物語る亀

ネタバレありの物語批評

通勤途中に小説を〜短編小説 『ナミダダケ』

「ワライダケって知ってるかい? 

 そうそう、食べると笑いが止まらないっていうあれさ。とは言ってもさ、本当に笑ってるわけじゃあ、ないんよ。神経毒でさ、顔面が麻痺して引きつっている様子が笑っているように見えるってだけなんだがね。最近はやりの笑素とかとは違うもんだ。いやいや、そりゃ違法かもしれないけれど、そう危ないもんでもないっての。ワライダケで人が死んだって話、聞いたことがあるかい? ないだろ? 
 こいつはそのワライダケみたいなもんさ、聞いて驚け、その名もナミダダケってんだ。ほれ、よく警察やら軍隊の突入するときによ、催涙ガスってもんがあるだろ? 俺っちは今じゃこんなしがないキノコ売りだがよ、その昔は学校でも一、二を争う俊英と言われたもんさ。 
 特に好きだったのが化学でよ、そんときゃ禿げあがったおっさんよりも詳しかったもんさ。勝手に薬品棚をチョチョイっと開けてよ、色々な実験を繰り返してるときによ、なんかすげえ涙が溢れてきたもんだ。 
 あ? わからんか? じゃああれだ、玉ねぎみたいなもんだと思えばいいさ。あれだってよ、その催涙物質が鼻から入って涙が……あ、もういいかい? 
 とにかく、こいつはそれと同じでよ、涙が止まんなくなってくるんだよ。 
 体への心配なんかねえよ、お兄さん、玉ねぎで人が死んだって話、聞いたことあるか? ないだろ? 玉ねぎで死ぬのは犬っころだけと相場が決まってんのさ。 
 お兄さん、涙が出なくて困ってるんだろ? だったらこいつを口に放り込んでよ、一つ二つ噛み締めればそれでおしまいさ。あとはポロポロと滝のような涙が溢れてくるから、葬式だって安心だよ。なあに、一時間もすれば勝手に止まるからよ、そんな気にしなくていいって。 
 じゃあ、一本6800円でいいよ。 
 毎度あり!」 


 競馬場にいた予想屋の親父の紹介で行った店の親父に、そんな怪しげなキノコを買わされた俺は、これから屠殺場に向かう子牛のような足取りで家に向かう。きっともう兄貴たちは証人である弁護士やら何やらを呼んで、じっと俺の帰りを待っていることだろう。 


 お袋が死んだのはつい一月前の話。 
 あれだけガミガミと口うるさかったお袋も、逝く時は本当にあっという間だった。朝に頭が痛いと訴えたが、もうそれなりにいい歳なのでどこかしら悪いところは出てくるだろうとほっといて家を出て、パチンコ屋へと向かった。そして今までないほどに確変をひきまくり、換金したら二桁万円は行くんじゃないかと思っているところで、兄貴から電話がきた。 
 お袋が死んだのだ。 
 しかしである。ここからは大事な問題なのだが、確かにお袋が死んだことは一大事なのだが、今はいつ止まるかわからない確変中であり、ここで諦めたら儲けは減ってしまう。ましてやお袋はすでに死んでいて、今更俺が駆けつけたところでどうしようもない。あとは全て兄貴が手配してくれているのだ。 
 そう考えたら、俺にできることは一つ。 
 このまま打ち続けることだった。 

 結局そこからの確変ラッシュも長くは続かず、最終的には二桁万円に届かずに少しだけ膨らんだ財布を胸ポケットに、大勝記念に大酒を飲み干して呂律の回らない姿で家に帰ると、くしゃくしゃのワイシャツと皺のよったスラックス姿の兄貴がこちらをじっとにらみつけていた。その奥では姉と叔父の姿も見える。 
 兄弟たちはみんな家を出たので直接会うのは一年ぶりくらいだったが、どことなく元気がなさそうだった。まあ、当たり前の話か。 
  
 その後の事はあまり覚えていない。それは悲しみで記憶が混濁しているとか、そういう話ではなく、単純に酒で記憶が飛んでいるのだ。 
  
 そんなこんなで葬儀の最中も、それが終わってからも俺と兄弟たちの仲はそれはそれは悪化の一途を辿っていった。おいおいと人目を憚らずになく女性陣たちに、涙を咬み殺して葬儀に当たった兄貴。そんな中、俺はケロリとした表情で酒を呑み、結局お袋が死んでから一粒も涙を見せなかったのだから、こいつは一体なんなんだという話になった。 
 こういう時に文系の悪い癖なんだろうが、兄貴は感情論や常識とやらであれやこれやを責め立てきた。そんなこと言っても出ないもんは出ないし、無い袖は降れないのだ。そして結局、お前には家を含めてお袋の遺産は一銭たりともやらんという話になった。 
 さて困ったことになった。 
 こちとら生まれてこのかた一度も働いたことがなく、成人してからというもの、ずっと実家に寄生して生活してきたのだ。親父が死んだ遺産と生命保険で細々と暮らし、小遣いなんかほとんど貰えないから、なんとかそれを増やしてここまで生きてきたのだ。今更この家を追い出されて、しかも金も貰えないとなると生きていける気がしない、 
 かといって裁判云々という話もそれはそれで面倒で嫌だ。そんなことをするならば、この家でずっと寝ていたいのだ。 

 そんな中、遺品整理をしていた姉が押入れの奥から一本のビデオテープを見つけてきた。 
『兄弟たちへ、もしもの時に見てください』 
 ビデオテープに貼られたラベルに書かれた年月日をみるに、どうやら最近撮られたものらしい。きっと親父が死んだ後、もしものことがあった時のための備えだったのではないだろうか。きっとそうに違いない。 
 さてここからが大騒ぎだ。何せすぐに中を見ようにも、今時ビデオなんてどこにもない。家も全てDVDになっているから一体どうやって撮ったのか不思議なくらいだった。 
『ビデオを用意するから、少し時間をくれ』 
 兄貴のその一言でみんなが仕方なくうなづいた。これで遺産話はうやむやになるかな、と一つ胸をなでおろしていると、そそくさと兄貴が近づいてきて、耳元でこう言った。
『お前、これ見て泣けないようならもう出てけよ』 
  

 そして時間は今に戻る。 
 あれこれと一所懸命に考えてきたが、結局涙を流す方法など思いつかなった。だいたい、男が泣くもんじゃないと教えたのは親父であり、お袋であり、そして兄貴だった。それで何十年も生きてきたのに、今になって泣け泣け、と言われても無理に決まっている。 
 だが、俺にはこのナミダダケがある。これを噛み締めて臨めば、きっと涙が次から次へと溢れ出て、そんな姿に感動してお前は俺の兄弟だと兄貴も姉もぎゅっと抱きしめて、そしてこの家はお前にくれてやるというはずだ。 
  
 家に入ると兄貴はゴミムシを見るような冷めた目をこちらに向けると、「遅かったな」と一言つぶやいてそそくさとリビングへと向かう。俺と兄貴がこんなもんだから、叔父も姉も気を使ってしまって、どこかギクシャクしてしまう。 
 弁護士と名乗った立会人がそっと今回の書類的な説明をすると、でっかい五十インチのテレビに接続されたビデオにビデオテープを入れる。 
 ブラウン管じゃないとビデオはただ粗いだけで見にくいんだよな。なんて呟きながら、テレビを見つめる兄弟たちの一番後ろへと腰を下ろす。これならばナミダダケを口に入れた時を見られずに済む。まずここまではうまくいった。 
  
  
 がちゃりと音がして、テープが回りだす。 
 それと同時にポケットに入れていたナミダダケを噛み締めた。 

 ガツーンと頭を殴られたような衝撃が頭を打つ。例えるならばこれは、そう、鉄火丼でワサビを溶かずに固まりで口にしてしまった時と同じ、あの刺激だ。思わず咽せそうになりながらも、何とかこらえて歯をくいしばる。 
 テレビにお袋が写っている。だが何を言っているのか、全く頭に入ってこない。兄弟たちはみんな鼻をひくつかせ、姉はもう既にハンカチで目元を拭っているが、こちらはそれどころではない。 
 うう、うう、とうめきながらボロボロと涙とこぼす。椅子に座っていなかったら、きっと立っていられなかっただろう。 

 お袋の話は五分とせずに終わってしまい、バイバイと手を振って一度立ち上がり画面から姿を消した。どうやら止める方法が分からないのだろう、ぶつくさと文句を言いながら機械をいじくっているような音が聞こえた。 
 兄貴は真っ赤な目をこちらに向けると、あまりに泣いている俺の様子を心配そうに見つめながら、背中をさすり、「お前の気持ちはわかった、俺が悪かった」とつぶやいた。 
 作戦はうまくいったのだ。 
 肝心の話の内容は何も入ってこなかったが、計画通り事が運んだならばそれはそれで構わない。 
 やがて親戚一同が俺の元へ駆け寄り、うんうん、と首を振る。わかったから離れてくれないか、今はみんなと話をする余裕なんて全くないんだ。 
 いい形でまとまったな、なんて叔父が言った直後だった。 
  
  
『もお。やめてよタイヘイさんたら……』 
『なんだよ……』 
 うん? と画面の方を見やると、それなりにいい歳をした親父とお袋が、どこかの旅館の蒲団の上でイチャイチャとお互いを弄りあっている姿が、五十インチの大型テレビに映し出されていた。 
 旅行中だからかカメラを直前まで回しっぱなしにして、そのまま切り忘れて置いたのだろう。画面が横になっていたが、そこに写っていたのは明らかにこれからそういう事をしようという、大人の男女のお話であり、その結果が今ここで抱き合っているこの兄弟たちである。年頃からして……いや、やめておこう。 
 久しぶりだとか、何だという言葉が次々と耳に入ってきてしまう。 
 多分お袋は、適当にあったビデオテープに上書きして今回の話を撮ったのだろう。もしかしたらこのビデオは一度も見ていないのかもしれない。それはそうだ、何せうちにはビデオデッキがないのだから、中に何が入っているか確認のしようがない。 
 我が親ながら、その適当さに恐れ入ってしまう。 

 そっと何も言わずに弁護士の先生が停止ボタンを押すと、画面に残像だけ残して映像はプツリと切れてしまった。あれだけおいおい泣いていた兄弟たちも、もう百年の恋も冷めたかのようにそっと離れていった。 
  
 俺の目からは次々と涙が溢れ出る。 
 これ、後どれくらいしたら止まるのだろうか? 

 こんな状況で一人泣かなくてはならないこと思うと、また涙が溢れてきた。