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物語る亀

ネタバレありの物語批評

物語を作りたい人が始めにやるべきこと

 個人的物語論

 今回は小説が上手くなるためにやるべきことについて語っていこう。

 

 いきなりだが、ある当たり前のような常識を覆すような言葉から言わせてもらう。

 「物語を作りたければ、まずその手にある本や映画を見てはいけない」

 

 

 小説を一万冊読んだところで、小説を描く技法などはほとんど上手くなることはない。これは考えてみれば当たり前の話で、百冊も本を読まないで小説家になった人間はいるが、一万冊の本を読むだけで小説家になった人間はいないと断言できる。

 どういうことか?

 小説に限らず、映画にしろ演劇にしろ、それを一万回、一万作鑑賞しただけで一流の映画監督や役者になれるかというと、そんなわけはないのだ。むしろ大事なのは『たくさんの作品を創り上げて経験を積むこと』であるのは誰が考えたってそうなるだろう。

 確かにたくさんの作品を読むことで目は肥えてくると思う。しかしそれが必ずしもいいことかと問われると、それは違うのだ。

 

 これは私の実体験なのだが、高校生の頃に非常にたくさんの本を読む後輩がいた。彼はニーチェ全集を高校生で読破し、一日に何冊も読むことを苦にしないような人間だったが、彼に「小説を書かないか?」と問いかけたところ、苦笑いを浮かべながら拒否されてしまった。

 その理由は「昔書いたことがあるんですが、下手くそすぎてやめてしまいました」ということだった。

 これは当然のことだ。何せ私などより遥かに読書量が多く、目が肥えている人間が、自分の作品とはいえ素人の一作目で満足するはずがない。私などは全く目が肥えていない人間だったから、愕然とするほどひどい一作目であってもその酷さに気がつくことができなかった。

 私は今でも彼が筆を置いてしまったことが惜しいと思っている。それだけの読書量があれば、経験があれば書くこと自体は容易なことだったろう。ましてやまだ高校生で、歴史上、世界で見ても屈指の名文を書いた文筆家と比べることがそもそもおかしいのだ。他者の作品と比べることは、二の次、三の次でいい。まずはとにかく書き上げること、たくさん書くことが大事だろう。

 物語を書く力とというものは、以下の式だと思っている。

 

 完成した作品×費やした時間=物語を書く力

 

 どんなに長く時間を費やした作品であっても、完成しなければ意味がない。『語り始めるのは最もたやすく、語り終えるのは最も難しい』といわれるように、完成させることがまず難しいことであって、短編だろうが拙作だろうが、まず完成させたことを誇ってほしい。

 才能とは上手くものを創れることではない、と私は考えている。それよりも大事なのは、まず好きなこと、続けられることだ。

 

 次回は『物語を作る上で大事な勉強法』について書いていこうと思う。

 

monogatarukame.hatenablog.com

 

 

小説家という職業 (集英社新書)

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