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物語る亀

ネタバレありの物語批評

通勤途中に小説を〜短編小説 『築地物語』〜

 夜勤明けのいつも以上に重くなった体を揺すり、その体以上に重い瞼を擦りながら、地下鉄から一歩踏み出してホームへと降り立つと、独特の生臭い匂いが鼻孔をくすぐる。漁場だったら潮の香りと共にそれは運ばれて来るのだろうが、海に近い筈にも関わらず全くしない。その街の独特な香りに包まれるたびに、どことなく安心感が芽生え、心なしか体も軽くなった気がする。 
 エスカレーターを昇るとスーツ姿のサラリーマンに混じって、白人やアジア系の外国人が団体で連なっていた。改札を抜けてすぐにある地図の前で、堂々と十人弱で車座になり、大きな笑い声をあげる。そんな日常を一瞥することもなく、サラリーマン達は改札を出ると右に曲がり、朝日新聞本社のある出口へと向かっていった。 

 


 私はいつも通りに様々な食品広告の続く地下道を直進していくと、長いエスカレーターを昇る。やがて外が見えると、どんよりと曇った空を見上げながら、何人かが傘を広げ、また何人かは小雨に濡れることを厭わずにそっと外へ駆け出していった。 
 今更濡れることに抵抗は全くないし、少し汗ばむ程の熱さにはちょうどいいと、私もその後に続く。 
  

 築地場内市場の正門はひどく古ぼけていて、深夜の闇の深さだとそこは廃墟にしか思えないときもある。そこがまだ活発に生きている場だとわかるのは、煌煌と場内を彩る照明と何台も連なるドラックやターレーのエンジン音、そしてそこかしこを飛び交う怒声にも似た言葉が次々と交差していくからだ。 
 それも日が昇り朝を迎え、やがて街中を行く車が動く時間よりも止まる時間の方が長くなる様と反比例して、ここは活気を失っていく。そこから先は観光客がごった返し、ある店には何時間も並び、市場で働く人々は舌打ちまじりに配達を続ける。 
 私が場内市場に足を踏み入れたのは午前十時頃。平日だというのにも関わらず、観光客は休日と変わらないほどに多く、狭い場内はより混雑していた。 
 この場に通いはじめてけして長いとはいえないが、日に日に観光客は増えていっている。馴染みの寿司屋の話では、今年一杯で築地市場が終わってしまうと思っている外国人観光客も多いらしい。 

 英語や中国語が交差するなか、目当ての店に歩を進める。トラックやターレーが行き交うこの場所を歩くコツはキョロキョロしないことだ。周囲を見て、ゆっくりと安全確認をするのではなく、まるで俺の庭だというように堂々と、そして足早に進むことで安全に、怒鳴られることもなく進むことができる。ここでは人が優先ではない。車の方が偉いのだ。 
 平日だというのにもかかわらず寿司屋や魚定食の店は行列ができていて、店によって入店するのに数時間は待ちそうな勢いだった。不思議なことに美味しいとは思えない店が行列していたり、その逆に行列店以上に美味い店が全く並んでいなかったりする。ましてや築地で魚が食べたいからと、魚以外ではあるがもっと美味しい物を出す店が見向きもされないところをみると、観光客なのだから当然なのかもしれないがいつも残念に思ってしまう。 
 そういう私だってはじめて築地に来たときは、友人が定食屋へと入ったのを見て寿司だ、刺身だとぶーぶーと文句を垂れていたこと思えば、笑うのは筋違いというものだろうか。 
 お目当ての一件目にたどり着いたが、そこも行列が長く続いていた為に諦めることにした。新サンマが食べたかったが、どれほど待つかわからない。 

 仕方なく込み合う通りは避けて奥まった店へと歩を進める。吉野家の一号店やカレー屋等もある通りに出ると、普段は行列をしていない寿司屋でも店先に人が溢れていた。少し待つかもしれないが、ウニ丼が食べたくなったので仕方なく並ぶことにする。 
 軒先で立って待っていると、当然ながら中は満席だった。店内で順番を待つ客達は、パンフレットを手にじっと職人の手つきや、手元の携帯電話を見つめていた。 
 カウンターに何人かで横に座り、連れが食べ終わるのを待つのはまだわかる。次々に出されていく寿司に手を付けることもなく、話に華を咲かせているような客達は、一体何を考えているのだろうかと思わず疑問符が浮かんでしまう。ネタの鮮度にはこだわるくせに、寿司の鮮度には一切気を配らないのだから困ったものだ。 
 やがて目の前に座っていた男性の四人組が席を立つ。配られたパンフレットを丸めて机の上に置いて帰っていき、女将が捨てるなら取っていくんじゃねぇ、と悪態をついた。 

 席に座りウニ丼をひとつ注文する。隣に座った外国人のカップルは寿司のコースを一人前ずつ注文していく。目の前に並べられた寿司を一貫ずつ写真に収めては、手を出さずにじっと見守っていた。 
 五分もするとウニ丼が運ばれてきた。 
 丼というには小振りな茶碗に酢飯が敷き詰められ、大葉の上にご飯が隠れるようにウニが載っている。そう書くと聞こえはいいが、所詮茶碗は茶碗、ウニがたっぷりと載っているとはいい難かった。 
 しかしそれも仕方ない。今年はどこも不漁の影響もあるらしく、ウニ自体の値段が相当にあがっていると聞く。産地ですらご飯が見えるというのだから、茶碗を小さくするというのは、精一杯の工夫といえるのだろう。 
 一口ほうばると、百円寿司で回っている馬糞のようなウニとはわけが違う。だが、それでも以前感嘆の声をあげたほどの感情は芽生えなかった。 
  
 五分とかからず、さっと食べ終わりそそくさと席を立つ。自分が座ってから立ち上がるまで、会計をする客は誰もいなかったから他の客が目を丸くしていたが、私にしてみればこれが普通だった。築地というのは座って、ゆっくりと食事をする場所ではない。そうしたかったら少し足を運んで、銀座に行くべきだ。 
 この通りにある吉野家一号店にしても、カレー屋にしても、食堂にしても出て来るのが非常に早い。それはなぜかと言えば、築地という市場は早く、美味い物を食べる場所だからだ。早飯早グソ芸のうちである。 

 外に出るとさすがに茶碗一杯くらいの食事では腹が膨れるはずもなく、どこか二軒目に行こうと頭を回す。すぐ近くの食堂は先週も行ったし、何よりもこの人だかりではどこのお店も待つことになってしまうだろう。 
 そそくさと場内市場を後にして、場外市場を見渡した。やはり大通りに面した店舗はどこも人の山ができていて、進むこともできないようだった。 
 この様子では人気店に入るどころか、並ぶことすら拒否されてしまうかもしれない。それならばと、穴場のお店に向かってみることにした。 
 この街は何を食べても美味しい物が沢山あるが、ガイドブックに載っているのは場外市場でも大通りに面した商店と、せいぜい路地三つ分位なもので、大通りの道路を渡った先はおろか、川を挟んでわずか数十メートルの店にすら観光客は寄り付かない。 

 小さな路地へと足を踏み入れる。横幅は一メートルちょっとしかなく、向かいから台車が来たら避けられないかも知れない。正直、綺麗だとお世辞にもいえないような店が建ち並ぶ中に、その店はあった。 
 カウンターでの席が五、六席しかない。その中で空いている席に座ると、目の前の調理場に立つ大将の奥に一軒家を改造したような十人程がかけられる大きなテーブル席が見えた。一見すると入り口が一つしかないように見えるが、狭い路地のさらに脇道にもう一つ入り口があり、そこから入るとテーブル席に座ることができるようだ。 
 まだ開店した直後だからか、カウンターには私を含めて二人しか座っていないが、奥のテーブル席では二、三組の姿が見える。 

 親父は親近感を覚えるようなころりとした体型に、綿菓子のように真っ白に染まった短髪、これまたいつの時代かと突っ込みたくなるねじり鉢巻を頭に巻いて、真っ白なシャツ姿でこちらを見ることもなく小さな声で、いらっしゃい、と言葉を向けた。 
 正直にいえば汚い店に、こんな親父がいる店では始めて入ったときは失敗したと思ってしまった。今時どこに行ってもこんな漫画に出て来るような大将なんて出会えない。 
 壁に貼ってあるメニューはわずか五つしかない。海鮮丼、ネギトロ丼、ちらし、握り一人前、大盛りと簡素なものだ。 
 以前に海鮮丼は注文したから、今回は握りを注文してみる。親父はあいよ、と一言だけ呟くと、こちらを見もせずに淡々と体を動かしていく。 

 カウンターの上には大量の卵焼きがこれでもかと積み重なっていて、席によっては大将の手元はおろか、奥のカウンターの様子もみれないかもしれない。築地には元々寿司屋を経営していていた店が多かった為、店を畳んだ後も自慢の玉だけを扱った卵焼き屋が多くあるが、ここのものは買ったものではなく、自分で作っているらしい。 
 そっとテーブル席の方から河岸で働いているのだろうか、長靴姿の兄ちゃんがそっと顔を出すと、大将もにやりと笑みを浮かべた。 

 今日は早いんじゃないか? 
 昨日遅かったからな、この後長さんも来るってよ 
 おう、わかった 

 これだけ話すと兄ちゃんはさっさと奥へとまた戻っていき、勝手に取り出したビールの栓を空けていた。 

 仲買人は築地じゃ飯を食べない、ここは観光客のための街さ。 
 今時そんな声も少なくない。どこへ行っても人で並んで、一年中混み合っている中、自分のような好きで通っているだけの人間には少し考えてしまうことがある。 
 一見の観光客なら旅の恥はかき捨てとばかり、何も考えることなく並び、マナーに反する振る舞いもできるだろう。 
 築地の近くに働いていたら、観光客に舌打ちをして、邪険に扱うこともできるだろう。
 だが自分はそのどちらでもない。その微妙な立場が、いつも不穏な心持ちにさせる。 
 この店のような雰囲気はほんの十年前にはどこの店でもあったようだ。口の悪い魚河岸のおっさんと、そんなのを相手してきた女将の罵り合いにも似たコミュニケーションが現代に残った江戸を感じさせる数少ないものだった。 
 しかし他の地方だけでなく、外国人も増えて、今ではその情緒ある乱暴な口が気に入らないと言われてしまい、どこもかしこも似たような没個性的な店になってしまう。 

 あいよ、と言って大将がカウンターの上に寿司をそっと置く。 
 気取った寿司屋にあるような笹の葉でもなく、また木でできた下駄のような皿でもなく、家庭で使われるような大きな丸皿に円を描くように寿司が並べられていた。 
 大将の太くて短い指で握られたそれは、ネタもデカければシャリもデカく、まるで少し小さめのおにぎりのようでもあった。コロコロと丸っこく握られたそれは、まるで大将そのものを見ているようで笑みがこぼれてくる。 
 寿司屋に入ってこれが出てきたらあまりの不格好に気を悪くするだろうが、この店ではむしろ神経質に握られた綺麗な飾り寿司が出てきた方が違和感があるだろう。 
 仕事がされているようには見えない、いわゆる刺身寿司であるが、それが一体なんだというのだろうか。寿司のネタの一つ一つはねっとりとした光沢に包まれていて、マグロのサシと身の鮮やかな赤と白が綺麗に筋状に散らばっている。これが冷凍物であればその色はたちまちくすみ、サシと身が溶け合ってしまい、見ただけで食欲を落とすものだ。 
  
 チョチョイと小皿に醤油を差して、握りを一つ口に運ぶと、生の魚特有の生臭みのない甘みと旨みが口いっぱいへと広がってくる。しかも水っぽさも全くなくて、一つ噛む度により濃い味が奥から奥から広がってくる。マグロは店の顔だからと、ここだけいいものを出しといて、それ以外は適当な、いい加減な店もある中で、ここは他のネタも鮮度にこだわり、うまいものが揃っていた。さらに卵一つとってもふっくらと甘く焼けていて、何よりも寿司の箸休めには、なによりも合うものだった。 
 一つ二つと口に運ぶと、いつの間にやら頬がほころぶ。 
 思わず何度も大きくうなづく。 
 これで値段が場内の三分の一ほどなのだから、文句の出るはずもない。 

 これほどの店が今の築地にどれだけあるか。見る目のない、地理もわからない観光客に、築地という名前だけでうまくもない冷凍品をさっと切って出すだけの、名ばかり海鮮が軒を連ねる今の築地に。 
 この店の雰囲気とここを愛する人たちのために、これだけうまい店だけど、今回店名を書くのはやめておきたい。 
 それが私なりの敬意だと思う。 

 会計を済ませて外に出ると、すでに雨は上がっていた。 
 今日はこれから上野でも行こうかな。

 

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