まどかマギカのテレビ版、映画版についてシナリオ解析の内容を書いていきます。
元々は2016年の1月に書いた記事なのですが、リテイクを兼ねて再構成しています。
まどかマギカという作品を考える際に、その魅力は多岐に及んでいるために複合されすぎていて考察が難しいものになりがちなように思います。作画、演出、キャラクター、演技、音楽……その他様々な要素がたまらなく魅力的でありますが、今回はそのシナリオのみに注目していきます。
なお、だいぶ前の旧作ということで、がんがんネタバレをしているので、ご了承ください 。
『魔法少女アニメ』におけるまどかマギカの立ち位置
そもそも魔法少女作品の魅力とはなんでしょうか?
結論から言うと子供の中にある『変身願望』を満たすことができるというのが大きな魅力です。
女の子の遊びは、おままごとや人形遊び、お化粧ごっこなどに代表されるように、何かに変身することが多いと言われています。母親や大人の女性になりきることで、擬似的に家族を形成することにより、将来に向けての準備をしています。
その願望を叶えてくれるのが魔法少女ものなのです。
(男の子の場合はヒーローのように、現実には存在しない架空のかっこいいものに変身したがる)
もちろん、ここで語る『魔法少女』というのはまどマギのように戦闘系魔法少女に限ったものではありません。
では、ここからは魔法少女の歴史について考えていきましょう。
魔法少女の歴史
魔法少女アニメの歴史を紐解いて行くと、その始まりはアメリカのドラマ『奥様は魔女』だと言われています。そのドラマの大ヒットを受け、魔法を使う女性を扱った作品
この時代の魔法少女は困ったことがあったら魔法で解決し、町の人との友情や家族愛を扱ったドタバタコメディーでした。
その次に作られた『ひみつのアッコちゃん』も似たような作品で、魔法が変身魔法に限定されたものでした。
ただ、この『魔法のコンパクトで変身する』というのが女の子の中にある変身願望を満たすのに
数年後、魔法少女界に1つの変化が訪れます。
永井豪の『キューティーハニー』の登場です。
これは永井豪の発想方法が手塚治虫やちばてつやのような王道から外れることを主にしているからだと思われます。永井作品にHな作品や、グロテスクな作品が多いのは手塚治虫などがあまりそういったエログロは控えるべきだと言っていたため、その逆をついたからだとインタビューなどで語っていますが、その永井豪が魔法少女を手がければそれは当然『ちょっとHで戦う魔法少女』になるのは必然だったでしょう。
しかし、この永井豪のキューティハニーの登場によって『戦う魔法少女』というジャンルがスタートしたのは、日本の漫画、アニメを語る際には重要な変化でしょう。
戦う魔法少女の変化
一気に話を飛ばしますが、歴史はすぎて、魔法少女は大きな変換点を迎えます。
『美少女戦士セーラームーン』の登場です。
本作の特徴は従来の魔法少女ものイメージに加えて戦隊ものの要素を取り込んだことです。
魔法少女はたくさんいて色分けされてキャラクターも豊富、しかもみんなで協力して戦うという新しい魔法少女像が生まれ大ヒットしました。
その流れを汲んだのが今に続く『プリキュアシリーズ』であり、その発想は魔法少女+ドラゴンボールです。今まで魔法で可愛らしく戦っていた魔法少女が、パンチ、キックを繰り出して肉弾戦でバシバシ殴り合って傷つき、戦う姿が好評を呼んでいます。
そしてその次に生まれたのが『魔法少女まどかマギカ』でした。
まどかマギカがそれまでの魔法少女に比べて異彩を放つのは『シリアスで人が簡単に死ぬ世界観』です。先に挙げた作品の多くは登場人物が死ぬようなことはないし、また仮にあったとしても途中や最後には生き返ります。退場したとしても数話のみであり、まどマギのように三話で退場したら最後までずっと出てこないということは滅多にありません。
これは大人の事情によるもので、先に挙げたような作品はあくまでも子供向け作品であり、主な目的は子供たちに関連商品のおもちゃを売ることです。
しかしキャラクターが途中退場してしまうと、そのキャラクターのおもちゃは売れずに在庫になってしまいます。
まどかマギカは大人向けの深夜アニメだったので、そのような束縛にとらわれることもありませんでした。
本作はセーラームーンや、プリキュアの流れをくむ、永井豪的な発想で生まれた、言うなれば『ダーク戦闘魔法少女もの』になります。
『魔法少女まどかマギカ』のシナリオの特異性
まどかマギカというお話を一言で表すと、主人公鹿目まどかが魔法少女になるまでの物語です。
このお話の裏主人公ほむらはまどかを魔法少女にしないために戦っており、逆に言うと魔法少女になった時点で物語は終わってしまいます。これはその他の魔法少女ものの常識から外れています。
普通の作品は一話において魔法少女になり、その後の活躍と挫折、復活や別れを描くものであるからです。
そのためまどかは主人公であるにもかかわらず、ずっと戸惑い、嘆き、人に頼ることしかできず、成長の機会が与えられません。これが男のキャラクターであればイライラして舌打ちを繰り返すでしょう。
そのため、この作品を動かすには、まどか以外の登場人物を動かすしかありません。
その構造は以下のようになっています
まどかマギカの脚本構成
1~3話
『マミ編』
魔法少女の誘いや出会いから、登場人物の紹介をする起の部分。一般的な視聴者が想像する世界を演出しながらも、マミの壮絶な死により、実はその裏に隠れた、人が簡単に死ぬシビアな世界であるという説明でもある。
4~6、7~9話
『さやか編』『杏子編』
この部分では四段構成でいうところの承と転、三段構成でいうところの破の部分に当たります。さやかというまどかの親友にスポットライトを当てながら、魔法少女の誕生と死までを描いていきます。その中で杏子という新しい登場人物を出すことで、さやかと杏子のバディアクションという側面を描き、さやかの魔女化、杏子の心中という形で終わりを告げます。
また黒幕の キュウべえによって新たな事実が次々と出てくるパートになっています。
10~12話
『ほむら編』
最後に登場するのがほむら編であり、四段構成の転、結、三段構成の急に該当する部分です。この物語で一番の謎であったほむらの目的や過去を開示しながら、話を閉めにかかっています。
強大な敵の前に敗北するほむら、そしてようやく成長の時を迎えて魔法少女に変身するまどか。
そして全ての魔法少女を救済し、このお話は終わります。
最終話前の11話まで主人公は一切変化していません。
この物語は他の登場人物を動かすことで効果的に物語を紡いでいます。
ではまどかの役割とはなんでしょうか?
それは『視聴者の代替』です。
スタートの時点で与えられた情報は視聴者と同じであり、次々に明らかになる事実はまどかと同時に視聴者も一緒に知る。
それが主人公である以上に大切な、まどかに与えられた役割です。
また今作は三話ごとにお話を展開させていく『三話理論』に沿った脚本作りも非常にうまいものになっています。
まどかマギカが言いたかったことは?
ではまどかマギカの主題とはなんだったのでしょうか?
私は『感情と理屈』だということだと思います。
この作品の黒幕のキュウべえは理屈でしか物を考えず、感情というものが理解することができません。なのでどれほど魔法少女が苦しもうとも、それ以上に重要なエネルギーの確保ができれば、その苦しみはどうでもいいのです。例えるならば飛行機ハイジャック事件が起きたとしても、日本国民のためならば百人くらい見殺しにするのは当然という考え方です。
それではあまりにも魔法少女が救われません。
ほむらが死にかけながらも何度もやり直し、まどかを魔法少女にしないように頑張りながらも、その願い自体は届きませんでした。
しかしその願いに応えたまどかは、自らの自己犠牲を持って世界を書き換えるという大きな決断をして、自分の身が滅びようとも全ての魔法少女に対する救済の道を与えました。その瞬間、キュウべえの思惑は破綻して物語は終わりを告げます。
これはキュウべえの理屈がまどかとほむらのお互いを思いやる感情の前に敗れた瞬間でした。
そして劇場版へ……
そして話は新劇場版へと続きます。
神様となり、概念となったまどかですが、そこに再びキュウべえの魔の手が迫ります。それに気がついたほむらは、自らの救済の道を全て断ち切ってまどかを守る道を選びます。なぜそこまでほむらはまどかを守ろうとするのか、感情がないキュウべえには理解できない話でした。
しかしそれでもまどかはほむらを救おうと、あの手この手と策を巡らせて自らの危険を顧みず、ほむらを迎えに来ます。
まどかが滅びゆくほむらに手を伸ばした瞬間、大きな事件が起こります。神となったまどかの力の一部を奪いとり、悪魔としてほむらが誕生したのです。
その理屈を超えた無茶苦茶な状況に、キュウべえは人類に接触することを諦めるのです。(ほむらが逃がしてくれませんが)
理屈が人を思いやる正の大きな感情の前に敗れ去る話ならば私も容易に理解できます。
どんな理屈があろうとも、正義やアガペーは不変であり、その前ではどんな見かけだけ正しそうな理屈も成り立たないというお話であれば過去にもたくさんありそうです。
しかし本作は理屈は正の感情(献身、自己犠牲)だけでは屈服させることができず、負の大きな感情(身勝手な愛や執着)も揃って初めて屈服させるという構造になっています。
つまり理屈は正義やアガペーのみではなく、身勝手とも思われるラブや執着もあって初めて越えることができる、それこそが大きな感情の力であると言及しているようにも思えるのです。
実際のところ本当にそう思いながら制作スタッフは作ったのかわかりません。しかし、こんなことを語ってしまうほどの度量を備えた作品はなかなかありません。本作は鑑賞者それぞれに様々な解釈を可能とする度量と余裕を備えていながら、エンタメとして成立している滅多にない傑作になるのではないでしょうか。
他にも語ろうと思えばいくらでも語れてしまうため、今回はここで終えたいと思います。
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