カエルくん(以下カエル)
「いよいよブレードランナーの新作公開だよ!」
ブログ主(以下主)
「今年はヴィルヌーヴの作品が3作品(『静かなる叫び』『メッセージ』と本作品。静かなる叫びは2009年公開も、日本では未公開だった)もあって、どれもが素晴らしい傑作揃いだから恐ろしい映画監督だよ……」
カエル「以前の記事でも語りましたが、このブログはヴィルヌーヴのファンだけれど、ブレードランナーを鑑賞したのが実は10月に入ってからだったというね……」
主「いや、でもそれは正解だったと思うよ。
ブレードランナーをテレビで観てもその衝撃ってわかりづらいんじゃないかな?
もう35年前のSFであるしさ、どうしても古臭さは否めない。もちろんファンが多い作品なのもわかってはいるけれど、それが却ってハードルを上げてしまう結果にもなるし、脚本も今の映画に比べると結構タルいシーン……展開が遅いシーンもある。
面白いですか? と言われると、その魅力は伝わってこないかもしれなかった。
でも今回の新作上映のために多くの劇場が『ブレードランナー ファイナルカット』を映画館で公開したわけだよ」
カエル「確かにブレードランナーを映画館で見ました、という人は35年前ならともかく、現代ではそこまで多くないかもね……」
主「今の……50代以上じゃないと稀有な経験になるかもね。
一部の映画は間違いなく映画館で見ないとその素晴らしさがわからないから……特に本作はSF的世界観はもちろん、音楽も凝っているからさ、映画館の方が魅力は伝わる作品に仕上がっているし。もちろん、放送当時は最新だから別だよ? あくまでも現代の話ね」
カエル「下手にソフトで鑑賞していないことも重要だってことだね」
主「では、その映画ファン注目のSF作品の感想といってみます!」
作品紹介・あらすじ
リドリー・スコットが1982年に公開し、今でも世界中の映像業界に大きな影響を与えたと語り継がれる作品である『ブレードランナー』を35年ぶりに続編を制作。
制作総指揮にリドリー・スコットが名を連ね、監督は『静かなる叫び』でカナダのアカデミー賞とも呼ばれるジニー賞で史上最多の9冠獲得したほか『ボーダーライン』『メッセージ』などでアカデミー賞にノミネートし、世界が熱視線を送るドゥニ・ヴィルヌーヴ。
脚本は『ブレードランナー』を担当したハンプトン・フィンチャーと『ローガン』や『エイリアン・コヴェナント』など近年大作映画を多く手掛けるマイケル・グリーン。
主人公にはライアン・ゴズリング、また前作の主人公であるデッカードを演じたハリソン・フォードが再びデッカードとして出演することも話題に。
前作から30年後の2049年、旧式のレプリカントであるネクサス8を探し出し、それを退役という名の排除を行っているブレードランナーのK。ある日、農家として働くネクサス8の男の情報を聴いて仕事へと向かう。
その後の捜査により男の自宅の敷地にある木の下から重要な証拠が見つかる。解析の結果ある驚くべきことが分かり……
感想
カエル「では、いつものようにTwitterの短評からスタートです」
#ブレードランナー2049
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2017年10月27日
ザ・ヴィルヌーヴ!
誰もが無理だと思ったブレードランナーの続編を見事にやり遂げる一方で、新しい(と思う)表現やテーマを見せてくれて涙すら浮かぶ
やっぱり長さは感じます
トイレも行きたくなる
でもみるべき1作なのは間違いない!
主「もうさ、ブレードランナーの新作ってだけで世界中の人が『やめておけ』っていうのは間違いないと思うんだよ。クリエイターだったら自分がやりたいって人も多いだろうし、何を壊して何を残すのかという選択も難しい。
しかもそれを単なるブレードランナーの続編にするのではなく、現代に蘇らせるに足る技術とテーマなどを内包しないといけない。もちろん、単なるコピーではなく、その監督の作家性なども発揮しなければいけない。
そんな無茶ぶりに対して……ヴィルヌーヴは完璧な回答を示した」
カエル「特にブレードランナーと共に人生を歩んできたであろう……公開当時15歳だったとしても、今50歳を迎えている人たちは感無量だろうね……
そこまで詳しくない、むしろにわかである自分たちですら『あ、このシーンは……』と思う描写が非常に多かったし、デッカードが登場するだけで涙が出てくるんじゃないかな?」
主「色々なサプライズに溢れていて、確かにこればブレードランナーの正当な続編であるのは間違いない。だけれど、ヴィルヌーヴの作品でもある。
もちろん、前作を知っている方が楽しめるでしょう。
だけれど、それを知らなくても楽しめるような配慮はしてある」
カエル「欠点としては……やはり長さはあるよね。
鑑賞前にトイレはいったけれど、最後の方は尿意との戦いになる人も多いだろうね……」
主「正直、長いです。
2時間半を超えるというのは、若干やりすぎな感も否めない。途中でかったるくなったり、眠くなったりもするかもしれない。決して派手なSF映画というわけではないし、前作にもあったようなかったるくなる、間延びしたシーンもある。
でもその1つ1つに意味があって……現代のSF、現代のブレードランナーとして見事に蘇っている。そして見終わった後に誰かと語り合いたくもなる。
だから是非とも鑑賞してほしい1作だね」
K(ライアン・ゴズリング)とジョイ(アナ・デ・アルマス)
美男美女だけれど哀しい2人……
ヴィルヌーヴ監督について
カエル「では、まずは何度か触れているヴィルヌーヴ監督についてだけれど……」
主「世界の映画業界で最も注目を集める監督の1人であり、おそらく将来的に巨匠と呼ばれるであろう存在なのは間違いない。変なことを……それこそ犯罪とか、そういうことでもない限りはこの人が映画を撮れなくなるということはありえないとすら思うほど才能に溢れている。年齢的にも今1番脂がのっている頃だろう。
自分はヴィルヌーヴが大好きで、その作品も多く観ているけれど、もちろん本作はそのヴィルヌーヴの味も発揮されている」
カエル「まず、ヴィルヌーヴの何がそんなにすごいの?」
主「色々な意見があるだろうけれど……例えば映像に凝った映画監督ってたくさんいるんだよ。だけれど、映像には力を入れるけれど物語や脚本が浅かったり、整合性が合わないという人もいる。どちらも兼ね備えていても……よく言えば芸術的、悪く言えば自分本位な作品になってしまう作品もある。
だけれど、ヴィルヌーヴはそのバランス感覚が素晴らしい。
もちろん、映像も凝っているけれど、それだけじゃない。内包するテーマも現代的で、脚本も練っていて、一見するとなんてことのないような話であっても、深読みすると色々と見えてくる。
その作家性、芸術性とエンタメ性が両立している稀有な作家の一人と言えるね」
カエル「その作家性ってどんなところ?」
主「一言で表すと『愛とは何か?』ということを追求している。それがわかりやすいのが初期作……と言ってもまだそこまで本数も多いわけでもないけれど、長編で注目され始めるきっかけになる『静かなる叫び』と『灼熱の魂』だ。
この2作は必見。もちろん、ヴィルヌーヴだからじゃない、映画としてこれほどまでに素晴らしい作品はほとんどないからね」
カエル「その『愛とは何か』というテーマが本作にもあるんだ……」
主「特にこの2作品を見た後だとよく分かる。人間の……生物の『業』としての愛、生きる上では避けられない感情……その先にあるものをSFとして描いている。
そしてそれがブレードランナーらしい決着を見せるんだけれど……それは後ほど語るとしよう」
3つの短編
カエル「この作品を鑑賞する前に見ておくといい短編が3つあって、それはすでにYouTubeや公式サイトがアップしているので、ぜひ鑑賞してください」
3作品の感想記事はこちら
カエル「簡単に説明すると、2019年を舞台にしたブレードランナーの世界から数年後に発生する『大停電』と呼ばれる現象を描いた『ブレードランナー2022 ブラックアウト』
その事件の後レプリガントの製造を禁止させる禁止法の撤廃を訴えるウォレス博士と新型のレプリガントを描いた『ブレードランナー2036 ネクサス・ドーン』
そして本作に直接つながる前日譚である『ブレードランナー2048 ノーウェア・トゥ・ラン』 の3作品です」
主「特に『カウボーイビバップ』などのオシャレアニメと言われる作品を多く監督してきた渡辺信一郎の『2022』はブレードランナー関係なく必見です!
アニメ作品として非常に優れているし、劇場で公開することを意識したと語るようにクオリティも高い!
日本を代表する名アニメーター達の夢の共演でもあって……いかに前作が現代のアニメ界に強い影響を与えたのか、はっきりと分かる作品にも仕上がっている。
今年のアニメ表現としてはNo,1だと言っても過言じゃない!
むしろ、この作品よりも作画面が優れる作品が何かあったのか? と言いたくなるほど!」
カエル「評価の基準は様々なだし、短編と長編はまた違うけれどね……」
主「作品の余韻に浸りながらもこの3作品を見返すと新しい発見があったり、また復習にもなるので是非鑑賞をおすすめします」
本作で35年ぶりにデッカードを演じるハリソン・フォード
年老いてもかっこいいヒーローであり続ける
役者について
カエル「そして役者についてだけれど……まずはライアン・ゴズリングは相変わらずかっこいいよね!
今年は『ラ・ラ・ランド』の主役も務めて、結構な話題になっている役者でもあって……」
主「見ているだけで絵になる、様になる役者だね。
もちろん、本作のKの役柄にもぴったし合っているし、彼がいるからこそのブレードランナー2049に仕上がっている。
だけれど……1番語りたいのは彼ではないんだよ」
カエル「ヒロインのジョイを演じたアナ・デ・アルマスだね!
今作では複雑な事情を持つヒロインとして描かれていて……ある意味ではオタクの理想とも言えるのかな? そんなキャラクターを見事に演じきっていたね!
しかもコスチュームも色々変わっていて、とってもセクシーであり、そしてキュートでもあって!」
主「前作のブレードランナーのヒロインであるレイチェル(ショーン・ヤング)はすべてのSF映画の中で1番の美女だという人もいるくらいに存在感があった。硬質的で、冷たいようなレプリガントらしさを残しながらも、深い愛を感じさせるという……ある種の矛盾に満ちた複雑な役柄を演じきっていた。
ブレードランナーを復活させるということは、その複雑な事情を背負ったヒロインを復活させるということでもある。しかも現代的に、そして何よりも美しくなければいけない。
それを見事にやってのけたんだよ!」
カエル「彼女が画面に映るだけで華やかになり、そしてだからこそ物哀しさも増していくというね……」
主「このKとジョイの恋がね……SFならではのものであった。
自分は序盤から涙が出てきそうだった。2人が幸せそうであればあるほどに……って感じで映画として惹かれるものがあったんだよ……
しっかりと可愛らしいの。だけれど、ただ可愛いだけじゃないのがミソで……ここも後で長々と語ろうかな」
カエル「そして前作から引き続き登場するハリソン・フォードだけれど……やはり年齢は感じるよね」
主「でもね、あるシーンにおいて髪の毛が昔のようにペッタリとなる瞬間がある。
そのシーンは確かにデッカードなんだよ。
本人だから当たり前といえば当たり前かもしれないけれどさ。
『ああ、あのデッカードが生きていたんだな』って思う。特にリアルタイムで追っかけてきたファンならば……もうたまらない、感涙モノなんじゃないかな?」
カエル「もちろん他の役者も素晴らしくて、『あれ?』と思う人はいなかったし、役者と演出が高レベルで一致していた映画だということもできるね!」
以下ネタバレあり
2 演出が語る
カエル「ではここからはネタバレありで語るけれど……いや、何をどう語ればいいのかもわからないような作品でもあるけれど……頑張っていきましょう。
なるべく致命的なネタバレはしないようにするけれど……それも難しいよなぁ」
主「まずはスタートの描写から。
本作はサッパー・モートンとKの対立から物語が始まる。
もちろん、ここに至るまでの魅力的な世界の見せ方であったり、あとは前作同様の懐かしい文字での説明なども前作を連想させるものではあるけれど……今回語るのはそこじゃない。
モートンとKの対立の時のカメラと光の当て方に注目をしてほしい」
カエル「アニメ演出などでもよくある、光を意識した演出法だね」
主「ここでモートンは周囲が暗闇の中で、人物像には光が当たっている。これは一般的な映画の撮り方だろう。しかし、Kはその真逆。周囲は明るいのに、人物は影の中にいる。つまり逆光なんだよ。
この演出だけで色々と想像ができる。
この2人は鏡合わせの存在であるということもできるわけだ。もちろん、この時点でKやモートンの正体はなんとなくでしかわからないけれどね。
周囲に光が当たる世界=表舞台にいるK
光がない世界=逃亡生活をおくるモートン
という演出でもある。
大事なの人物に対する光の当て方なわけ。ここでKは暗いというのは、彼の思いに色々と複雑な迷いがあることを示している。
一方でモートンは光の中にいる。つまり、何か彼の中で芯となるもの……それは信念であったり、あるいは神であったり……それこそ命であったり、何かを宿しているということの演出になる」
カエル「ふむふむ……」
主「この時点で何となく話がわかるんだよ。この話におけるKが何者なのか、そのあとに明かされるけれどさ……モートンと対になっていることが最大の説得力を発揮するわけ。
本作はSFらしいガジェットや世界観の構築ばかりに目がいくかもしれないけれど、ヴィルヌーヴはその画面を如何に魅せるかということ最大限に考えているからね」
カエル「この後の料理とかも気になったよねぇ……
レプリカントが作る料理、そして作る野菜……と言えるのかは、わからないけれど、食材は何を作っているんだろう? とかさ」
主「ここからすでにヴィルヌーヴとブレードランナーの世界はスタートしているわけだ」
本作は和服など日本を連想させる要素がたくさん!
2人の生活
カエル「そしてKの私生活へと物語は続くわけだね」
主「あれってさ、オタクならば誰でもわかるんじゃないかなぁ……」
カエル「理想のキャラクターであったり、ヴァーチャルでもいいから恋人にしたいってことだね。この人工知能との恋というのは多くのSFや、それから『ラースとその彼女』などの人形に恋をするなどの疑似恋愛について描いた作品も多くあるけれど……」
そういえばこの作品もライアン・ゴズリング主演だ……
主「本作が画期的なのは『レプリガントが人工物に恋愛をする』ということなわけ。
人間がその恋愛をする上で感情移入する相手が……例えば動物であったり、人形やロボットなどである作品というのはある。もちろん、そんな実態なんてなくても構わない。現実のオタクたちというのは、実際には存在しないアニメキャラクターであったり、初音ミクなどのCGアイドルや、実際には話すことも触れることも難しいアイドルたちに熱狂しているわけだからね。
でも、本作はそうではない……レプリガントという人工物が、人工物と恋愛をしているんだ」
カエル「人工物同士の恋愛自体は今までもあったかもしれない描写だけれど、その相手がホログラムのプログラムされた女性というのは初めて見たかなぁ」
主「これはそれまでヴィルヌーヴが描いていた『業としての愛』をさらに昇華させたものだと言える。
家族の愛、男女の愛をさらに超越し、生き物すらも超える男女の愛……それこそがヴィルヌーヴが新しく描くブレードランナーのテーマに添えてきたわけだ。
ここで重要なのはジョイが美しく、可愛らしいこと。
これは当たり前かもしれないけれど、実際の人間が演じているから……ライアン・ゴズリングとアナ・デ・アルマスの恋愛映画としてみると普通の映画なんだよ。
だけれど、ここでヴィルヌーヴは作品世界の中でジョイだけ虚構性を増すようにしている。つまり、ホログラムであること、実際には触れないことをこれでもかとアピールしてくるわけだ。
その結果、この2人の恋愛関係というのは次元の違いが強調される結果になっている」
カエル「……うん? どういうこと?」
主「簡単に言えば人間同士の恋愛などのように見えてはダメなんだよ。それだと単なる恋愛映画になってしまうから。だから、ホログラムなどを駆使して虚構であること、それは映画内では現実ではないことを強調している。
だけれど、アナ・デ・アルマスの美しさや健気さもあって、彼女がホログラムや人工のもののような無機物ではなく、もっと有機的なもの……生命があるもののように見えてくる。ここで観客は次元の壁を超越して愛するKに感情移入するようになる。
で、これを脳内で日常的に行っているのがオタクなんだよ」
カエル「実際には存在しないキャラクターを現実には存在するように妄想して、自分の恋人や理想のカップリングを楽しむのと同じだってことね……」
主「人が愛情を向ける存在というのは決して人だけではない。人工物に愛を向けることって普通にあるんだよね。
今作のヴィルヌーヴの語る『愛』はついに人間領域からも離れだしたんだ」
3 本作のSF
カエル「ここからはSFらしい話になってくるね……」
主「SFには大きく分けて2種類ある。
1つは科学的知識を基にして、ある種の思考実験のようなことを繰り返し真理を追究するSF。最近だと『メッセージ』や『パッセンジャー』などが最近の映画では当てはまるのかな。
もう1つが宇宙などを舞台にした爆発や戦闘を派手にした作品であって、科学的な考察ではなく設定などで楽しませるエンタメ要素の強い作品だ。現代では多くの人が連想するSF作品てこちらじゃないかな? スペースオペラとかさ。
自分は前者のSFは好きなんだよ。ただ、特に近年はそんなSFを探すのは難しくなっているとも思うわけだよ」
カエル「もっと色々な作品を見たら見つかるかもしれないけれどね」
主「そして、本作はもちろん前者のようなSFだ。原作がフィリップ・K・ディックなわけだしね。
ではここで重要になってくるのは本作の……そしてブレードランナーが持つテーマである。それは『生命とは何か?』ということだ」
カエル「……生命とは何か、ねぇ……作中では人間のDNAは4つのA,T,G,Cがどうのって話だったけれど……それが人間や哺乳類が多いってことじゃないの?」
主「いや、遺伝情報だけでは語ることはできないよ。魚類は遺伝子情報が人間の4倍だと言われているし、この間水族館に行ったら金魚は8倍の遺伝子情報を持っているって聞いて驚いた。でも、それだけの遺伝子情報を持っているからこそ、すぐに突然変異を起こして姿が変わるのだろう」
カエル「え〜〜? じゃあ、生命の定義って何?」
主「……それがないんだよ」
カエル「ないの?」
色などにも特徴あり
生命とは何か?
主「より正確に言えば、多くの科学者が色々な定義を上げてはいるけれども決定打が見つかっていないというべきなのかな?
現代生物学では3つの条件があって
- 細胞を持つ(細胞膜、細胞壁などの自己と外界の境を持つ)
- 複製や遺伝が可能(DNAなどで繁殖する)
- 代謝する
では、ここでレプリガントについて考えてみよう。
まず1の細胞を持つ、これはレプリカントの場合は合格である。ホログラムはこの時点で失格する。
2の複製や遺伝……ここが本作の問題だね。
3の代謝は冒頭でモートンが料理をしているし、描写はあまりなかったがレプリカントが食事をするのであれば、これは代謝と言えるだろう」
カエル「え? じゃあ定義はあるんじゃない?」
主「ただ、ウイルスが課題になっていたり、NASAなどが独自に定義したり、また知れば知るほど微妙な物質も出てくるから、論争もある話題なんだよね。
そして上記の場合……レプリカントはれっきとした『生命』になってしまう。つまり、人間は生命を生み出したことになる」
アニメファンなら誰もが連想するであろう攻殻機動隊
ブレードランナーと攻殻機動隊
カエル「ここで急に話がちょっとずれるんだね……」
主「自分は押井守ファンだからあえて『攻殻機動隊』の話を出すよ。ブレードランナーが下敷きになっている作品だけれど、決定的に違うのがブレードランナーはレプリカントが生命となりうるのか……つまり無生物→生物の流れを描いている。
そして攻殻機動隊は人間に機械のパーツを移植している。つまり、生物→無生物の流れなんだ」
カエル「それが何に繋がってくるの?」
主「押井守がインタビューで答えているけれど、人工知能を開発するよりも、人間を機械した方が早いって意見もあるんだよ。
上記のように生命の定義や、人間の定義ってかなり難しい。そして定義できないものを作るのは難易度が高い。だったら、機械を人間のようにするのではなく、人間を機械で補完する方が早いのではないか?
そしてその結果にあるのが……ブレードランナーと攻殻機動隊に共通するテーマである『自分とは何者か?』という問いに繋がってくるんだよ」
個人を個人たらしめる過去
カエル「これはデカルトの話になってきたね」
主「『我思う、故に我あり』
これはデカルトの非常に有名な一節である。どれほど物事を疑ってみても、それを疑う自分だけは疑うことができない、ということだけれど……これは『自分』という個が確立しているからこそ言えることでもあるのではないか?
では自分のアイデンティティを確立するものとは何か?
それは記憶……そして過去なんだよ」
カエル「SFでなくても自分のルーツを探すという話はよくあるよね。先祖がどこから来たのか探してみよう、とか、家系図を作ってみようとか……」
主「その過去は自分という存在を確立するために必要なものでもある。
だけれど、それがもしも……与えられたものではなかったら?
攻殻機動隊の場合は人間の体に機械を入れることによって、外部操作が可能であったり、またどこからがオリジナルで……魂ともいうべき『ゴースト』によるものかわからなくなっていた。
本作はアプローチこそ違うけれど、元々入れられていた記憶が果たして正しいのか……オリジナルのものなのか、全くわからないわけだよ」
カエル「……頭が痛くなってきた」
主「ザ・ブレードランナーワールドでありヴィルヌーヴワールドだね。
4 全ての境界を超えて
カエル「えっとさ……結局何が言いたいわけ?」
主「つまりだ。
自己増殖の能力を得た機械……レプリカントというのは、もう既にそれは生命を獲得しているのではないか?
そして、それは人間と何が違うのか? ということになってくる。
それを象徴するのが孤児院のシーンであるわけだ」
カエル「あの子供達がたくさん働いているシーンだね」
主「おそらく、あそこにいる子供たちは人間である。子供のように見えるレプリカントもいる可能性もあるけれど……描写からして、人間と考えたほうがいいだろう。
だけれど、あそこにいる子供たちは与えられた単純労働を繰り返すだけなんだよ。それこそ、ロボットやレプリカントと全く同じだ。最後は売られていき、様々なことをさせられるのだろう……そこに綺麗事はない」
カエル「レプリカントも元は戦争用であったり、それこそ愛玩用であるわけで……あの子たちと何が違うんだろうって気分になったよね」
主「これでわかるでしょ?
人間とレプリカントに違いなんてほとんどない。しかもレプリカントは自分で考えて、行動し、生きるわけだ。
前作のブレードランナーは色々な説があるけれど、デッカードはレプリカントか人間かは結局最後まで明かされなかった。想像はできるけれど、決定的な証拠はない。それは今後も明かされないだろうし、明かしてはいけない謎でもある。謎は謎だからこそ、意味があるわけだからね。
今作はレプリカントか……もしくはレプリカントに由来する新しい生命体の物語なんだよ。つまり、見せ方がまた違うものになっている。
そうすることによって、人間とレプリカントという対立する視点をさらにグチャグチャにしてくるんだよね」
カエル「作中でもあったけれど、人間からレプリカントは差別されているんだよね……でもそれすらももしかしたら、何の意味もない……機械ではなく、生命としてすでに誕生しているかもしれないわけで……
なんか、もっとごちゃごちゃしてきて頭が痛くなってきたかも……」
まるでホルマリン漬けされているかのようなレプリカントたち
ヴィルヌーヴの描く『愛』
カエル「前にも語ったけれど、Kの恋愛はあのような結末を迎えるわけじゃない? それについてはどう考えるの?」
主「ヴィルヌーヴがどこまでいくんだろう? という思いもあるんだけれど……本作は『愛』がその根幹にあるだろう。つまり、有機物である人間と無機物……と思われるレプリカントの間に愛が宿り、そして子供が生まれるのかどうか? ということを投げかかけている。
それと同時に……明らかに人工物である存在にも『業』ともいうべき愛が宿るのだろうか? ということを描いている」
カエル「……あのジョイの刺激的なシーンがあるわけだけれど、あそこは明確にプラグラミングを超えた、愛としか言いようのない感情を感じたよね。ああ、そこまでしてKを思うんだって気持ちが伝わってきて……」
主「使い古された言葉かもしれないけれど、脳みそなんて結局は電気信号でしかないわけだよ。それは近い将来、脳に外部から電気を流すことによって活性化したりする可能性もある。
となれば……0と1の存在であるプログラムですらも、愛を得ることがありうるのではないか?」
カエル「現実的でない存在であるはずのジョイがは明らかにKを愛していた。
そしてホログラムだけれど、まるで現実に存在する女性のように振る舞っていたし、それは映画としても……今年TOPクラスの美しさと存在感を発揮して、さらに映画作品として存在感が増しているから、人間と何が違うのか? ということを考えさせられたね……」
主「『灼熱の魂』などで描いてきたこと……つまり家族の愛、男女の愛、神への愛……それらの様々な愛とはまた違う形を、描きだしたのではないか?
無生物であったものにもプラグラミングによって……あるいは電気信号によって起こりうるものによって、愛は宿るのではないか? というテーマは見事に描かれている。
今作は『生命が宿る』ということが重要視されているけれど……『生命が宿る』ということは『愛が宿る』ということであり、そしてそれは1つの奇跡である……ということだろうね」
生命の誕生と終焉を描く
カエル「……え? この項目は何?」
主「作中で海に入るシーンがあるんだよ。
そしてそこから出てくるシーンがあるんだけれど……なんで海なんだろう? ってことをずっと考えていたのね。そうするとさ、海って『母なる海』というように生命の母でもある。
元々は海にいた微生物が大型化し、そして陸に上がっていって進化を遂げる……あのシーンは進化を描いたのではないか? という思いがあるんだ」
カエル「だから海から上がってきたと?」
主「そうかもね。
そのあとの描写で……降りしきる雪と、そしてKが迎えるラストについて思いを馳せるとさ……雪って眠りの象徴だと思うわけだよ。冬眠とかさ、あるいは死とか、冷たいものというのはそのようなものを連想させる。
だからこの作品は生命の誕生からその終焉までという、偉大なる歴史そのものを描いたのではないか?
そして雪にはもう1つの意味があるような気がしているんだよ」
カエル「もう1つの意味?」
偽物の中の本物
主「ヴィルヌーヴってカナダ出身の監督なんだけれど、やはり雪の撮り方がとてもうまい。これは何度もあげている『静かなる叫び』でも顕著なんだけれど……自分にはヴィルヌーヴにとって雪とは、故郷の意味もあるのではないのか? という思いもある」
カエル「故郷ね……」
主「ラストにおいて、Kはデッカードと離れてあのラストを迎える。
あのシーンの解釈をどのようにするのか? というのも問題だけれど、自分は満足感があるようにも見えたんだ。
父と娘が出会うことに協力できた……自分の記憶だと錯覚するくらいの思いを抱えて、実際の記憶ではないとしても、肉親の情でなどを抱いていてもおかしくはない」
カエル「他の人の感想を見ると『徹底的に偽物であることにこだわった、悲しいラスト』という人もいるよね?」
主「それはそうかもしれない。
偽物の生命、偽物の記憶、偽物の恋愛……この作品には『偽物』がたくさん出ている。
でも、自分はKを偽物だとは言いたくない。いや、偽物であったとしても、そこに込められた意味は……生命の意味は確かにあったと、強く訴えたい。
だからラストにおいてヴィルヌーヴが最も懐かしく思うであろう、雪のシーンを描いたのではないか?
つまり、Kはあの瞬間、郷愁の念であったり、生まれた時の感情であったりといった、人間が抱える思いと全く同じものを抱えていたのではないか?
それは……その思いは、本物だよ」
カエル「……そうだとしたら、相当壮大な物語だよね……」
主「壮大だよ。
プログラミングが生命となり、紆余曲折を経てラストへと向かう……
その寒々しさと描かれた画の美しさ……それこそがまさしく『映画』であり、本作が映画監督としてのヴィルヌーヴの地位を確固たるものにするのではないだろうか?」
馬の置物
カエル「最後になるけれど……本作を象徴する馬ってなんだと思う?」
主「……ヴィルヌーヴって結構宗教的な映画も撮っているんだよね。まだ記事は書いていないけれど『ブリズナーズ』は単なるサスペンスではない。あの映画は宗教上の知識がないと、その本当のメッセージや戦いというものは見えてこないようにできている。
そしてそれは本作も同じであり……もちろん、前作でも重要なキーアイテムでもあったユニコーンを意識しているのもあるだろう。だけれど、それ以上に重要なことがある」
カエル「ほうほう……」
主「ユニコーンって『純潔』とかの象徴なんだよね。
ということはだよ……実はレイチェルは……『処女懐胎』をしたのではないか? ということだ。
本作の中で実験によって新たなるレプリカントが誕生した時、明らかに馬のような生まれ方をしていた。体を震わせて、頑張って立ち上がろうとしてね。なんであんな生々しい描き方を描いたのだろう? と考えたら……この映画が馬が重要だからだ」
カエル「馬が?」
主「単純な話でさ、処女懐胎で産まれるのは誰よ? って話なの」
カエル「当然、イエス・キリストだね」
主「これは諸説あるけれど、イエスは馬小屋で生まれているんだよね。これは牛小屋、ロバ小屋などの家畜小屋だ、とする説もあるけれど……
そしてイエスは当然神の子でもある。となるとさ……あの子はやはり奇跡の子であり、救世主なんだよ」
カエル「……確かに奇跡としていいようがないし、この映画の中で何度も語られていることだけれど……」
主「なんで子供が生まれたのか? その理由としてこれ以上ない説明じゃない?
それは神様がそう望んだからであり、奇跡の子供だから……それだけで十分なんだよ。
そして、それこそがブレードランナーが描いてきた『生命とは何か?』あるいは『生命の始まりとは何か?』ということに対するヴィルヌーヴなりの回答でもあるんじゃないかな?
うまいよね。生物学的な誕生と一緒に、神によって生まれるという宗教上の誕生も一緒に描いてしまう。日本人にはバカげた話かもしれないけれど、神が人間や生物を作ったと信じている人は世界中にたくさんいるんだよ。
だから、その2つを内包する物語に仕上げてしまったわけだ」
カエル「そう聞くと恐ろしい話だね……」
最後に
カエル「……なんだか、まとまりのない記事になってしまったかもね」
主「多分、色々な意見があると思うし、これは違うだろうと思う人も多いかもしれません。
でも、この作品に関してはそれでいいとすら思っていて……いや、どの作品も十人十色でいいけれど、この映画は特に百人百色の映画になるでしょう。
その受け取り方も千差万別、だからこそ面白い。だからこそ、歴史に残る」
カエル「みんなが同じような印象を抱くのは面白くないよねぇ」
主「少なくとも1つ言えるのは……何度も繰り返すようだけれど、ブレードランナーの新作としても完璧な作品であり、そしてヴィルヌーヴの作品にも仕上がっている。
これほどの作品……なかなかないよ。本当に、是非とも鑑賞してほしい」
カエル「…今年は洋画が元気な年だけれど、またトンデモナイ作品が生まれたね」
主「ちょっと興行が……という話もあるだろうけれど、そんな馬鹿みたいな話に惑わなされないでさ、この映画を楽しもう。
長いです。
頭を使います。
地味なところも多い。
でも、損はしない映画です……しかも何度見ても楽しめるだろうし……ヴィルヌーヴ、本当におそろしい……」
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