物語る亀

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物語愛好者の雑文

映画『花戦さ』感想 豪華共演陣の夢の共演……だけどなぁ

カエルくん(以下カエル)

「なんかさ、最近の時代劇ってこういう映画が増えてない? ちょっと前までなら切った張ったが時代劇ってイメージだったけれど、単純な殺陣とか戦のシーンではないもので魅せようとする映画」

 

亀爺(以下亀)

「最近では金融をテーマにした『殿、利息でござる』『超高速! 参覲交代』などもその中に入ってくるかもしれんの」

 

カエル「なんだろうね? やっぱり切った張ったはお金がかかるというのもあるのかな?」

亀「それもあるじゃろうが、もっと大きいのが迫力のある殺陣などができる俳優や指導するスタッフが少なくなっているのじゃろうな。

 だいぶ前から警鐘は鳴らされていたが、いよいよ限界点を超えたのかもしれん」

カエル「もちろん殺陣やアクションで魅せるタイプの『無限の住人』などもあるし、あとは今後公開の『関ヶ原』など楽しみな作品も多いけれど……時代劇=チャンバラ映画という認識はとうの昔に崩壊したのかもしれないね」

 

亀「ここ最近は『戦国時代=戦』と単純化しておらん作品も増えたように思うの。例えば、漫画であるが『ヘうげもの』も古田織部という地味な戦国武将を主人公に据えて、茶器などに命をかけて文化と外交に励むという作品がある」

カエル「この分野はヘうげものが素晴らしすぎて、特に今作は時代設定も似ているし、茶器と花という違いはあれど、文化の力で戦国の世を生き抜くという意味では同じことテーマにしているしなぁ。

 じゃあ、この映画独自のものが出てきたのか? ということも含めて、語っていこうかな」

亀「感想記事のスタートじゃ」

 

 

 

 

映画「花戦さ」オフィシャルブック

 

1 感想

 

カエル「じゃあ、感想だけど結構辛い評価になりがちだね……

亀「Twitterでは『駄作に近い凡作』と称したが……

 正直、かなり怪しい雰囲気の映画になっておる。先ほど例にあげていたチャンバラ要素の少ない時代劇が良かっただけに、この作品はさらにダメなものに見えてしまったの」

カエル「確かにテーマや時代も似ているへうげものと比べてしまっている部分はあるかもしれないけれど……それでも単独の映画としてもあまり評価はできないかなぁ」

 

亀「確かに豪華出演陣じゃし、この戦い方も面白いものではある。劇的なドラマ性もあるし、時にはいい絵もある。

 野村萬斎などをはじめとした役者陣、音楽だって久石譲じゃ。

 確かに超一流の素材を使い、名前だけ聞けば大ヒット間違いなしの布陣に思えるかもしれん。

 じゃがな、その豪華な素材が全く生きておらんし、面白みが皆無なものになってしまっておる。ミックスされた時に出てくる味が全然ない」

カエル「いい映画を褒める時は『脚本、演出、演技、音楽などが高いレベルで融合している』という表現をするんだけど、その真逆ということだね……」

 

亀「おそらく久石譲のサウンドトラックを聞いても感動できると思う。それぞれの演技や原作もきっといいものじゃ。一人一人はきちんと仕事しておる。座組みを考えたもこれならヒットすると思っておるのじゃろう。

 じゃが、それが全く調和しなかった。おそらくそれは『ビックネーム揃いすぎた』ことに由来するのかもしれんな」

 

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本作の主人公の野村萬斎と森川葵

(C)2017「花戦さ」製作委員会

 

豪華出演陣ゆえに……

 

カエル「今回は豪華出演陣が話題だし、確かに日本トップクラスの俳優や歌舞伎役者などの伝統芸能の守り手がたくさん出演しているんだけれど、それがうまくいっていないのが丸わかりで……」

亀「単純に野村萬斎のスケジュールが取らなかったんじゃろうな。

 今作では主役であるからたくさんの出番があるんじゃが、不自然なほどに野村萬斎だけが映っているカットが多い。普通、映画では同じ場面に2人以上の役者が並んで一緒に写っていることが多いのじゃが、今作では野村萬斎だけ映っていないカット、もしくはひとりだけ映っているカットも多い。

 例えば冒頭で萬斎演じる池坊はある大名の元へと行くわけじゃ。そこにはたくさんの家臣と殿様がおる。普通であれば池坊が作った作品、殿様、家臣、池坊の4者が同じカットに収まるように撮ったりするはずじゃが、不自然なほどにバラバラである。同じカットの中に2人以上の役者が存在しないこともある

 

カエル「忙しい面々だからスケジュール調整が厳しかったのはわかるけれど……萎えるよねぇ」

亀「もちろん、わざと同じ場面にいるのに1人しかいない、というカメラワークをする作品もあるぞ。家族がバラバラになっているという演出であったり、あるいは役者の演技力やにじみ出る味を楽しませるためのものじゃが……今作はそういう意図は全く感じない。

 他にも、例えば千利休演じる佐藤浩一と池坊が茶室で語り合うシーンでいうと、佐藤浩一が顔が映っておるのに対して、池坊は背中などの一部分でしか出てこない。

 これは背中であれば似たような背格好の人を連れてきて衣装を着せて、その人を代役とし、後からアフレコしているのであろうな。

 それも1つの映画を撮るテクニックであるのはわかるが、裏事情が透けて見えるようだと残念じゃの

 

カエル「そのせいでなんだか役者の演技が浮いているような気がするんだよ。

 特に池坊って独特な性格をしているけれど、他の役者たちが重厚な演技をしている最中で変にハイテンションだったり……いや、そういう役だというのもわかるけれどさ、演技プランの統一が出来ているのかな? って」

亀「これは萬斎の演技云々以前にもっと根本的な、作品のプランニングの問題じゃからな。

 役者陣が大根とか、悪いという意味ではないぞ。特に顔のアップ、目力などはトンデモナイものがあるし、さすがは日本トップクラスの面々であると納得するものじゃ。

 先にもいったが、それぞれの人物はみんな仕事をしている。じゃが、色々な大人の事情があってこのような作品になったのじゃろうな」

 

 

以下作中に言及あり

 

 

 

 

2 バラバラなストーリー

 

カエル「結構厳しいことを書いていくけれど……なんていうか、この映画って意味がわからないんだよね。

 もちろん史実に基づいた事実があって、さらに虚構となる物語があるんだけど、それが全く一致していないというか……

亀「その象徴となるのが千利休のエピソードで有名な朝顔の話がある。ここが秀吉と利休の価値観の違いを明確にし、対立を深めることになる大事なお話じゃ。

 派手好きの秀吉は見事な満開な朝顔が見たかったので利休の家に行くと、利休はその朝顔を1輪以外すべて採ってしまった。たくさんの見事な朝顔と、たった1輪の朝顔の相容れない美を象徴するエピソードじゃな」

 

カエル「どっちが正しいというわけではなくて……これって映画に例えるとわかりやすくて、派手で爆発たくさん、CGたくさんのハリウッド超大作が秀吉好みだとしたら、地味で大きな事件も起きないけれどしっかりとした脚本や演出で語る作品が利休好みで……

 最近公開した作品で言えば『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス』『ローガン』などは秀吉好み、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』や『光』などは利休好みと言えるかも」

亀「どちらが正しいという話ではない。どちらも等しく美があるのじゃが……利休の好みはたった一輪の花じゃ。

 ではその後の茶会の席で池坊が利休の席に花を添えるわけじゃが、その花はたくさんのカラフルな花であった。これはおかしいと思わんかの? 本当に利休の好みに合っているのか? 確かにたくさんの花のそれぞれの美が好き、とは言っておるが、1輪の美をや侘び寂びを愛した利休じゃよ?

 わしにはそうは思えんかったの。映画的には映えるのじゃがな」

 

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千利休を演じた佐藤浩一

重厚な演技でした

(C)2017「花戦さ」製作委員会

 

金の茶室事件

 

カエル「そしてもう1つ納得できないのが金の茶室事件でさ。利休は『黒も好き、金も好き』と答えているわけじゃない? だけど金の茶室は作りたくない! って1度は断るんだよね。

 これっておかしくない!? 金もまた良い! と言わなければいけないんじゃないの?

亀「しかも出来上がった金の茶室がまたダサい上に荘厳さの欠片もなく、当時の天下人たる威厳がまったくないものであった。

 あの茶会のシーンはわしは不満も多くての、それぞれの趣向を凝らした……と言いながら、面白みがないんじゃよ。あの時代は確かに利休の力が強いが、まだまだ茶道の形が完全には出来上がる前じゃから、もっと様々な形があったはずじゃろう。なのに、どれも似た様な、現代にありそうな茶会で拍子抜けじゃの」

 

カエル「金の茶室が趣味が悪いって言うけれど、それも利休の意思を継いだ後年の人の作った茶道の価値観によるものもあるしね」

亀「では金閣寺は下品なのか? あれは見る価値がないのか? と問われると、そんなことはない。そもそも神社仏閣はこれでもかと金などの装飾を張り巡らされ、それはそれは荘厳なものになっておる。じゃが、それを下品とは言わないじゃろう?

 それと同じで、秀吉の派手好みを馬鹿にするのは少しおかしいようにも思う。例えるならば金髪ギャルを馬鹿にして、清楚系黒髪女子をもてはやすようなものじゃ。どちらも違った魅力があるのにの」

カエル「……その例えだと一気に俗物のようになったよね……」

 

 

 

 

3 秀吉の描き方

 

カエル「それでいうと秀吉の描き方も気になったかなぁ?

 もちろん、金などの派手なものが好きだったことは間違いないと思う。だけど、あの時代の天下人として重要なのは、自分の力を示すことだよね」

亀「ではなぜそれほど金にこだわったのか? と考えてみれば、それは圧倒的な財力や権力を誇示するためだというのは明白じゃ。

 これほどの金がある、これほどの文化的なことができるということを標榜しないと他の戦国大名も屈服しない。だからこその茶会であったり、聚楽第などの豪華絢爛なものを作っていったということもあるのじゃろうな。

 そしてそんな秀吉がいたからこそ、利休の地味な侘び寂び文化がより映えた。利休が力を獲得したのは信長、秀吉という派手好きな大名がいたからこそであり、その後に質素倹約を掲げる反豊臣の徳川幕府によって神格化した存在とも言える。

 徳川幕府にしてみれば利休ほどに都合のいい存在もいないじゃろう。質素倹約精神に近い侘び寂び文化であり、最終的には反豊臣のようになった、庶民に人気の高い人間じゃからの」

 

カエル「芸術の分野も世の中の政治的な流れの中で存在しているということかな。

 そして秀吉が狂っていったのは、やはり政権を維持する地盤が弱すぎたことによるんだろうなぁ

亀「世嗣ぎもいない、子飼いの将はいるが何代にも使える宿将はいない。信頼できるものが少ない上に、入ってくる情報は石田三成などを通したきた、バイアスのかかったものばかり……

 だからこそ後半はおかしな行動に走ってしまう。朝鮮に行くのも日本ではすでに与える領地が少ないからであり、武士の数が多すぎるからじゃ。徳川幕府は武士を減らす方向でいったが、秀吉は領地を増やそうとした。

 その差がはっきりと出てしまったの」

カエル「その意味では豊臣政権ってすごく脆弱な地盤の上に成り立っていたんだね。出身が武士じゃないから幕府も開けないし」

亀「そういった葛藤が多くあるのが秀吉じゃが……その事情なども見えるかというと、ちょっと微妙じゃったの

 

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市川猿之助の秀吉

確かに猿に似ている……

(C)2017「花戦さ」製作委員会

 

美術の説得力

 

カエル「あんまり美術品には詳しくないけれど、じゃあ本作が見事な美術に溢れていたのかと言われると、それもまた微妙で……」

亀「花道においては池坊に由来する人を呼んだりするなどの工夫は見られるが、わしは素晴らしい、圧倒される作品とまでは思わなかった。確かにアイディアは面白いし、最初の登り龍と最後の作品は良かったが、圧巻というほどでもない。池坊の思想性、花道に対する思想の最大の説得力を持たせるのに絶好の演出なのに、それが全く生きてこなかったように思うの。

 そして先ほども語ったように、茶会の席などもあまり面白みがなかったし、利休がもつ茶碗などもいいものには思えなかった。茶室の中も取り立てて面白みもないしの。

 もっと、映画としてハッタリを効かせて欲しかったという思いもあるの

 

カエル「ちょっと現代的すぎるというか、伝統に縛られすぎているかなぁ。

 映画としてもっと大胆なアレンジをしても良かったんじゃないの? って思うところもあって……」

亀「画面の端々から感じる利休の凄み、秀吉の凄み、池坊の凄みなどがあればいいのじゃが、それがあまりなかったのが残念じゃの。

 まあ、これはわしの見る目がないだけかもしれんが」

 

 

最後に

 

カエル「じゃあ、最後に少し良かった点の話をすると……」

亀「桜のシーンなどはわしは好きじゃな。あのシーンがこの映画で1番好きかもしれん。

 あとは役者の目力のアップなども迫力が伝わってきて良かったの」

カエル「1つ1つの素材は悪くないんだよね。目の付け所も面白いし……」

亀「ただ、同じ音楽が何度も使われたり、全てをナレーションで説明してしまう点なども含めて興ざめじゃ。途中のショッキングな展開なども面白くはあるがの……

 それとあのラストは絶対にいかんじゃろ!

 わしは納得せんぞ!」

 

カエル「あれはねぇ……賛否両論だろうなぁ」

亀「それまでのこともすべて否定してしまう!

 あれがなければもっと評価できたかもしれんがの……」

カエル「どのようなラストかは是非劇場で!」

 

 

 

花戦さ (角川文庫)

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映画「花戦さ」オフィシャルブック

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「花戦さ」オリジナル・サウンドトラック

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いけばなときもの

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