも込みではあるが断言しよう。
ハルヒを境にアニメ業界は大きく変わった。
『電車男』に端を発するオタクブームと萌えブームが発生し、オタクが一定の地位を獲得し始めるのと共に、アニメ業界は萌え一色となった。
何を見ても女の子、女の子、女の子……萌え、萌え、萌えの山。
金髪ツインテール、黒髪ロング、血の繋がらない妹、無口系ヒロイン、死にそうな病気持ちの少女が量産されては消費されていく。
もちろん中には『とらドラ!』などの名作も登場するが、あの頃に描かれていた破滅へ向かう男のプライドは”萌えは売れる”とわかった業界の魔の手によって軟弱なやれやれ系主人公とラッキースケベに魔改造され、男のケチなプライドは美少女フィギュアの足で完膚なきまでに踏み潰されるご褒美……もとい、弾圧を受けた。
そして『AIR』 『CLANNAD』などのゲーム原作から『らき☆すた』『けいおん』なども爆発的ヒットを記録し、美少女と萌えと日常アニメブームの頂点に君臨するのが京都アニメーションだった。
そりゃ、恨みましたよ。
熱いロボットアニメを、タバコと硝煙の似合うおっさんを、滅びゆく男たちを、『女(キャラクター)に関して語ることなど何もない』と言い切った某監督のようなあの熱を返してほしかった!
京アニはさっさと『フルメタル・パニック!』を最後まで作れ! と思った。
ちなみに、これはいまだに思っている。
そんなこんなで京アニは自分にとって不倶戴天の敵だった。
もちろん、一方的に勝手に敵視しているだけで、京アニは順調に名声を獲得していったのだが……
結局、自分は京アニ作品では『氷菓』など一部作品は鑑賞し、感動し、激賞し、不倶戴天の敵のやり口に思うところはあれども屈するような人間と成り果てていった。
あの男たちの熱は消え去ったのだと、それが時代の変化だといつの間にか記憶の奥底で葬り去っていたのだ。
ブログ開設からの大きな変化
というわけで、自分にとって京都アニメーションは『技術はすごいけれど、そんなに好きじゃないスタジオ』くらいの印象でもあったのだ。
そんな中、2016年に物語の感想ブログとして『物語る亀』を開設した。
当初は一応毎日更新していたけれど、見返すまでもなくひどい記事を恥ずかしげもなく連発していた。
まあ、これは今も変わらないのだが。。。
そして、あるタイミングから映画の記事を始めた。
これは今でもそうだが、自分は言うほどの映画ファンではない。むしろ”映画をもっとも見ていない映画ブロガー”だと自覚している。
ただ単に
- 2時間ちょっとで完結する作品が多い
- 毎週新作が公開される
- アクセス数が多い←これが1番大事
などの条件が一致しただけだ。
テレビアニメは最低3ヶ月は完結するまでかかり、完結しない物語はあまり語ることが難しい。
漫画なんて完結するのは人気作ならば10年以上先の話だ。
ラノベも完結までは遠く、小説は読み切るまで何時間もかかる上にそこまでアクセス数が稼げない。
演劇・テレビドラマはそもそも見ない。
となると、映画が1番手っ取り早かった。
物語だったら何でもよかったのだ。
それだけの理由で映画がブログの中心になった。
そんなこんなでのんべんだらりと日々を過ごしていた2016年の夏、衝撃の出会いを果たす。
『シン・ゴジラ』と『聲の形』である。
この2作品の熱量は今から書け! と言われても不可能なほどだ。
それほどの何かがあったし、自分のブログの方向性や書き方を決定的なものにしてしまった、オールタイムベスト上位に君臨する2作品である。
人生で1番劇場で見た映画は『聲の形』であり、あれほどまでに忌み嫌っていたはずの京アニがここまでとてつもないものを作り上げたのか、と驚愕した。いや、その前から『涼宮ハルヒの消失』などでとてつもなさは知っていたのだけれど、改めて痛感した。そこから京アニに対する見方が変わったし、映画やアニメの見方そのものが変わった。
牙を剥いて威嚇していた野良犬が、不倶戴天の敵に喜んで尻尾を振る野良犬へと変化したのだ。
その後のハマりように関しては、このブログを読んできてくれている方ならばよくご存知でしょう。
そして、あの日が訪れる
一時期は総集編作品を含めて毎月のように映画が公開され、2019年も京アニの作品が何作も公開されていた。京アニ作品を楽しめることが当然であり、次回作の予定が発表されるたびに期待に心を踊らせていたあの日、事件は起きた。
世界が変わってしまった。
当日のその時間は電話で打ち合わせをしており、電話を切ってTwitterを開いたら第一報が届いた。最初は、台所あたりがちょっと燃えたくらいのただのボヤだろうと思っていた。
爆発?
家庭用ボンベが爆発したの? と
しかし、刻一刻と状況は深刻化していった。
速報で某監督の無事が報道され、30名以上が救出されたと聞いて少し安堵した部分もあった。だがテレビ画面が映し出した現場の様子は自分の予想を遥かに超えていた。そして、まだ取り残された人がいる可能性が高いことが告げられた。
その後の経緯の詳細を、語る必要はない。
結果的に当日の発表時点で33人、その後に亡くなられた方を含め36人の尊い命と才能がこの世を去り、重軽傷者は33人にのぼる史上最悪の放火事件となってしまった。報道を通して知る現場の様子は凄惨を極め、プロである消防士の悲痛な思いが伝わってきた。
もうダメだと思った。
多分、このまま京アニは、アニメ業界の宝の1つは消失してしまうのだろうと漠然と思った。その失ったもののあまりの大きさも愕然とし、加熱する報道、横道に逸れる議論、進まない原因究明、一部から京アニに寄せられる罵倒……それらに対する怒りもあった。
だけれど、1番怒りを抱いたのは、楽しみにしていた作品を見ることができないことが頭をよぎる身勝手な自分に対してだ。
あの日頭をよぎったのは「新作のヴァイオレットなどの公開はどうなるのだろう? 外伝は公開日が2ヶ月後だからすでに第一スタジオでの作画作業などは終えているかもしれない。だけれど新作劇場版はさすがに来年の1月の作品となると絵コンテなどが上がったくらいで、これから作画に取り掛かるシーンも多いはずだ……」と、スケジュールの心配をしている自分がいた。
だから、いち早く始めてくれたアニメイトへの寄付へ行ったのは、京アニへの思いやりというよりも、自分の気持ちを落ち着かせたいだけの欺瞞であったことも否定しない。
100%利己的な行動が、100%他者を救う行動に変わることを祈る、心底自分勝手な人間の思いだった。
献花には行かなかった。
行きたい気持ちもあった。
現場を見たい気持ちもあった。
それは、野次馬根性もあるだろう。
でも、行かなかった。
理由は自分でもわからない。お金かもしれないし、時間かもしれないし、気力の問題かもしれない。でも、それらはどうにでもなるはずだ。それでも、行かないまま月日は過ぎていき、献花台は撤収された。
その間も様々なことがあった。
新作映画をいの一番に見にいって記事を書いた。
募金もしていた。
10月18日に行われた八田社長の記者会見を全部見た。
それらは自分が善良だからではない。
映画やアニメについて好き放題語り、勝手に罵倒し、勝手に物語の解釈を作り上げて語ったことへの、せめてもの贖罪のつもりだった。
自分が悪辣なブロガーであることはよくわかっている。批判的な声もあるだろうし、嘘を撒き散らす原因の1つにもなっていただろう。創作者の立場になったら、最も嫌がるタイプのブロガーではないだろうか。
その償いでもあった。
そして11月4日を迎える
そして、今日の日を迎えた。
多くのツイッターのフォロワーさんが、みやこめっせへと向かっていた。
駅につくとすでに改札口では案内役の人が看板を持って立っており、スムーズに流れができていた。行きかう人には黒いスーツや喪服姿が目立ち、着慣れていないのだろう、窮屈そうに歩きながらも、しっかりとした足取りで会場へ向かう若者も見受けられた。
そして会場へ入ると、厳重な荷物チェックを受けた。
コンサートや野球場などでも荷物検査はされるが、ここまで厳重にチェックされたのは初めてだった。北海道で2泊もしていたため、若い女性に自分の汚れた下着などを見せるのが申し訳なかった。
案内に促されて進む。すれ違うスタッフの誰もが沈痛な面持ちながらも、しっかりと会釈を交わす。もしかしたら、この人たち全員とは言わないまでも、何人かは京アニの社員さんがいて、亡くなった方と面識があった方がいるかと思うと、胸が張り裂けそうだった。
会場は閑散としていた。
滞りなく、スムーズに進行していた。
本来はこの広い会場がいっぱいとなり、スタッフとお客さんが賑やかに言葉を交わし合うであろう場所がガランと静まり返っていた。
お客さんが何時間も滞在し、原画の観覧やグッズ購入のために、いくつもあったであろう行列は、大きな祭壇の前で祈りを捧げるための列に変貌している現実に愕然とした。
祭壇の前に立つと、やはり込み上げてくる思いがあった。隣の女性は静かにハンカチで目元を抑える一方で、反対側にいたスーツ姿の男性は淡々と手を合わせていた。でも、この2人の思いは同じだろう。
自分も荷物を置き、手を合わせる。
そしてゆっくりとその場を後にした。
時間にして、わずか1分の出来事。
みやこめっせにいた時間は10分もないだろう。
式に対しての文句があるわけではない。むしろ逆だ。過度なことを一切せずに淡々と思いを寄せる場を設けてもらったこと、スムーズな進行に頭が下がる。その一方で、やはりこれだけの会場を、たった10分で後にしなければいけないことになった現状に対して、思うところがあった。
それはみんな同じだろう。
京都の街をぶらつく
京都に来てからの予定は一切決めていなかったので、早くも時間に余裕が生まれてしまった。そのため『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の舞台になったCH郵便社のモデルとなった京都文化博物館へと歩いて行った。
とても厳かで風情がある建物だ。中に入ると薄暗い中でイベントが行われているようだった。壁には京アニ作品のパネルが置かれており、過去のイベントで使用された記事が紹介されていた。
その中でも、以下の文章がとても心に響いた。
『アイディアを出し合い、互いを信頼し、人と人とのコミュニケーションを図りながら、いわば「よってたかって」創る。このコミュニケーションこそ「アニメづくり」の基本です。
英語のanimateという言葉には「絵を動かしてアニメーションにする」という意味の他に「元気づける、活発にする」という意味があります。
私たちは人を元気づけられるような、活発にできるような作品を創り続けたいと思います』
(赤字は筆者が独自に強調のためにつけています)
社長が会見で「よってたかって」という言葉を使われていたのが印象的だった。普通ならば”協力して”などの言葉を使うところを”よってたかって”と語ることで、血の通った言葉として発せられていることが伝わってきた。
その言葉はこの頃、すでに出来上がっていたのか……と感銘を受けた。
人々を元気づける、活発にするようなアニメを体現してきたのが京都アニメーションだろう。
優しく、暖かく、そして誰も傷つかずに、厳しい現実の中でも諦めずに進む姿を提示してきた。日常の尊さを表現してきた。
だからこそ、今回の件は一層辛い。
でも、だからこそファンがこれだけ答えてくれたのだろう。
近距離で紡がれた物語たち
鴨川沿いに歩き、狸の四兄弟に会いに下鴨神社へいくなど、色々なアニメの舞台を聖地巡礼したがら歩いた。
そして、意を決してある場所へ向かった。
京都アニメーション第一スタジオ。
誰もが知る、あの事件が起きた場所だ。
公式に立ち入らないように、というアナウンスがありながらも、献花をすることができていないこと、そして何よりも野次馬根性が勝った。だが、地域住人の思いを、そして京アニサイドの思いを踏みにじるような行動をしてはいけない。
そんなある時、会見のあるシーンを思い出した。
「いやでも電車から見えてしまうんですよ」という社長の言葉だ。
では、近づくことなく遠くから電車で観るのはいいのではないか? と思い行ってみた。
何がいいのか、自分でもわからないのが、正直なところだけれど。
京阪宇治線はなんて事のない、日常の中にあるような簡素な路線だった。窓の外は住宅街であり、時折古都らしい姿を見せるものの、日常の中にポツンと存在しているようだ。本当にこんな場所にあるのだろうか、と窓の外を眺めていた。
一目でわかった。
テレビで見た黒く変色した大きな建物。窓ガラスには白い紙か布が貼られていた。
明らかに日常から乖離した、異質な存在だった。
それだけで、自分には十分だった。
終点の宇治駅に降りた。
特にやることはなかったのだけれど、スマホ依存症のために適当に弄っていたら、平等院鳳凰堂があることを知った。そんなことすら知らないほど、何も調べずに宇治まで来たのだ。
なるほど、そこに行こうかと思いふと駅構内を見ると、久美子と麗奈の看板があった。
はぁ……流石に京アニに近いからコラボしているのだな、と思い周辺の地理を示した案内を見て、ふとあることに気がつく。
大吉山。
……大吉山?
大吉山ってあの? 久美子と麗奈が演奏した場所?
そこで調べてみると……出るわ出るわの聖地の情報!
考えるまでもなく”北宇治”と語っているのだから、その可能性に気がつかなかったのもどうかしていると思うが、何しろ京阪宇治線の終点が宇治駅ということも知らなかったのだ。
しかも、この狭いエリアでいくつもの名シーンが生まれたことを知り、突発的に聖地巡礼を始めた。
「上手くなりたい!」の宇治橋を超えて、平等院の通りから橋を渡り大吉山を目指す。久美子と麗奈が通った道だ。考えることはみんな同じなのだろう、すれ違う人の中にも明らかにユーフォファンや、中にはスーツや喪服のまま山に登る人がいた。すれ違った女性は喪服でハイヒールに見えたのだが、大吉山を登ったのだうか。
20分弱ほど山を登った先では、あの名シーンが紡がれた場所があった。
逆光でよく写真は上手く撮れてないが、そこには何度も繰り返し見た光景があった。もちろん、イヤフォンは『愛を見つけた場所』を流した。
その場にいるファンの誰もが作品を思い返していた。
そこには平穏が、日常が、変わらない光景があった。
『響けユーフォニアム』は本当にごく限られた範囲をロケし、作られた作品なのだと肌で知った。作中で登場した場所の実在感は映像でも捉えられており、おそらく京アニスタッフの日常を詰め込んだ場所なのだろう。
あれだけ何度も京都アニメーションが火災現場に近づかないでくれとお願いした理由が、守りたかった平穏や日常が、そこには尊く存在していた。
JR宇治駅に貼られていたポスター
もう公開はとうに終わっているのに、まだ貼られていることが印象的でした
変化する京都の街、そして……
この先の京都アニメーションがどのように変化するのか、想像もできない。
我々はまだ三好一郎さんを、武本康弘さんを、津田幸恵さんを、西屋太志さんを、渡辺美希子さんを、横田圭佑さんを、宇田淳一さんを、栗木亜美さんを、大村勇貴さんを、笠間結花さんを、そしてここで列挙する事のできないほどの多くの方々を失った後の京アニを知らないのだ。
それが、今までと変わらない京都アニメーションである保証はどこにもない。
変わらずにいることは、不可能だとも思う。
それでも、前を向いて作り続けると話し「お別れ そして 志を繋ぐ式」を開いていただいた京都アニメーションに対して、ファンができることは応援すること、募金すること、買うこと、祈ること、待つこと、忘れないこと、語り続けること……きっとたくさんあるのだろう。
人が亡くなる、それを受け入れるというのは、本当に尊い儀式であり、式に出たからといって一律でみんなができるわけではありません。
それでも100日ほど過ぎて、こういった式典を開いていただき、本当にありがとうございます。
多分、一区切りになった方はファンの中でもいると思います。
まだ区切りがつかない方もいると思います。
それでいいと思います。
京都という街は江戸・明治・大正・昭和・平成が混在し、その時々の日常の香りを残しつつも新しい一面も見せる不思議な街だ。
令和になり日常がどのような変化を遂げるのか、そして京アニがその日常を、平穏をどのように描くのか、楽しみに待たせていただきます。
物語る亀
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余談
京都で食べたうまうまの話を。
自分にとっては食が日常かなぁ……
体重計が怖い……
京都うまうま
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2019年11月4日
いや、いくら宇治だからって抹茶ラーメンって…(苦笑)しかも抹茶餃子とかさ、一応食べてみるけれどどうせゲテモ…
ウマ!?
ビックリした、普通に魚介系の醤油ラーメンとして美味い
ただラーメンと餃子のニンニクが強くて抹茶の風味は飛んでいるけれど…美味い! pic.twitter.com/WP1w4rputY
ちなみに抹茶たこ焼きもあったので食してみた
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2019年11月4日
やはりソースに負け気味だけど美味い
こちらは若干抹茶風味が残っている
というかさ、当たり前だけど宇治だけで見どころ多過ぎて時間がなさ過ぎなんですけど!
今度はちゃんと早めに来て下調べしてから平等院鳳凰堂を観よう pic.twitter.com/MSkJkV9lcj