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物語る亀

ネタバレありの物語批評

通勤途中に小説を〜短編小説 『自衛隊』〜

オリジナル小説

 ジエータイ 

 その日は、突き刺ささるような日差しがグラウンド全体に降り注いでいた。今年は記録的な猛暑が続いています、と例年と同じことをテレビでは連日伝えている。その中でも若者達は外に出て、汗と土とゲロにまみれた青春を謳歌しているのだから大したものだ。 
 若者のそれならば美談になるが、今年三十二になる俺たちが同じよう吐いていたら酔っぱらったおっさんにしか見えないだろう。 
 グラウンドに出ることも許されず、ベンチで精一杯の声をあげている男にそう言ってやりたかった。 

 

 スタンドには夢が詰まっており、グラウンドに銭が埋まっている。 
 プロ野球というのはそんな花形職業だと言われている。それも間違いじゃない。一億、二億と途方もない金額を手にして、さらに海を渡ってその十倍以上の金を手にし、サムライと賞賛される。そんな商売は滅多にない。 
 だがそんなのは当然一握りの人間だけで、この世界に足を踏み入れて、一度も一軍にあがることもなく去っていく者も山ほどいる。 
 涼しいドームや、晴れやかで整備された球場ばかりが思い起こされるが、そんな球場は極まれだ。 
 でこぼこした土のグラウンド、ビジター側にはプラスチックでできた長く青いベンチが三つしかなく、屋根すらない観戦席、グラウンドに張り巡らせた高いネットを超えればすぐに工場や住宅にたどり着く。 
 ここでは有能な選手と無能な選手が一目で分かる。 
  
 真っ黒に日焼けした選手は二流。 
 真っ白なのが一流。 

 ドーム球場やナイター設備の中でプレイをしていたら日焼けなどしない。屋根もない、昼間に野球をするからこそ日焼けをするわけで、そんな選手は二流なのだ。 
 グラウンドに出るわけでもなく、真っ黒に日焼けした古沢慎一はベンチの中から大きな声を張り上げていた。 

 ジエータイ 
  
 平日ということもあって、観客は二十人もいない。休日でも青いベンチは埋まるがそれでも数字では一軍の一%にも満たないし、一%とはいえそれだけの人数が入ってしまったら、きっと満員電車を超える窮屈さになってしまうだろう。 
 その中で隣に座る赤ら顔で、着物だか浴衣だか甚平だかを着込んだおっさんが先ほどからダミ声を張り上げて罵声を飛ばしていた。それが相手チームの野次ならばともかく、味方チームのものも少なくないのだから、たまったものではない。 
  
 ジエータイ 
  
 また声を張り上げる。古沢がチームメイトを鼓舞するような声をあげると、それに負けじと罵声をあげる。 


 ジエータイ 
      ジエータイ 
           ジエータイ 


 自衛隊。 
 専守防衛の集団。 
 もちろん古沢は自衛隊出身というわけではなく、むしろこれまでの人生で縁は一切なかった。では、なぜそう呼ばれるのかといえば、野球界でこの名称は蔑称として機能するためだ。 


 守ることしかできない自衛隊。 
 打つことのできない自衛隊。 


 古沢慎一はどこでも守れるのが売りの選手であり、それだけで食べてきた選手だった。 
 そう、過去形。 
 古巣の球団からトレードされて一念発起して意気込んでいた中、足を痛めたのが昨年の話で、そこから騙し騙しプレーを続けていたが結局治るどころか徐々に悪化し、守備にも影響が出てきたのが今年の話。八月の頭にケガ人と入れ替わりで一軍に上がっていったが、そのケガ人が完治してしまい、入れ替わりで落ちたのは八月の終わりのことだった。 
 試合数も少なくチームが優勝争いを続ける中で、ベテランが下に落とされるというのがどういう意味か、この世界に興味がある人間なら誰でもわかる。 
  
  
 もしかしたら、今あそこに立っていたのは自分かも知れない。その思いは野球を、古沢の名前を見るたびに考えていたことだった。 
 地方の人気のない大学リーグではあるが優勝に導いたし、アマチュア野球雑誌には古沢とともに、俺の名前が取りざたされることも少なくなかった。 
 記事を読むたびにプロという二文字が現実味を帯びていく。 
 だが、結論から言えば俺はプロになることはなく誰もが知る一部上場企業に入社し、古沢だけが指名された。 
 それを両親の反対や、監督の説得、大学が社会人とのパイプを重視した結果、さらにはプロとアマの政治的な話だということもできるかもしれない。 
 だが結局は俺個人の運と努力、才能と何よりも頑丈な体が足りなかっただけの話だ。どれほど願っても切れた腕の腱は完全には治らないし、衰えた筋肉は戻って来ない。何よりも時間を巻き戻すことなどできはしない。 
 いい会社で安定した生活を送れているのだ。 
 そこに、後悔など、ない。 


 若手の選手がヒットを打って一塁に出る。相手の広島も多くが若手であり、もはやベテランには用がないようだ。選手がコーチとハイタッチを交わして、リードをとる。 
「なんだ、最近の選手は……あんな裾を伸ばしてな、髪も伸ばしてからに……」 
 隣の赤ら顔のおっさんが呟く。それは選手の批判なのか、社会への愚痴なのか、息子への文句なのか。 
「イチローはその辺りもしっかりしてるわな……今の二軍で基本ができているのはジエータイだけだ」 
 回りの客も少し訝しそうな視線をおっさんに向ける。それに気がつかないのか、もしくは慣れてしまっているのか、まったく我関せずでおっさんはぼやき続けた。 

 やがて試合は八回も終わり、残すは九回の一イニングになってしまった。どうやら古沢の出番はないようだ。 
 試合結果も大差がついて九割がた負け確定、もはや見るまでもないからだろうか、少しずつ観客も引き上げていった。  
 この最終戦ですらも出番がないのかと腰を上げた直後に、アナウンスが流れる。 
『代打の阿部に変わりまして、サード、古沢、背番号46』 
 おお、とおっさんが身を乗り出して出てきた古沢の方を見やると、今までよりさらに大きな声をあげる。 

「ジエータイ!  
        ジエータイ! 
               ジエータイ!」 

 もしかしておっさん、古沢の名前を知らないのか?  
 さっきから連呼してきたジエータイは、蔑称とは知らず、ただのあだ名だと思っていたのか? 
 それだとしたら、なんという勘違いだ。 
 古沢はその声にもう慣れっこなのだろうか、足早にサードにつくと何も聞こえなかったようにキャッチボールを淡々とこなしていく。その様子を眺めながらおっさんは更に大きな声を張り上げた。 

「くぁんぱぁい 今 ちみは人生のぉ 
             大きなぁ 大きなぁ 舞台にぃ とぅあち 
      遥かぁ 長ぃ みぃちのりを  
    あるぅきはじめた きみぃ 
                           しぁわぇ あれぇ!」 
  
 乾杯。 
 それは古沢の入場テーマであり、この長いようであり、短いようでもあった九年間の野球人生で一度も変えなかった曲だった。 
 敵地だから流れる筈もない入場テーマ。 
 調子外れな入場テーマ。 
 もはや打席に立つこともないであろう男の、最後のテーマソング。 
  

 気がつくと俺はあげた腰を再び下ろし、喉がかれる程古沢の名前を叫んでいた。 

 

 了

 

 

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