カエルくん(以下カエル)
「えー、ではこのブログが1番苦手としている大作ヒーロー映画のお話ですが……」
ブログ主(以下主)
「いやいやいや、そんなことはないよ?」
カエル「珍しく今作はノリノリで鼻歌混じりで見に行ったんだよね……マーベルヒーローはまっっっっったく詳しくないのに、ウルヴァリンは好きなの?」
主「いや? 思い出と言っても昔『カプコンVSマーベル』という超有名格ゲーで結構使いやすいというのもあって少し使っていたくらい。あの時に初めてウルヴァリンを知ったけれど、今でもどんなキャラクターなのかはよくわからないなぁ」
カエル「……え? じゃあ、なんであんなにノリノリだったのよ?」
主「『最後のウルヴァリン』と呼ばれていたのもあるけれど、あの予告編の作り方が自分の好きなタイプの映画だったんだよね。『レスラー』などのような、ダメで年老いた男が最後に気力を振り絞って何かを残す、というタイプの映画。
それなら、絶対に見ないと損じゃない?」
カエル「まあ、世界で見ても日本での公開は結構遅くなってしまったけれど、各国で高い評価を経ていて、この手のヒーロー映画に辛口の批評家もこぞって絶賛しているというね」
主「あとはラスト! と名打つことで後先考えないで様々な物語を展開することができる。ヒーロー映画に限らず、キャラクター映画の難しい部分は話の展開が限定されてしまうことだ。
ほら、ルパンなんかも『ルパンが撃たれた!?』とか言うけれど、ルパンが死ぬわけないって誰もがわかりきっているでしょ? 最後だとそういう足枷が取れるから、映画として中々面白い作品になる場合が多いと思うんだよね」
カエル「さて、その予想は当たったのか外れたのか?
では6月最大の注目作、ローガンの感想へといってみましょう!」
1 ネタバレなしの感想
カエル「では最初にも語ったようにウルヴァリンシリーズ、そしてまさかのXメンシリーズすらも初見の感想になるけれど……」
主「だからこそお約束とか世界観の設定とか、キャラクターなども何も知らずに見にいきました。あ、一応ウルヴァリンについてはwikiなどで軽く予習はしていたけれど……それもあまり役に立ったとは言い難いかな?
なのでウルヴァリンに愛のない人、よくわからない人にとっては結構参考になるんじゃないかな?」
カエル「いつものことだけどよくそれで記事にするよね……
で、全くの初見の感想としてどうだった?」
主「自分は海外ヒーロー映画もそんなに詳しくないけれど『ダークナイト』とか『デットプール』みたいな作品は好きなのね。
で、今作もその仲間入り!
ウルヴァリンについて、マーベルヒーローについて全く知らない人にも届く1作に仕上がっているし、もちろんファンなら絶賛するであろう作品に仕上がっているよ!」
カエル「おお……ここまでヒーロー映画でオススメするのは珍しいかも……」
主「やはりヒーロー映画というと派手なCGを使って、映像がすごくて爆発が多くて……というイメージがあると思う。だけど、キャラクター愛に溢れた脚本はあれども、社会性や批評性がある作品はそこまで多くないかな? という思いがあった。
大体テーマも『正義とは何か?』などになってくるし……それはヒーロー映画なんだから当然かもしれないけれど、下手をすると派手な演出合戦のようになりがちなんだよね。特にシリーズ物の場合前作から引き継いで、さらに次回作への伏線などを入れなければいけないし、やらなければいけないことが多くて……
だけど本作は先ほども語ったように『今作で終わり!』だからこそ、この作品でしかできないことをたくさん詰め込んだ印象がある」
これがラストの『ウルヴァリン』
(C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation
本作品にかける意気込み
カエル「マーベルとしては『デットプール』が初のR15指定されるほどの過激な描写があって、それを引き継ぐかのように派手なグロテスク表現や一部のエロティックな表現がある作品だけど……」
主「アメコミヒーロー映画でここまで……エロはそこまでないけれど、グロがある作品もないだろうなぁ。
今作はR15指定ということで中学生以下は鑑賞できないけれど、これって興行的にはかなり問題じゃない? 特にこの手の作品は子供も見ることが多いからさ。もちろん、アメリカのレーティングはまた違うだろうけれど、普通はここまでのグロテスク表現は避けるはず」
カエル「注意のために言っておくと、今作は相当エゲツない描写が多いです。例えば腕や足の切断は当然のこと、頭から上が吹き飛んだりする描写も多々ありますので、そのような描写が苦手な人は避けたほうがいいかもしれません」
主「もちろん『ヒメアノ〜ル』や『バトルロワイアル』に比べたらだいぶ柔らかい表現になっているけれど……今作が攻めたなぁ、と思わせることの1つ。
そして驚愕したのは、この映画のヒロインであるダフネ・キーンが演じるローラなんだけれど……この子の描き方だよね」
カエル「これは予告編にあるのでネタバレにならないと思うけれど、戦闘描写があるけれど……」
主「この戦闘描写がかなり激しい! 何がすごいってもちろんCGやカメラワークを駆使したアクションももちろん派手で目を引くけれど、暴力描写が容赦ない!
当然のように敵を攻撃したり、敵に攻撃されたりする描写があるわけだ。で、ローラは小学生くらいの女の子なわけだけど、その描写がウルヴァリンに負けず劣らずバイオレンスで!
アメリカって相当子供とバイオレンスについてうるさくて厳しいから、これは一歩間違えると議論が巻き起こるレベルじゃないかな? だけど必要だと思ったから勇気を持ってそういう描写を入れてきて……
これだけで製作陣の作品に対する思いが伝わってくるよね」
カエル「最後ということで本当に素晴らしいものを作ろうとしていたんだね」
主「ただ、王道のヒーロー映画を望んでいたらダメかもね。ちょっとバイオレンスすぎる気もするし、万人ウケするようには出来ていない。その意味では『ダークナイト』に近い評価になるのかなぁ?」
2 キャストについて
カエル「ではキャストについて語るけれど、もちろん今回のキャストは全体を通してみんなよかったよ!」
主「自分はほぼ初見だったけれど、今作のヒュー・ジャックマンのウルヴァリンはラストというだけあって、疲れ果てたおじさんという印象を与えるキャラクターになっている。
ヒーロー映画のカッコよさとはまた違う、枯れた良さがあって、おじさん好きにはたまらない演技だったんじゃない?」
カエル「特にローラとのやりとりとかも良かったよね。ある意味は今作はロードムービーでもあるわけだけど、その中で少しづつ交流を深めていく様子などがあってさ」
主「それまでの激戦への思いであったり、様々な葛藤なども感じさせてくれるような演技であって、文句はないね。もちろん、肉体はムキムキマッチョだからヒーローであることに違和感もないし、最後ということで相当作り込んできたんだな、と伝わってくる演技だった」
今作のヒロイン、ローラを演じるダフネ・キーン
(C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation
カエル「一方のヒロインのローラだけど……」
主「今回のMVPは間違いなくこの子でしょう!
大人しくしている時の表情であったりとか、仕草などは年頃の女の子そのもので非常に可愛らしいものになっているんだよ。
だけど凶暴な一面を見せるときはその可愛らしさが一気になくなってしまい、恐ろしいミュータントに変身する。このメリハリがしっかりとできていたし、守らなければいけない弱い存在でありながらも、畏怖すべき脅威でもあるという両面性を演じていた。
これだけ小さくてもこれだけの演技力って怖いよねぇ……次回作も決まっているらしいけれど、『レオン』のナタリー・ポートマンのように女優として高く評価される存在になるかもしれない」
カエル「そこまでお喋りな役でもないし、会話とかで誤魔化すことができない分、体や表情の演技が目立ったなぁ」
主「本作はヒュー・ジャックマンや、プロフェッサーXを今作で引退するパトリック・スチュワートという気合も入った名優たちの演技を相手にしながら、一歩も引くことなく演技合戦を戦い抜いた彼女には賞賛の声以外ないでしょう!」
以下ネタバレあり
3 風変わりなヒーロー映画
カエル「ではここからはネタバレも交えながら本作の感想を語っていくけれど、この映画の特色って一体何?」
主「普通……というかここ最近のヒーロー映画って『正義とは何か?』をテーマにした作品が多かったんだよね。それこそ『シビルウォー』なんてそうじゃない? どちらも正解だからこそ対立してしまうものを描いていた。
これはアメリカ社会が抱える正義に対する問題が如実に現れていると思っていて、冷戦中は対等な存在としてソ連がいたわけだ。だからアメリカから見ると『正義対悪』の構図として成立していた。
多分、アメリカのヒーロー文化って『自国を正義だと無条件に信じる』ということから始まっている。大戦中を含めて良くも悪くも戦争の主役でもあったし、存在感のある大国だったからね。一種のプロパガンダだ」
カエル「だけどソ連が崩壊してテロとの戦争になってきて、敵が明確な敵と思えなくなってきた。自らの正義を問う事態が増えてきたからこそ、ヒーローも『自らの正義を問う』という物語が増えてきたのではないか? という分析だね」
主「今まで無条件に信じていた自分たちの正当性が揺らいだ時にどうなるか? ということを描いてきたのがここ最近のヒーロー映画であり、そして強くて派手でかっこいいだけではない、文学性や哲学性を獲得したんじゃないかな?
で、ローガンに話を戻すと……この映画って不思議なくらい『正義』という言葉が出てこないんだよね」
カエル「正義を問うという物語でもないんだよねぇ……もしかしたらウルヴァリンのキャラクター性がそうさせるのかもしれないけれどさ」
主「確かに治安維持部隊であったり、研究所の面々は悪党だよ。あいつらが諸悪の根源であることは間違いない。だけど、あんな善悪の区別もつかない強力な力を持つ子供を放置していてもいいのか? という問題もある。
もちろん、相手も命を狙って銃を撃ったりしている。だけど戦い方などを見てもウルヴァリンサイドの方がエゲツない、凶悪な戦いをしているんだよね。むしろ敵は子供達を生け捕りにしようとするなど、人道的な部分が少しはある」
カエル「もちろん『子供を殺すことはNGだから』という大人の事情によるものかもしれないけれどね」
パトリック・スチュアートも今作でプロフェッサー役は引退
(C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation
ヒーローが終わる時
主「これって結構不思議な現象だと思わない? ラストなんだからさ、ヒーローらしく華々しいラストにしてもいい。過去にない超凶悪で強い敵が現れて、ピンチになりながらも全てを賭けて敵を倒し、ウルヴァリンは去る……そんな物語でも良かったはずなんだよ。
だけど、今回の『ローガン』はこのような物語を描いた」
カエル「ミュータントの凶悪性を重視していたと思うんだよね。プロフェッサーXが暴走して多くの人を巻き込んでしまう、という事件があったけれど、自分の持つ力を制御できるのか? という問題もあって……」
主「先ほどの『ヒーロー映画=アメリカ』理論で言ったらそれこそ超大国として、世界VSアメリカで戦争してもアメリカが勝つとも言われるほどの軍事力を持つ国の自意識を問う映画にも仕上がっている。多くいたX-メンの仲間たちもいなくなっていて、止めてくれる相手もいない。
そして今回のローガンは力が衰えていくわけだ。ミュータントとしての力を失いながらも、それでも残せるものは何か? そしてその選択は何か? ということを主題で描いている。
ではなぜこの設定にしたのか? ということだよね」
カエル「これもヒーロー映画の自意識もあると?」
主「今作を見ていて強く感じたのが『ヒーローの否定』の物語であって、ウルヴァリンは自分が活躍していたアメコミを否定している。そしてエデンはない、と言い切るわけだ。
しかも多くの罪のない人を救ったり、弱者であるローラを救うよりもまずプロフェッサ−Xを助けに向かったりと、かなり人間臭い存在になっている。
自分がヒーロー映画が苦手というのもあるかもしれないけれど、この映画はその手の文脈にはない。むしろ『レスラー』や『ロッキー』の文脈に近い映画に仕上がっているんじゃないかな?」
今作の敵サイドも強力な敵、という面はあまり見えてこないかも……
(C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation
本作と類似するテーマの映画
カエル「他の映画と比較して語ると……どの映画に似ていると思う?」
主「自分はイーストウッドのようだな、と思った。
クリント・イーストウッドもある種の『アメリカのかっこいい男像』を演じてきた人物であり、その意味ではウルヴァリンと並ぶヒーローと言えるかもしれない。過去には悪を裁く存在として銃をたくさん撃って悪人を滅ぼしてきた存在が『許されざる者』ではそういうヒーローからの引退を描き、そしてイーストウッド監督作品ではラストとなる監督主演作『グラン・トリノ』では圧倒的なカタルシスを迎えるラストを描いてきた。
つまり、それまで『強きみんなの憧れであるヒーロー』が衰えて去っていく様を描いている。そしてこの映画はイーストウッドが『許されざる者』と『グラン・トリノ』で行ったことを1作でやりきった感もある」
カエル「ここまでバイオレンスにしたのも、その『ヒーローの滅びの美学』をより引き立たせるためなのかな?」
主「そうだろうな。
ヒーローの去り方を描く作品というのは、最後に必ずヒーローの見せ場があり、そしてその多くが新時代への継承の物語でもある。
自分はこの映画は大好きなタイプの作品だけど、それは正義の味方、圧倒的な強者であるヒーローではなくて、むしろ悪党やダメ男の最後の矜持を描いたピカレスク・ロマンに近い匂いを感じるからなんだ」
4 中盤の描写について
カエル「家族関係の対比などもすごくうまかったよね。それが1番光ったのが中盤の黒人一家との交流のシーンでさ」
主「ここでは明らかにウルヴァリン一家……といっていいのかはわからないけれど、でも疑似家族一家と平穏な一家の対比を描いていたよね。
そしてここで黒人一家を攻撃する存在、工場の悪徳管理人などが育てているのが『クローン栽培されたコーン』であり、これは明らかにウルヴァリン達ミュータント揶揄している。
だから単なる対比だけではなくて、ミュータントいう存在は平穏をぶち壊す存在であるということが暗に示されている」
カエル「そして敵に襲われるけれど、結局あの一家に危害を加えようとするのはミュータントであるという……」
主「このように本作は徹底的に主人公サイド、ミュータントを恐ろしい存在として描いているわけだ。平穏は訪れないし、それを壊す存在といね。これはヒーローだけではなくて、日本では『名探偵コナン』などでも同じようなことが指摘されているけれど、主人公がいるから事件が起きてしまう、という物語の矛盾をついている。
主人公がいなければ問題は何もないんだよ。事件も起きない。だけど、それを解決する存在がいるからこそ、事件はまた起こってしまうというある種の矛盾についても言及している」
カエル「これは『レゴ・バットマン』などでもあったよね。警察と協力すればいいのに、協力しないから色々な問題が発生するわけで……」
主「しかもさ、ウルヴァリンはそんな一般人を助けようとしない……というと語弊はあるかもしれないけれど、でも積極的に救おうとはしない。あくまでも自分とプロフェッサーが第一。子供すらも見捨てそうになっている。
じゃあ、なぜそのような描き方をしたのか? ということについて考えよう」
ヒーローが去りゆくとき
(C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation
ヒーローとは何者か?
カエル「なぜそんな描き方をしたのか?」
主「そう。今作はやっぱり『ウルヴァリン』ではなくて『ローガン』が主人公の映画なんだよね。自分はさっきからプロフェッサーXと言っているけれど、作中ではほぼチャールズと呼称されていた。
つまり、本作は『ヒーロー像』ではなくて『ヒーローの中の人』にスポットライトを浴びせた作品と言える。だからこそ痴呆症にもなるし、戦うことに疲れ果てたり、物を盗んだり平気で人を傷つけたりする」
カエル「人間臭いといえば人間臭いのかな?」
主「それは能力が減退しているということでも明らかだ。つまり『ウルヴァリン』という存在は……そのヒーローとしての特性を活かすための特殊能力はほぼ減退してしまい、残っているのは『ヒーローの搾りかす』のような、人間ローガンだということだ。
だけど、その人間ローガンが残したものは一体なんだ? ということで。
それはやっぱり脅威でもあり、可能性でもあるミュータントの子供達なんだよ」
カエル「最後の戦いとかは胸にもっと派手にできたのに、そうしなかったことに胸がガツンときたなぁ」
主「つまりさ、ヒーローとは特殊な能力があるからヒーローなのではない、ということだ。我々が当たり前に抱える感情……子供を愛しいと思う感情、弱者を守りたい、敵を倒したい、障害を排除したい……そう言った思いの1つ1つが自分の身近な人を守ることになる。
それはとても人間くさいものでしょ? 何万人を救いたい、という思いではなくて、たった1人を……自分の娘を守りたい、子供達を救いたいという思いが、枯れ果てた彼の最後のヒーロー魂に火をつけたわけだ」
カエル「じゃあ、やっぱりあのラストは最後の最後で、ローガンはXメンになったということなのかなぁ」
主「そうだよね。そしてそれは自分がほんの少し手を伸ばせば届く範囲の家族たちを守りきった人に与えられる称号でもある。
最後のヒーロー映画だからこそ描けるものだったんじゃないかな?」
最後に
カエル「珍しくヒーロー映画を絶賛した気がする……もしかしたらこのブログ初じゃない?」
主「自分は『正義の味方』ってどうにもしょうに合わないんだよね。昔から主人公サイドよりも、悪役の方に感情移入しちゃうタチだから。
その意味ではヒーロー映画でありながら、ある意味では悪党を描いてくれた今作はすごくわかりやすいし、自分の趣味に合っていたなぁ。
もしかしたら正義の味方を望んでいた人には不満かもしれない。ここ最近のマーベルとは違ってシックな雰囲気だし、派手さもないとは言わなけれど、結構抑えられているし、日本では少し意見が割れるかもね」
カエル「だけど、本作からウルヴァリンについて知ろう! って人もいるんじゃないかな? 初見さんでも楽しめたし!」
主「順序がおかしいかもしれないけれど、絶対にウルヴァリンファンは増える作品だよね」
カエル「全くヒーローになじみがないでも楽しめる1作なので、是非とも鑑賞してね!」
- 作者: マーク・ミラー,スティーブ・マクニーブン,秋友克也
- 出版社/メーカー: ヴィレッジブックス
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