前回で、まず本や映画を見るのをやめようということ言った。
ではそれならば、一体何を持って勉強すればいいのだ、という言葉が飛んできそうなので、今回は小説の勉強法について考えたい。
まずあなたが学生の場合、その答えは簡単だ。
学校の勉強をきっちりとやりましょう!
え? という顔をするかもしれない。学校の勉強が嫌だから、物語を作る、空想、妄想をするということに逃げ込んでいる人もいるかもしれない。それは私も気持ちは大いにわかり、学校の宿題なんてただの一度も何もなく、夏休みすらも何もせずに提出すらしなかった人間である(誇ることではないけど)
小学校の頃には宿題をしなければ、給食のお代わり抜きだよと言われて、宿題をやらない方を選んだ人間である。
そんな人間がなぜ勉強をしろというのか?
答えは簡単だ、それがその物語の世界観をより深くしてくれるからだ。
例えば歴史ファンタジーを描こうとした場合、それが自分の作り出した世界のお話であったとしても、全くの0から作ろうとするとそれは嘘くさいものになってしまう。だが、そこで現実にあった事件や政治的運動、流れなどを参考にすればどうだろうか?
そこには確かに人の意思があり、思惑があり、理念がある。その行動に移った思想の裏には文化があり、宗教があり、日常がある。そういったものの集合体が歴史であり、それが人間が生きるということだ。
学校の勉強というのはステータス(資格)のための勉強だ。
六大学入学というステータスのための勉強、弁護士や医師のような職業というステータスのための勉強、一流企業入社というステータスのための勉強……そう言ったステータスを取るための勉強では、確かに歴史や数学、化学といったものを使う機会は、場合によってはないかもしれない。
だが、物語を描くという人間に無駄な勉強は一切ないと私は確信している。
なぜならば、物語を描くというのはどんなステータスもいらないし、どんな資格を持っていても、できない人間には一生できないからだ。
例えば以下の記事を読んでほしい。
この語源の話は受験勉強にもならないし、知っていたところで単なる豆知識にしかならない。
だがこれは小説にはいくらでも活用することができる。セリフに使ってもいいし、ここからミステリーの種にしてもいいだろう。人が死ぬ直接のトリックにはならないかもしれないが、ダイイングメッセージの暗号になら使えるかもしれない。しかもこの豆知識というのは、かつてトリビアの泉が流行ったように、多くの人が求めているものでもある。
あなたにとっての常識が、世間では常識でないことなどいくらでもあるのだ。
数学を学んでいれば『博士の愛した数式』が書ける。
化学を学んでいれば『ガリレオ』が書ける。
生物を学んでいれば『もやしもん』や『動物のお医者さん』が書ける。
医学を学んでいれば『ブラックジャック』『JIN』が書ける。
歴史を学んでいれば『坂の上の雲』が書ける。
音楽を学んでいれば『のだめカンタービレ』が書ける。
何を学んでいても、物語は作れるのだ。
だが、もやしもんを書きたくても微生物に関する知識がなければ書くことはできない。だからこそ、今できる勉強をきっちりとして、自分の専門性を磨いておいてほしい。その経験が必ずプラスになるし、むしろ自分からプラスにしていくものである。
社会人はどうするか?
これは簡単なお話で目の前の仕事の専門性を高めよう。
これはブログを書くのと同じで、あなたにとっての常識は、他の人にとっての非常識だったりする。同じ業界にいれば知っていて当然の知識であったとしても、おそらくその作品を読む多くの人は同じ業界にはいない。いやいや、ただの事務職ですけれど、なんていうこともあるだろうが、そこにある職場環境だったり、人間関係だったり、また仕事のやり方というのが必ずしも他の会社とは同じとは限らないのだ。
その差こそが作品の差を作る。
そしてそこに説得力が生まれるのである。
それからこれは学生、社会人を問わず一番大きいのが色々な人に会いに行く。
人脈を広げろとか、そういうお話ではなくて、人間が自分の頭で考えた人物像というものは限界がある。
多くのキャラクターを作り出していくうちに、どうしても似たようなキャラクターになってしまったり、また自分には想像もできないような人間性というものは作り出すことが難しい。現代社会ではテレビやネット配信で色々な人を知ることができるが、人見知りで話しかけづらいと言うならば、初めはそこからスタートしてもいい。
大事なのは、自分の中に人物のストックを貯めておくことだ。
結局人間は自分の考えたこと、自分の出会ってきた人を中心にして物事を考えてしまう。それは自分の作品を狭める行為にしかならないと思われる。
今回はここまで。
ではまた来週更新する。