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物語る亀

ネタバレありの物語批評

恋愛作品論〜なぜ病気ものが流行るのか?〜

物語論

 ふと恋愛作品について考える機会があったので、せっかくだからその時考えた結論をブログに挙げていきたい。

 当然ながら素人考察だが、結構的を得た評論になる気がしている。

 

 今回の分析はゼロ年代を考えるという一部で盛り上がったブームメントについても考えている。(不思議なもので『10年代』ということを論じている人を中々見ないのはなぜだろう? みんな興味ないのかな?)

 

 

 

 

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 1 純愛ブームについて振り返る

 

もう10年ほど前になるだろうか、純愛ブームというのもがあったことを覚えている人は多いだろう。

 

 『世界の中心で、愛をさけぶ』『いま、会いにゆきます 』『恋空』のような作品が純愛ともて囃されて、大きな話題を集めていた。

 

 私などは元々恋愛作品が苦手な上に、いまと変わらずオタクであったために、その手のブームに対して冷たい視線を向けていたが、それでもオタク界の純愛モノ(『半分の月がのぼる空』『イリヤの空、UFOの夏』など)は好きでよく読んでいたりもしたので似たようなものである。今でも橋本紡と秋山瑞人の文章力はラノベという枠に収まらないと思っているが、それは話がそれるので機会を改めたい。 

 またオタク界の純愛ものというとKey系作品、つまりAIRCLANNAD辺りが大ヒットをしていたので、若者文化全体のブームメントだったことは疑いようのない。

 

 この中で病気ものと言われたり、不慮の死を遂げる作品は数多い。上記の例でいうとイリヤの空以外は全て病気ものと言える。

(イリアもセカイ系の代表格で、病気ではないが病気が世界の危機に入れ替わっただけとも言える)

 あの時代に注目を集めたケータイ小説の多くはすぐに死んでしまったり、病気が絡んだり、援交、レイプ、いじめが絡むなどあまりにもショッキングな内容だったが、程度や作品のレベルの差はあれども他の作品も大きな違いはないのである。

 

 

 

恋愛作品は作りやすい

 

 物語を作る上で一番簡単なのは恋愛小説であり、難しいのはミステリーとコメディである。

 そう書いている作家がいたが、私は何となく納得したのだ。

 

 ミステリーやSFなどは実際に体験することは基本的にない。

 しかし、恋愛小説は誰でも一般的に体験することの多い事柄であり、ある程度の経験則を入れることでリアリティーが生まれてくる。

 また目的も二人の男女がくっつくことにあり、はっきりしている。その過程なんて正直突飛な行動だとしても「それが恋愛じゃん」という一言で終わってしまうこともしばしばある。

(現実にも理解の難しい、まるで作り物のような恋愛なんていくらでもある)

 もちろん名作を作るのは大変だが、作品を描くだけならばハードルは低いだろう。

 

 一方のミステリーとコメディーは面白い、リアリティーがあるということ以上に、読者を推理させたり、笑わせなければいけないのでハードルは高くなるということだ。

 

 だが、私はこの意見に納得しつつも、現代における恋愛作品は難しくなっているように思っている。

 

 

 

 

2 名作恋愛作品を分析してみよう

 

 ここで過去の恋愛作品を少しばかり分析してみよう。

 

 まず古典的名作として名前をあげるのは源氏物語である。

 光源氏が次々と女たちを落としていく過程やその恋愛描写や、生々しい人間描写(リアリティのある、人間を描いた恋愛)が深いとされている。

 様々な楽しみ方はあるものの、光源氏をジャニーズみたいにカッコイイスターのように扱うことで「キャー」と黄色い歓声を浴びせるような楽しみ方があるのだろう。

 ある意味では『王子様系男子』という意味では、現代の少女漫画に通じるものがあるのかもしれない。

(しかし源氏物語が純愛作品かというと意見が割れそうだよなぁ……)

 

 

 次に『ロミオとジュリエット 』の場合はというと、本作の構造はわかりやすく、モンテーギュ家とキャピュレット家の政治的対立からの抗争関係に翻弄される一組の男女の純愛を描いた作品である。

 その2人の仲を阻む障害に心をかき乱され、純粋な思いに涙を流すという作品だ。

 

 近松門左衛門の『曾根崎心中』では主人公の男が務める店の主人に無理やり娘と結婚させられそうになり、愛するお初のために断ると勘当させられてしまう。さらにお金も親友に騙し取られ、身の潔白を証明するためにお初と心中を遂げるという内容である。

 こちらもロミオとジュリエットと同じ構造と言えるだろうか。

 

 それから映画の名作に話を移すと『ローマの休日 』は一国の姫と新聞記者という決して結ばれることのない2人のラブロマンスを扱っている。(著作権の切れた名作なので安く見れるよ!)

 こちらは『身分違いの恋』 に翻弄される2人を描いた名作である。

 

 

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現代では扱いにくい題材

 

 この4作は誰もが認める名作なのであるが、では現代風にリメイクしようとした場合、すべてが扱いにくい作品たちばかりである。

 

 例えば源氏物語であるが、このような形で数々の女たちと時には不倫、時には少女を相手にと、母親の面影を求めるように行為に励んでしまっては非難の声もあるだろう。これは性意識が今よりも緩い平安に成立したからこそ通用する文学であり、現代ではこれだけの女性と関係を持つ作品は嫌悪感を抱かれやすい。

 

 ロミオとジュリエットは典型的な『お家の都合』というものであるが、これも現代では難しい。北朝鮮の将軍の娘と天皇家(ないしは総理大臣)の息子ならば成り立つかもしれないが、そこまでいくと一般性がなくなってしまう。

 どんな家柄であれ、最後は駆け落ちという奥の手があるので、家の問題や身分制度の差は物語にはなりにくい。

 

 曽根崎心中は典型的なパワハラであり、このようなことがまず起こりえない。詐欺に関しては現代でも通用するかもしれないが、最悪逃げればいいのではないか? という疑問も湧いてしまう。

 ヤクザを登場させて追い込みをかけられたりすれば、まだ通用はするかもしれないが、元々のパワハラの要素は難しいだろう。

 

 ローマの休日は現代でも通用するだろうが、この現代に明らかな身分の差というものはあまりない。しいて言うならばイケメン彼氏とブス女(当然逆でも可能。電車男パターン)というルックスの格差や、収入格差が現代的かもしれないが、それは気にする人は気にするが、気にしない人は全くしないなどということになり兼ねない。(ちなみに私も気にしないので、このようなことが恋愛の障害になるとは思っていない)

 

 ここまで書いてお分りいただけるように、現代は恋愛における障害というのがほとんどなくなってしまったため、物語を盛り上げる障害を作ることに苦労するのである。

 

 

 

 

3 現代でも通用する障害

 

 恋愛作品における障害は本人たちに非はないことが望ましい。

 ロミオとジュリエットも、曽根崎心中もローマの休日も彼ら自身には非がなく、結ばれない理由は社会的な『大人の事情』ということだ。

 恋愛において通用する障害がなくなってきたと書いたが、それでも当然すべてなくなったわけではない。

 その代表格が『病気もの』であり、『死』である。

 

 病気や死というものは誰にでも避けられないものである。必ずみんな病気にかかるし、必ず死ぬ。

 ましてや、それが若者であった場合には無常観もひとしおで涙を誘う。

 ひどい話だがメディアも100歳の方が事故で亡くなった時よりも、3歳の少年や20歳の女性が亡くなった方がより悲劇的に扱うものである。それはもうしょうがない。

 

 特に死にゆく相手が『美少女』であった日には、薄幸の美少女という全世界の男子が惚れて、女子も同情する女の子が完成する。そんな美少女が全生命をかけて恋愛をするのである。それは人々の心を離さないでしょう。

 それは美少年でも同じである。

 

 簡単に言えば、現代における恋愛の障害がなくなってきたからこそ、その究極の形である『病気』『死』というものを取り扱わなければいけなくなったのである。これが似たような純愛作品が大量に生まれた理由である。

 

 

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それ以外の障害

 もちろん現代でも通用する障害は他にもある。

 

 今、最もホットな話題はやはりLGBTだろう。つまりレズビアン、ゲイ、バイ、トランスの生まれつきもってしまった性質である。

 これはやはり日本の常識がまだまだ同性愛に対して理解が及んでいないことで、誰もが2人が結ばれない理由を説明しなくても理解することができる。近年、世界的に見てもこの話題は恋愛作品界では注目を集めており、『キャロル 』や『リリーのすべて』のように真正面から扱った作品も沢山ある。

  

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 日本でいうと志村貴子という漫画家が一番有名かな。

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 他に上がるのがやはり不倫は根強い人気を誇るものの、近年は不倫に対する風当たりが強いこともあり、あまり純愛とは言われにくい状況になってしまっている。それでも『紙の月 』のように不倫を取り扱った作品は依然多く、わかりやすい障害として現代でも通用する。

 

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 それからやはり近親婚というのも一時期ほどのムーブメントはなくなったものの、韓流ドラマ冬のソナタ 』のように今でも通用する障害である。やはりオタクものが多い印象があるが、近年は従来のような兄、妹ものばかりでなく、姉、弟ものなども多く見られるようになった印象がある。

 嫌悪感を催す人も多いが、ラブロマンスとして惹かれる人も多いジャンルである。

 なお、親子間の直接的な近親に関してはラブロマンスというよりも虐待の印象が強く、嫌悪感を示す人が多い為あまりないものの、桜庭一樹の直木賞受賞作である『私の男 』などのような作品もある。

 

 

近親恋愛作品の代表 

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 工夫された例としては片思いというのがある。

 誰も悪くないのだが、私の思いは絶対に届かないという障害であり、誰もが経験する切なさ溢れる障害である。

 これをうまく使ったのは全員片思いというキャッチフレーズのハチミツとクローバー』だろう。

 

 

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 ただし、恋愛作品の目標や快感ポイントは『結ばれないはずの2人が結ばれる』ことだったり『結ばれない2人が選ぶ究極の選択』にあるので、片思いは矢印がお互いに向いた瞬間、誰かの恋が破れる瞬間でもあるし、そこからもう一つ展開させようにも障害がなくなってしまっているために、新たな障害を用意しなければならないなど、展開が難しいものになる。

(私見だがハチクロもラストの答えは作者も非常に悩んだのだろう)

 

 他にも年の差だったり、身分の差(教師と生徒)などもあるのだが、現代では障害になりづらい。

 最近では彼女が猫だった、などのファンタジーなものもあったが、それはそれで一般性がないよなぁと考えてしまう。

 

セカイ系について

 

 セカイ系について少し触れるが、セカイ系の主題は『恋愛』であり、ぶっちゃけセカイなんてどうでもいい作品が多かった。それをはっきり言い切ったのは『イリヤの空』だけだった気がするが、社会がどうのとか世界がどうのとか語ることもできるが、恋愛作品としてみた場合に「世界よりもお前の方が好きだ!」というだけの話である。

 世界よりも彼女(彼氏)の方が大切、というある種の究極の選択を障害に据えただけであり、ぶっちゃけた話「私と仕事どっちが大切?」というアホなノロケと変わらないものだ。

 それを作品にしたのがセカイ系作品群である。

 

 

最後に

 

 というわけで、上記の例を見てもらえば如何に死や病気が恋愛ものとして扱いやすいか、そのような作品が量産された理由や、現代における恋愛作品がそこまで簡単でないというのが理解していただけただろうか。

 現代において恋愛を取り扱う物語の障害があまりないが、それは社会的にはむしろプラスな方向だろう。ただ、社会が進歩すればするほど、恋愛作品も変化を強いられるのである。

 

 これから先、どのような障害が陽の目を浴びるかはわからないが、全く新しいものが生まれることを楽しみにしながら、この記事を終える。